中央の百貨店3月、全5店3割以上の減、銀座三越と大丸半減、免税も激減

【銀座新聞ニュース=2020年4月2日】中央区とその周辺の主要百貨店の3月売上高(速報値、店頭ベース)は、日本橋三越、大丸東京店、日本橋高島屋、銀座三越、松屋銀座の5店ともマイナスだった。5店舗とも前年を下回ったのは、2カ月連続となる。

3月の売上高で6カ月連続マイナスと苦戦する日本橋三越。2021年2月末には、売上高に計上している恵比寿三越が閉店するため、さらに苦戦が強いられるそうだ。

3月は全国的に新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点と、行政からの外出自粛要請もあり、「入店客数の減少や消費マインドへのマイナス影響を受け」(三越伊勢丹ホールディングス)たとしている。

三越伊勢丹ホールディングスの日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は前年同月比40.0%減(2月速報値15.9%減、確定値14.0%減、小型店舗と恵比寿三越、ソリューション統括部を含む、確定値ベースでの店舗別売上額は2019年5月から未公表)と店頭ベースでは6カ月続けて前年を下回った。

一方、銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は同55.1%減(同速報値36.2%減、確定値36.2%減、但し空港型免税店の売り上げを除く)と2カ月続けてマイナスとなった。

三越伊勢丹ホールディングスでは新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、首都圏三越伊勢丹(6店舗)では3月2日より営業時間短縮を実施し、行政からの外出自粛要請もあり、入店客数の減少や消費マインドへのマイナス影響を受け、首都圏三越伊勢丹(既存店)と国内百貨店(既存店)ともに、売上は6カ月連続で前年実績を下回った。

訪日外国人観光客売上高(インバウンド、免税売上高)については、入国規制の影響もあり2月に比べてさらに大きく減少した。一方で、自宅で購入する食品宅配サービスやECによる売り上げは好調で、定期宅配サービス(ISETAN DOOR)や化粧品オンラインストア(meeco)などは前年比2倍で推移している(ただし、百貨店事業売り上げには含めていない)。

日本橋高島屋(中央区日本橋2-4-1、03-3211-4111)は同33.9%減(同速報値0.8%減、確定値1.6%減)と2カ月続けてマイナスとなった。日本橋店は2018年9月からレストラン街の運営を子会社の東神開発に移管し、百貨店としての売場面積が縮小している。

店頭売り上げは、新型コロナウイルスの感染拡大により、不要不急の外出を控える動きが全国的に広がったことに加え、3月28日、29日は行政からの外出自粛要請などを受け、日本橋店などを臨時休業したことなどにより、前年実績を下回った。訪日外国人観光客売上高は前年比92.5%減だった。17店舗ベースの商品別では、サービス営業を除く商品群が前年を下回った。

J.フロントリテーリングの大丸東京店(千代田区丸の内1-9-1、03-3212-8011)は同49.9%減(同速報値16.1%減、確定16.1%減)と6カ月続けて前年を下回った。

百貨店事業は、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、訪日外国人観光客売上高の大幅減だけでなく、国内消費も外出の自粛などにより入店客数のマイナス影響を受けたこと、さらにお客と従業員の安全・安心、感染リスク低減などの観点から、全店で4日間の臨時休業日を設けた(東京店、上野店はさらに1日追加休業)ことなどから百貨店事業合計では前年比44.1%減となった。訪日外国人観光客売上高(速報値)は前年97%減(客数97%減、客単価16%増)となった。

J.フロントリテーリングでは2017年4月から「不動産事業」を独立させて、確定ベースで伸び率を公表しており(速報値ベースは未公表)、2月の「ギンザ シックス(GINZA SIX)」や「上野フロンティアタワー」などの家賃収入は同6.6%増だった。

松屋銀座店(中央区銀座3-6-1、03-3567-1211)は同40.7%減(同速報値32.4%減、確定値32.4%減)と2カ月続けてマイナスとなった。

銀座店は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、3月2日から月を通した営業時間の短縮(その影響度合いは約7%弱)と臨時休業(2日間、その影響度合いは約9%程度)が、売り上げ全体に大きなインパクトを与えた。

また、訪日外国人観光客売上高については、化粧品を軸に大幅に減少、加えて、外出自粛要請を受け、国内のお客の消費減退も不安材料となり、先行きの不透明感が払拭できない状況が月間を通し続き、店全体の売上は大幅に前年を下回った。

日本百貨店協会(中央区日本橋2-1-10、03-3272-1666)によると、国内75社206店舗(総従業員6万2745人)の2月売上高(店舗調整後)は前年同月比12.2%減の3661億2747万円で、5カ月続けてのマイナスとなった。

2月は「新型コロナウイルスの影響拡大から、国内外顧客の集客・売り上げともに厳しい状況が続き、入店客数も約1割減少した」としている。また「国内においては外出自粛による消費マインドの低下が見られ」ている。訪日外国人観光客売上高では「1月27日以降の中国政府による団体海外旅行禁止、春節の月ズレ(前年2月5日、今年1月25日)も大きく響いた」という。その上、暖冬により冬物商材も動きが鈍かったとしている。

顧客別では、国内市場は1月より3.3ポイントダウンの7.8%減(5カ月連続、シェア97.0%)であったが、訪日外国人観光客売上高は、訪日客減により購買客数(13.4万人、68.3%減、2カ月ぶり減)が大幅に減少した結果、総売上高は約110億円(65.4%減、2カ月ぶり、シェア3.0%)となり、極めて厳しい結果としている。

商品別では、主要5品目すべてで対前年減となる中、食料品(3.5%減)はバレンタイン商戦などの催事企画が好評で減少幅を抑えることができた。一方、衣料品(15.9%減)や身のまわり品(16.7%減)などのファッション商材は、「天候与件もあって冬物重衣料を中心に苦戦し」た。

時計や宝飾など一部高額品(美術、宝飾、貴金属は6.6%減)が比較的堅調だった雑貨(18.9%減)も、化粧品(26.4%減)が大きくマイナスしたことから、全体では2割近く減少した。

全国の百貨店の2月の営業日数は前年より1日多い28.7日、115店舗の回答によると、入店客は16店が増え、78店が減ったとし、84店舗の回答によると2月の歳時記(バレンタインデー、節分)の売り上げについては11店が増え、47店が減ったとしている。東京地区(12社25店)の2月の売上高(店舗調整後)は同12.8%減の1015億5114万円と5カ月続けてのマイナスとなった。

国内91店舗の訪日外国人観光客需要の2月の売上高は同65.4%減の約110億2000万円と2カ月ぶりにマイナスとなり、国内の百貨店に占めるシェアが3.0%としている。

このうち、一般物品売上高は同64.2%減の約55億円で、4カ月ぶりに前年を下回った。化粧品や食料品などの消耗品売上高が同66.5%減の55億2000万円、購買客数が同68.3%減の約13万4000人と2カ月ぶりにマイナスとなり、1人あたりの購買単価が同9.0%増の8万2000円で、3カ月続けて前年を上回った。

人気のあった商品は1位が化粧品(2018年1月から2020年1月まで1位)、2位にハイエンドブランド(2018年1月から2019年4月まで2位、5月3位、6月から1月まで2位)で9カ月連続で2位、3位が食品(2018年1月4位、2月3位、3月5位、4月3位、5月4位、6月から2019年4月まで3位、5月2位、6月、7月3位、8月4位、9月から1月まで3位)で、6カ月連続で3位だった。

4位が婦人服飾雑貨(2018年1月3位、2月4位、3月3位、4月5位、5月3位、6月から2019年7月まで4位、8月3位、9月から1月まで4位)で6カ月連続で4位だった。5位に婦人服(2020年1月5位)で、2カ月連続5位だった。

免税手続きカウンターの来店国別順位は1位が中国本土(2018年1月から2020年1月まで1位)、2位は台湾(2018年1月と2月3位、3月4位、4月3位、5月から1月4位、2月3位、3月から6月4位、7月3位、8月4位、9月から11月2位、12月と1月3位)で3カ月ぶりに2位を回復した。

3位が香港(2018年1月2位、2月4位、3月3位、4月4位、5月と6月3位、7月2位、8月と10月3位、11月と1月2位、2月4位、3月から6月3位、7月2位、8月から11月まで3位、12月と1月2位)で、3カ月ぶりに下がった。4位に韓国(2018年1月4位、2月から6月2位、7月3位、8月から10月2位、11月から2019年1月まで3位、2月から6月2位、7月4位、8月2位、9月から1月まで4位)で6カ月連続だった。

5位にタイ(2018年1月から10月5位、11月と12月6位、2019年1月から8月5位、9月6位、10月から1月まで5位)で5カ月連続、6位にシンガポール(2018年1月から10月6位、11月と12月5位、2019年1月から8月6位、9月5位、10月から1月まで6位)で5カ月連続、7位がマレーシア(2018年1月から1月まで7位)と変わらなかった。

「勝牛トリトン」等で牛ロースとサーモンのカツ膳

【銀座新聞ニュース=2020年4月2日】サムギョプサル専門店び「ベジデジや」や牛カツ専門店「牛カツ京都勝牛」などを展開するゴリップ(東京本部・品川区西五反田8-3-6、TK五反田ビル、03-5623-2121)は4月1日から「牛カツ京都勝牛晴海トリトン店」(中央区晴海1-8-1、トリトンスクエア、03-6228-2990)など全国の約60店舗で「牛ロースカツ&サーモン大トロカツ膳」を販売する。

「牛カツ京都勝牛晴海トリトン店」などで4月1日から販売する「牛ロースカツ&サーモン大トロカツ膳」。

赤身と脂身のバランスがよく、牛肉本来の味わいを楽しめる「牛ロースカツ」とサーモンの大トロを使った「サーモンの大トロカツ」を乗せた、2種類のカツを味わえるカツ膳で、みぞれポン酢とすだちにつけて食べる。

麦ごはん、キャベツ、赤だしがついて(ごはん、キャベツ、赤だしはおかわり自由)、価格は税別1480円。

ゴリップは2005年5月に1976年京都府京都市生まれの勝山昭(かつやま・あきら)さんが設立し、同年にサムギョプサル専門店「ベジテジや」を開業し、2014年1月に熟成牛ステーキ専門店「ゴッチーズビーフ(Gottie’s BEEF)」、2014年11月に牛カツ専門店「京都勝牛」、2016年1月に肉が旨いカフェ「ニックストック(NICK STOCK)」を開業した。

ゴリップは2005年5月に1976年京都府京都市生まれの勝山昭(かつやま・あきら)さんが設立し、同年にサムギョプサル専門店「ベジテジや」を開業し、2014年1月に熟成牛ステーキ専門店「ゴッチーズビーフ(Gottie’s BEEF)」、2014年11月に牛カツ専門店「牛カツ京都勝牛」、2016年1月に肉が旨いカフェ「ニックストック(NICK STOCK)」を開業した。

2017年11月に副社長の洪大記(こう・だいき)さんが社長に昇格し、勝山昭さんは最高顧問に就任、その後、2017年に設立した飲食業のジーホールディングス(品川区西五反田8-3-6、TK五反田ビル)の社長でもある原信吾(はら・しんご)さんがゴリップの社長を務めている。現在、6業態で国内で約90店舗を運営、そのうち、「牛カツ京都勝牛」は国内で約60店、海外では韓国、台湾、カナダに17店を展開し、2020年にタイ、香港に出店する予定。

営業時間は11時から23時(土・日曜日、祝日22時)。

「狂気」が魅力の源泉を再確認させられた「黙示録ファイナル版」(286)

【ケイシーの映画冗報=2020年4月2日】今回、予定していた「ハリエット」ですが、一連の新型コロナウィルスの問題から、上映が延期となりました。他にも多くの映画の劇場公開が未定や延期となり、現在撮影中、あるいは企画中の作品にも影響が出ているので、映画ビジネス全体がおおきな試練に直面しているといえます。

現在、一般公開中の「地獄の黙示録ファイナル・カット版」((C)2019 ZOETROPE CORP. ALL RIGHTS RESERVED.)。

自分も多少の経験がありますが、映画のスタジオ撮影など「密閉された空間で多くの人間が濃密な時間を過ごす」の典型なので罹患リスクが高いものですし、撮影前の作品であっても、ネタ出しや長時間の会議などでは、舌戦がくりひろげられることも珍しくないので、映画そのものが停滞してしまうのも致し方ないでしょう。

そんななか、「もっとも難産だった映画のひとつ」である、フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola)監督の「地獄の黙示録」(Apocalypse Now、1979年)の「ファイナル・カット版」(Final Cut、2019年)が劇場公開されているというのも、なにかの符合でしょうか。

1960年代後半のベトナム。休暇中でも戦場に思いを馳せているアメリカ陸軍のウィラード大尉(演じるのはマーティン・シーン=Martin Sheen)は、軍から極秘の任務をあたえられます。エリート軍人だったカーツ大佐(演じるのはマーロン・ブランド=Marlon Brando)が、カンボジアの奥地で勝手に王国を築き、暴虐の限りを尽くしているので「抹殺せよ」というものでした。

映画の完成が遅れるに伴い、映画の制作費も当初の予定を大幅に上回り、最初の予算は1200万ドル(当時、約35億円)だったが、実際には3100万ドル(約90億円)かかった。うち、1600万ドル(約46億円)は、ユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資し、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は、日本の配給元でもある日本ヘラルドから支援されたともいわれる。結局、大ヒットにより、費用は回収されたという。

海軍のパトロールボートに乗ったウィラード大尉は、カンボジアへの航程でさまざまな事態に遭遇します。戦場とサーフィンに取りつかれた軍人や、慰問団の美女に熱狂する若い兵士たち。ベトナムの宗主国であったフランスからの入植者や、姿を見せない敵と戦う孤立した部隊。やがてウィラード大尉は不可思議なカーツの王国で、抹殺の対象であるカーツ大佐と対峙します。

構想から10年、撮影開始から完成まで4年間という歳月を要したこの作品の制作中に生まれた無数の困難は、「ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録」(HEARTS OF DARKNESS: A FILMMAKER’S APOCALYPSE、1991年)というドキュメンタリー映画となっています。

この作品を監督したのは、コッポラ監督夫人のエレノア・コッポラ(Eleanor Coppola)で、17週間の予定が61週間にまで延伸してしまったフィリピンでのロケ事情(台風によるセットの崩壊や、キャストとのトラブルなど)から、コッポラ監督の内面の苦悩が記録されており、映像化されていない部分も、エレノア自身の筆による著作に記されています。

古い映画ファンには知られていますが、本作と日本には、かなり関係があります。フィリピンで不足した機材の調達先が日本だったことや、合計500時間という膨大な撮影フィルムを前にしたコッポラ監督が逃亡し、潜伏したのが秋葉原のアパートだったという“逸話”もあります。

1970年代の秋葉原は、外国人が目立たない数少ない場所だったのです。撮影当時、“撮影で本物の死体を使った“という伝説もありました。ありえないのですが、それなりに信憑性(しんぴょうせい)もあったので、いまの世相とも重なってみえてきます。

完成作について、コッポラ監督はこう述べています。
「撮影の間に、映画は徐々にそれ自体で一人歩きをはじめていた。そして奇妙なことに、制作プロセスそのものが映画のストーリーと非常に似かよってきた。私は、監督としてのアイディアやイメージが私自身の人生のリアリティと一致しはじめたと、そして私自身が、ウィラード大尉のごとく解答を求めカタルシスを望んで、奥深いジャングルへと、河を昇りつつあることに気付いた」(月刊「スクリーン」1980年3月号)

作者自身の体験と感覚がそのまま作品に反映されるということは、あらゆる作品で普遍的な事象ですが、著作物が完全な“私感”では、読者や観客が内面世界を精緻に理解することはかなわないので、混乱するのは必定です。

日本での公開当時「戦争という信じ難い人間の狂気を新しい映像美学でとらえた熱気あふれる大作」(前掲誌)と紹介された本作ですが、この“戦争”という言葉は、他のなににでも置き換えられるのでは、とも思えてなりません。人間の狂気は戦争とはかぎらないのが現実です。

その“狂気”の部分が創作活動の原動力になっていることも、また真理なのです。日本を代表するアニメ監督の作品のキャッチ・コピーにこんな一文がありました。
「凶暴なまでの情熱が世界中に吹き荒れる!」

ある種の狂気がとてつもない魅力の源泉になることを、40年前の作品によって再確認させられたような気がしますし、時間が経っても色あせない作品が存在することを証明している作品であることも、間違いありません。

次回は未定とさせていただきますが、なんらかのかたちで映画についてお伝えしたいと考えております(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

注:ウイキペディアによると、「地獄の黙示録」は英国の小説家、ジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad、1857-1924)の小説「闇の奥」(1902年)を原作に、物語の舞台をベトナム戦争に移して翻案した叙事詩的映画だ。

1979年度のカンヌ国際映画祭で最高賞「パルム・ドール」を獲得、アカデミー賞では作品賞を含む8部門でノミネートされ、そのうち撮影賞と音響賞を受賞した。日本では1980年2月23日に公開された。

2001年に、コッポラ自身の再編集による「特別完全版」が公開され、2019年4月28日、公開40周年を記念してトライベッカ映画祭において「地獄の黙示録 ファイナル・カット」が上映された。

映画は当初、1970年代初頭に、同じ南カリフォルニア大学の映画学科に在籍していたジョージ・ルーカス(George Walton Lucas、Jr.)とジョン・ミリアス(John Milius)が共同で進めていた企画だったが、当時はベトナム戦争が行われていた最中であり、その企画は通らなかった。

後にルーカスが「スター・ウォーズ」を製作するにあたり、作品の権利をコッポラに譲り渡した。コッポラは映画化にあたり、「闇の奥」以外にもさまざまな作品をモチーフにした。映画中でT・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot、1888-1965)の「荒地」(The Waste Land)や「うつろな人間たち」(The Hollow Men)の一節が引用された。

また、ジェームズ・フレイザー(Sir James George Frazer、1854-1941)の「金枝編」(The Golden Bough)から「王殺し」や「犠牲牛の供儀」のシーンが採用されるなど、黙示録的、神話的イメージが描かれている。

この他、監督の妻エレノア・コッポラの回想録によると、コッポラは撮影の合間、しばしば三島由紀夫(みしま・ゆきお、1925-1970)の「豊饒の海」を手に取り、本作品の構想を膨らませたという。

コッポラは、映画の製作初期段階から、音楽をシンセサイザーの第一人者である冨田勲(とみた・ いさお、1932-2016)に要請していたが、契約の関係で実現には至らず、結局監督の父親であるカーマイン・コッポラ(Carmine Coppola、1910-1991)が音楽を担当した。このあたりの事情は、「地獄の黙示録 特別完全版」サウンドトラック盤のライナーノーツで、コッポラ自身が詳細に語っている。

エレノア・コッポラは、後に撮影手記「ノーツ-コッポラの黙示録」を出版した。また、彼女が撮影の舞台裏を撮影したビデオや録音テープにスタッフ、キャストへのインタビューを加えたドキュメンタリー映画「ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録」が1991年11月に公開された。

丸善丸の内で博物画展、ルドゥーテ、ナポレオン「エジプト誌」等

【銀座新聞ニュース=2020年4月1日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は4月1日から7日まで4階ギャラリーで「ボタニカルアート・博物画の世界展-植物・動物・風景・アンティーク版画」を開いている。

丸善・丸の内本店で4月7日まで開かれる「ボタニカルアート・博物画の世界展-植物・動物・風景・アンティーク版画」に出品される博物画。

植物画(ボタニカルアート)、博物画(ナチュラルヒストリー)などを扱う「オランジェリーコレクション」(狛江市和泉本町1-32-11、03-3489-3341)が主催する17世紀から20世紀にかけてヨーロッパで制作された植物画や博物画のコレクションを展示即売する。

ドイツ出身の希少な女流昆虫画家のマリア・メーリアン(Anna Maria Sibylla Merian、1647-1717)の作品、ベルギー出身で「バラの画家」として知られたピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ (Pierre-Joseph Redoute、1759-1840)のバラや樹木、フランスの軍人、政治家のナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte、1769-1821)の「エジプト誌」(1809年から1822年)などを紹介する。また、絵本のさし絵や、手軽に楽しめる好評の図譜シートも充実させている。

ウイキペディアによると、ボタニカルアート(植物画)とは古代エジプトや中国などで薬草を見分けるために図譜が作られたのがはじまりで、大航海時代になって、ヨーロッパ各国が世界各地を探検するようになり、植物学者と画家が一緒に組んで珍しい植物の詳しい絵が本国に送られ、それらの絵が英国やフランスで19世紀に大流行した。植物の姿を正確で細密に描く植物図鑑のための絵画とされている。

博物画は動物、植物、鉱物などの観察対象の姿を詳細に記録するために描かれる絵で、植物画(botanical art)と動物画(zoological art)に大別され、動物画はさらに外形を描く肖像画(portait)と内部を描く解剖画(anatomical art)に区分されている。

科学性が重視され、正確な観察には博物学や解剖学の知識も不可欠であり、学者の指示によって作画された。屋外で素早く写生する必要性から速乾性のガッシュが用いられ、後にこれを銅版画に起こし、点描で陰影をつけ手彩色も行われるようになった。19世紀に写真が登場しても、描いた者の手と認識を通した写真にはない説明性と抽象化があるため、今日でも図鑑や医学書などではイラストが用いられ続けている。

ルドゥーテは1759年南ネーデルラント生まれ、1784年から1785年にかけて「新種植物の記述」を出版し、その挿し絵を担当し、1789年に王妃マリーアントワネット(Marie-Antoinette-Josephe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine d’Autriche、1755-1793)の蒐集室付素描画家の称号を得た。

1793年に自然史博物館付植物画家、1802年から1816年にかけて「ユリ科植物図譜」を出版、1817年から1821年にかけて「バラ図譜」を出版、1822年に自然史博物館付図画講師、1827年から1833年にかけて「名花選」を出版した。1840年の没後の1843年に「王家の花束」が刊行された。

ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte、1769-1821)の皇后ジョゼフィーヌ(Josephine de Beauharnais、1763-1814)が1799年に購入し、1810年1月に離婚した後、余生を送ったマルメゾン城で250種類のバラを庭に植え、自らバラを愛でるだけでなく、後世の人々のためにと、集めたバラをドゥーテに描かせて記録に残している。今日でもバラには「ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ」という品種がある。

ナポレオンの「エジプト誌(正式書名は「ナポレオン皇帝陛下の命により出版された、フランス軍エジプト遠征中の観察・研究の集成と記述」)」は111センチ長のダブルエレファント判を含む全23巻の巨大なセットだ。

1798年にナポレオンは約5万人の大軍や学士院の協力を得て、167人の学術調査団を加え、エジプト遠征に乗り出し、そこでは、考古学、美術、博物学を中心とした綿密な調査が行われ、多くの収集品がフランスへ持ち帰られようとした。その帰途、アブキール湾において、ネルソン提督(Horatio Nelson、1758-1805)率いる英国海軍に大敗し、アレクサンドリア協定により「ロゼッタ・ストーン」をはじめとする収集品の多くが英国に接収された。しかし、調査の際作成していた多くの資料をもとに、当時のフランスが国力をあげて出版したナポレオン勅命の書が「エジプト誌」だ。

「エジプト誌」は全23巻のうち、テキスト9巻(415ミリX280ミリ)、図版14巻(735ミリX555ミリ)、うち3巻はエレファント判と呼ばれる超大判(1110ミリX730ミリ)で構成されている。本セットの古代編と博物編には計45枚のカラー図版が含まれている。資料ではカラー図版は72枚含まれることになっているが、国内所蔵のセットを調査したところ、カラー図版の枚数はさまざまで、平均すると40枚前後とされている。

オランジェリーコレクションは大根均(おおね・ひとし)さんと大根恒子(おおね・つねこ)さんが1992年10月に設立した植物画(ボタニカルアート)、博物画(ナチュラルヒストリー)などの作品を取り扱う会社で、丸善をはじめ、三越、阪急、伊勢丹、高島屋などで版画展を開いている。

開場時間は9時分から21時(最終日は16時)まで。入場は無料。