アイデムが安島太佳由「沖縄、ペリリュー等激戦地」展、戦後75年

【銀座新聞ニュース=2020年7月29日】求人広告・企画会社のアイデム(新宿区新宿1-4-10、アイデム本社ビル、03-5269-8711)が運営する写真ギャラリー「シリウス」(アイデム本社ビル2階、03-3350-1211)は7月30日から8月5日まで安島太佳由さんによる写真展「太平洋戦争激戦地慰霊景-沖縄・サイパン・ペリリュー・フィリピンを辿る」を開く。

アイデムの写真ギャラリー「シリウス」で7月30日から8月5日まで開かれる安島太佳由さんの写真展「太平洋戦争激戦地慰霊景-沖縄・サイパン・ペリリュー・フィリピンを辿る」に展示される作品。

戦争の傷跡を取材撮影している写真家の安島太佳由(やすじま・たかよし)さんが敗戦後75年目にあたる今回、太平洋戦争(大東亜戦争)で戦死した多くの兵士や戦闘に巻き込まれて命を落とした民間人への慰霊の思いを込めて激戦地の沖縄、サイパン、ペリリュー、フィリピンを訪ね、戦死者を慰霊するための碑やモニュメント、戦闘を伝える資料館の展示物、戦闘地の跡や洞窟、朽ち果てた武器の残骸など、過去を想像しながら五感を通して感じるままに撮影した写真、カラー45点を展示する。

安島太佳由さんはこのほど、写真集「太平洋戦争激戦地慰霊景-沖縄・サイパン・ペリリュー・フィリピンを辿る」(1500円)を刊行し、それを記念した写真展となっている。

ウイキペディアによると、大東亜戦争(Greater East Asia War)は1941(昭和16)12月10日の大本営政府連絡会議で支那事変(1937年7月7日以降)と「対米英戦争」を合わせた呼称として「大東亜戦争」呼称が確認され、12月12日の閣議決定で「大東亜戦争(Great East Asia War)」とし、戦時分界時期は1941年12月8日1時30分と決定した。同日内閣情報局は、アジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指す「大東亜新秩序建設」を戦争目的とした。

戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が1945年9月19日に発令したプレスコード(SCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則」)により、「大東亜戦争」の使用を避けるように指令し、12月8日(開戦4周年)以降、新聞各紙でGHQ民間情報教育局作成の「太平洋戦争史-真実なき軍国日本の崩壊」の掲載から正式に「太平洋戦争」が使われるようになった。

さらに、12月15日の神道指令で、軍国主義・国家主義を連想させるとして「大東亜戦争」呼称の使用を公文書において禁止した。1946年、法律や勅令の文言は「今次ノ戦争」と改められ、1960年頃から一種のタブー扱いとされ、「大東亜戦争」はメディアでの使用は控えられ、日本政府はGHQの政策以降、現在まで公的には「今次戦争」や「先の大戦」あるいは「第2次世界大戦」などを用いている。ただし2006年から2007年(平成18年度)の政府見解では「大東亜戦争」や「太平洋戦争」の定義を定める法令はないとされている。

1952年4月11日に公布された「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(法律第81号)によって、GHQの「大東亜戦争」呼称廃止覚書は失効している。

連合国においては、主戦場が太平洋地域であったことから「パシフィック・シアターPacific Theater(太平洋戦域)」が使用され、「the War in the Pacific (Theater)」や「WW II-Pacific Theatre」や「the Pacific Theatre in the Second World War」など第2次世界大戦の戦線・戦域名が用いられ、戦時中は「太平洋戦争」という名称が使われたことはなかった。

大東亜戦争(1937年7月からの支那事変を除く)は1941年12月8日未明(日本時間)に日本陸軍が英国領マレー半島攻撃(マレー作戦)により始まり、8日3時19分(ハワイ時間7日7時49分)に日本海軍がアメリカ軍のハワイ基地を攻撃して(真珠湾攻撃)はじまった。

しかし、8日4時20分(ワシントン時間7日14時20分)に、来栖三郎(くるす・さぶろう、1886-1954)特命全権大使と野村吉三郎(のむら・きちさぶろう、1877-1964)大使がコーデル・ハル(Cordell Hull、1871-1955)国務長官に交渉打ち切りを通告する最後通牒「対米覚書」を手交し、宣戦布告した。

英国には8日7時30分に外務省が駐日大使のロバート・クレイギー(Robert Leslie Craigie、GCMG、CB、PC、1883-1959)を呼び、ワシントンでハル国務長官に手渡したのと同文の対米「覚書」の写しを手渡し、宣戦布告した。この結果、米英に対し、宣戦布告前に攻撃するという不意打ちを行う形となった。8日、オランダは日本に宣戦布告した。

ただし、アメリカは日本海軍の暗号解読によって、日本による対米交渉打ち切り期限を3日前には予想し、対米覚書に関しても外務省より手渡される30分前には全文解読を済ませていた。

その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に12月10日に蒋介石(しょう・かいせき、1887-1975)の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、支那事変も包括する戦争となった。また、12月11日にはドイツとイタリアがアメリカに宣戦布告した。

1942年5月の珊瑚海海戦までは日本が勝利していたが、6月に行われたミッドウェー海戦で大敗し、この後はほとんどの戦いで敗戦が続き、1945年8月15日にポツダム宣言を受け入れて日本の敗戦が決定し、9月2日にアメリカ海軍の戦艦ミズーリにおいて、英国、アメリカ、中華民国、オーストラリア、フランス、オランダなどの連合諸国17カ国の代表団の臨席の下、日本政府全権重光葵(しげみつ・まもる、1887-1957)外務大臣と、大本営全権梅津美治郎(うめづ・よしじろう、1882-1949)参謀総長による対連合国降伏文書への調印がなされ、戦争が終結した。

激戦地の沖縄戦(連合軍ではアイスバーグ作戦=Operation Iceberg=、氷山作戦)は1945年3月26日から6月23日までの戦い(ただし、連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言し、最終的な沖縄守備軍の降伏調印式が行われたのは9月7日)で、沖縄本島と周辺島嶼、海域が激しい戦闘が展開され、連合軍は日本本土攻略のためのマリアナの基地と共同体制をとれる対日本本土爆撃のための航空基地確保と、日本本土進攻の補給基地の確保が目的だった。

日本軍は、大本営(主に日本海軍軍令部)が特別攻撃隊を主力とする航空攻撃により連合国軍に大打撃を与えて、有利な条件で講和を結ぼうという「一撃講和」をめざす一方で、現地の第32軍司令部は当時想定されていた本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」(持久戦)を意図するという不統一な状況だった。

日本側の犠牲者(人的損害)が陸軍戦死者が6万7900人、海軍戦死者1万2281人、捕虜が1万人、沖縄県民死者(含む行方不明)12万2228人(内民間人9万4000人)とされている(1976年3月に沖縄県が発表)。

アメリカの人的損害は総死者が2万195人(内戦死者1万2520人から1万4006人)、戦傷者5万5162人(戦闘外傷病者2万6211人)、英国の人的損害が死者85人、戦傷者82人とされている。

激戦地サイパン戦は1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘で、斎藤義次(さいとう・よしつぐ、1890-1944年7月6日)中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホランド・スミス(Holland M.Smith、1882-1967)中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が上陸し、戦闘の末に日本軍は全滅した。このサイパンの戦いにともない、海上ではマリアナ沖海戦(6月19日と20日)が発生した。

戦力は日本軍が3万1629人、アメリカ軍が6万6779人で、人的損害は日本側が戦死約3万人、捕虜が921人、民間人死者が8000人から1万人、アメリカ側が戦死3441人、戦傷が1万1685人だった。

激戦地ペリリュー戦は1944(昭和19)年9月11日から11月27日にかけペリリュー島(現パラオ共和国)で行われた、日本軍守備隊とアメリカ軍の陸上戦闘で、アメリカ側の作戦名は「ステールメイトⅡ作戦(Operation Stalemate Ⅱ)」と呼ばれた。

日本側人的損害が戦死1万0695人、捕虜202人、最後まで戦って生き残った者34人、アメリカ側が戦死2336人、戦傷8450人、戦病者2500人以上。

日本側は要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法を用いるという、日本軍が見せた組織的な抵抗戦術にアメリカ軍が苦しめられ、師団長は従軍記者らに戦闘は激しいが4日で終わるという楽観論を述べていたたが、最終的に73日もかかり、ペリリュー戦については、アメリカ軍内では日本軍の頑強な抵抗への評価が高い一方で、ペリリュー島攻略のメリットがその莫大な損失に見合うものだったのかという疑問が今日でも投げかけられている。

激戦地フィリピン戦はアメリカ、フィリピン(フィリピン・コモンウェルス、ユサッフェ、フクバラハップ)、オーストラリア、ニュージーランド、英国、メキシコと日本、フィリピン第二共和国(1943年から1945年8月17日まで存在した)の間で、1944年10月から1945年8月まで戦闘が展開され、フィリピン奪回を目指す連合国軍が勝利した。

主な戦力はアメリカ軍が125万人、フィリピン・コモンウェルス(フィリピン連邦軍)が26万0715人、日本軍が52万9802人、フィリピン第二共和国(比島愛国同志会)が約5600人。主な人的損害はアメリカ陸軍が戦死1万6043人、戦傷が5万5531人、戦病が9万3422人以上、海軍が死傷者7270人、フィリピン連邦軍が多数、フィリピン一般市民犠牲者が約100万人、日本軍が戦死・戦病死約43万人と、大東亜戦争で日米とも最大規模の犠牲者が出た戦いとなった。

この間、1944年7月22日に東条英機(とうじょう・ひでき、1884-1948)内閣が倒れ、小磯国昭(こいそ・くにあき、1880-1950)内閣が誕生した。

安島太佳由さんは1959年福岡県生まれ、1981年に大阪芸術大学写真学科を卒業、大日本印刷写真部、広告制作会社などを経て、1993年に「安島写真事務所」を設立、フリーとして活動、1995年「日本の戦争」をテーマに戦跡取材をはじめ、2010年に「若い世代に語り継ぐ戦争の記憶」プロジェクトを開始している。1994年度に文化庁芸術インターンシップ研修員に選ばれている。2002年に第8回平和・協同ジャーナリスト基金賞の奨励賞を受賞している。

開場時間は10時から18時(最終日は15時)。2日は休み。入館時にマスク着用、手指の消毒などが必要。1回あたり25人までしか入れない。

丸善日本橋で美濃桃山陶展、荒川豊蔵、河井寛次郎、金城次郎ら

【銀座新聞ニュース=2020年7月29日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月29日から8月4日まで3階ギャラリーで「数寄者の茶陶展」を開く。

丸善・日本橋店で7月29日から8月4日まで開かれる「数寄者の茶陶展」に出品される川喜田半泥子の「刷毛目茶碗 銘 いすず川」(百碗之内)。

「楽焼」などの茶陶作品をはじめ、近・現代を代表する陶芸作家が制作した茶陶の作品、重要無形文化財保持者(人間国宝)の荒川豊蔵(あらかわ・とよぞう、1894-1985)や加藤唐九郎(かとう・とうくろう、1897-1985)らが魅せられ、制作の原点となった「美濃桃山陶(みのももやますえ)」の作品を展示する。

また、荒川豊蔵、加藤唐九郎のほかに出品するのは、1960年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の候補となるも辞退した板谷波山(いたや・はざん、1872-1963)、1955年に重要無形文化財保持者に指定されるも辞退した北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん、1883-1959)、加藤唐九郎の長男、岡部嶺男(おかべ・みねお、1919-1990)、元百五銀行頭取で、3人の人間国宝を支援した川喜田半泥子(かわきた・はんでいし、1878-1963)。

1956年に重要無形文化財保持者に認定された金重陶陽(かねしげ・とうよう、1896-1967)、1970年に重要無形文化財保持者に認定された三輪休和(みわ・きゅうわ、1895-1981)、1976年に重要無形文化財保持者に認定された中里無庵(なかざと・むあん、1895-1985)、文化勲章、重要無形文化財保持者、芸術院会員などへの推挙をすべて辞退した河井寛次郎(かわい・かんじろう、1890-1966)。

1961年に重要無形文化財保持者に認定された加藤土師萌(かとう・はじめ、1900-1968)、1986年に重要無形文化財保持者に認定された藤本能道(ふじもと・よしみち、1919-1992)、1989年に重要無形文化財保持者に認定された第13代今泉今右衛門(いまいずみ・いまえもん、1926-2001)、2001年に重要無形文化財保持者に認定された第14代酒井田柿右衛門(さかいだ・かきえもん、1934-2013)。

1955年に第1回重要無形文化財保持者に認定された浜田庄司(はまだ・しょうじ、1894-1978)、1993年に重要無形文化財保持者に認定された松井康成(まつい・こうせい1927-2003)、1995年に重要無形文化財保持者に認定された加藤卓男(かとう・たくお、1917-2005)、1985年に重要無形文化財保持者に認定された清水卯一(しみず・ういち、1926-2004)、、1985年に重要無形文化財保持者に認定された金城次郎(きんじょう・じろう、1912-2004)ら。

可児市(かにし)によると、美濃桃山陶とは安土桃山時代(1568年ころから1616年ころまで)、なかでも、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし、1537-1598)が政権を握ったころ、志野焼に代表されるような、東濃地方で焼かれた陶器のことで、長い間、愛知県瀬戸市で焼かれたものと考えられ、「黄瀬戸」や「瀬戸黒」と呼ばれた。

中国やヨーロッパから陶磁器が入り、新しい文化との交流に触発され、安土桃山時代に岐阜県の美濃地方(現可児市久々利など)で新しく釉薬(ゆうやく)の掛かった焼き物が誕生し、わずか20年から30年の間しか焼かれなかったが、日本美術の転換期に開花し、当時の人々の美意識に変革をもたらしたとされている。

久々利大萱(くくりおおがや)で桃山時代の志野の窯跡を発見し、その再興に尽くしたのが人間国宝の荒川豊蔵で、そのきっかけとなったのが、名古屋の旧家所蔵の「志野筍茶碗」で、荒川豊蔵はこの茶碗を手にしたとき、底にこびりついた米粒ほどの赤い土に気づき、この赤土が瀬戸にないことから、志野は瀬戸で焼かれたという定説に疑問を持った。

多治見や可児の窯跡を調査し、久々利大萱で筍の絵のある志野の陶片を発見し、この発見は「日本の陶磁史を覆す大発見」といわれた。この発見から3年後の1930(昭和8)年、荒川豊蔵は39歳の時に大萱に窯を開き、以来、志野や瀬戸黒を再興することに半生を捧げた。

大窯は15世紀後半から造られ、地表をある程度掘りくぼめ、傾斜を利用しつつ床面を造り、粘土などで天井や壁を築いた窯跡で、以前の時代により製品を焼く温度が高くなり、釉薬をかけた多くの製品が焼かれた。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。入場は無料。

注:「浜田庄司」の「浜」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使っています。

フード協、外食6月22%減、回復傾向も、洋風FFが減、居酒屋は壊滅的

【銀座新聞ニュース=2020年7月28日】一般社団法人「日本フードサービス協会」(港区浜松町1-29-6、浜松町セントラルビル、03-5403-1060)は7月27日に6月の「外食産業市場動向調査」(全店ベース)を発表した。

ゼネラル・オイスター(中央区日本橋茅場町2-13-13)は8月1日から16日まで「エミットフィッシュバー GINZASIX」(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3575-1540)など19店で「真ガキ食べ放題」を開く。真ガキ、素焼き、カキフライ、ワイン蒸しなど6種類の真ガキ料理が90分食べ放題で昼が3690円、夜が3990円(いずれも税別)。プラス1980円で飲み放題も。2日前までの予約制。18時前と20時以降の予約で300円引き。

6月は、東京アラートの解除、全国的な県外移動自粛の解除に伴い、飲食店の営業時間制限も撤廃されたことから、店内飲食の客足が戻り始め、客数は底打ちの傾向にあるとしている。しかし、郊外や地方立地、食事主体業態で回復の兆しが比較的早く見えてきた一方で、都心部や繁華街立地、飲酒業態などは回復が遅れるなど、業態によって大きな差がみられたという。

このため、6月の外食全体の売り上げは前年比21.9%減と4カ月連続のマイナスで、4月や5月より回復傾向にあるものの、大幅な減少が続いている。特に「居酒屋・パブレストラン」の売り上げは前年の4割に届かず、依然として壊滅的な状況にあるとしている。

全業態で6月の店舗数は同1.4%減、客数が同25.4%減、客単価が同4.7%増だった。

6月の業態別の売上高では、ファーストフード(FF)業態が店内飲食が回復する一方で、4月、5月の売り上げを支えてきたテイクアウト、デリバリー需要の一部が他業態に流れ、売り上げは11.8%減と4カ月連続で下回った上、5月のひと桁台よりも悪化した。

「洋風」は、店内飲食が戻り、キャンペーンなどの奏功で好調なところもあったが、持ち帰りの特需が一服したことで、4月(2.8%増)、5月(10.9%増)の好調を維持できず、3.9%減と3月以来3カ月ぶりにマイナスに転じた。「和風」は、持ち帰り需要の一服で緩やかな回復にとどまり、5月(15.2%減)とほぼ同じ同13.2%減、「麺類」は、商業施設立地店の回復がやや遅く、やはり5月(49.4%減)とほぼ同じ同36.5%減、「持ち帰り米飯・回転寿司」は、回転寿司などで店内飲食の回復が顕著で、持ち帰り需要は一服したものの、6.9%減と5月(10.0%減)よりも改善した。

ファミリーレストラン(FR)業態は同26.5%減と4カ月続けてマイナスだったものの、5月(49.4%減)よりも改善した。他業態と比べれば店内飲食の戻りが早く、引き続きテイクアウトにも力を入れた結果としている。

「洋風」と「和風」は、徐々に客足が戻り、それぞれ32.1%減、31.8%減だった。テイクアウトとデリバリーの強化で比較的堅調だった「中華」は、引き続き回復傾向で、同12.8%減、「焼肉」は自粛解除後のファミリー層などの外食需要の受け皿となり、急速に回復し、同11.3%減だった。

パブ・居酒屋業態は同60.1%減と5カ月続いてマイナスだった。飲酒業態は、多くの店で営業再開を始めたものの、コロナ禍で法人需要が見込めず、個人客についても主力の繁華街立地での戻りが悪い中、一部では集客の見込めない店舗の休業・閉店を予定しており、「パブ・ビアホール」は同65.8%減、「居酒屋」は同58.5%減と、3月の売上急降下以来、壊滅的な状況が続いている。

ディナーレストラン業態も「パブレストラン・居酒屋」と同様に厳しい状況が続いており、一部では高価格帯の弁当が好評で売り上げを下支えしたものの、法人需要や繁華街での集客が見込めない中、同43.0%減となった。

喫茶は同38.0%減と5カ月続けてマイナスだった。多くの店が営業を再開したものの、土日曜日は休業する店舗、ビジネス街立地で集客不振の店舗があったという。

日本フードサービス協会の統計は会員が203事業者数(2020年5月208、4月191、3月203、2月205、1月188、2019年12月191、11月186、10月187、9月189、8月188、7月192、6月193、5月192、4月197、3月196、2月199、1月199、2018年12月197、11月202、10月201、9月199、8月190、7月194、6月200、5月204、4月207、3月200、2月195、1月192)。

店舗数が3万8139店(3万8059店、3万7982店、3万9165店、3万9662店、3万5001店、3万5583店、3万5342店、3万5005店、3万5237店、3万5544店、3万5390店、3万5617店、3万5646店、3万5763店、3万5798店、3万6467店、3万6659店、3万6637店、3万6567店、3万6380店、3万6602店、3万6572店、3万6524店、3万6689店、3万7232店、3万6843店、3万6759店、3万6359店、3万6197店)が対象。

内訳はファーストフードが52社(54社、50社、53社、55社、49社、52社、50社、52社、51社、52社、52社、55社、57社、56社、57社、57社、56社、58社、57社、60社、57社、59社、61社、61社、60社、59社、55社、54社)、2万1806店(2万1703店、2万1821店、2万1552店、2万2261店、1万8957店、1万9369店、1万9273店、1万9217店、1万9118店、1万9275店、1万9131店、1万9326店、1万9370店、1万9461店、1万9444店、1万9913店、2万0219店、1万9954店、1万9990店、1万9844店、2万0086店、2万0001店、2万0024店、2万0163店、2万0603店、2万0023店、2万0571店、1万9689店、1万9768店)。

ファミリーレストランが55社(56社、54社、55社、55社、50社、50社、50社、51社、49社、49社、49社、52社、50社、52社、50社、57社、52社、53社、52社、52社、51社、52社、50社、53社、52社、54社、56社、52社、52社、50社)、1万0638店(1万0753店、1万376店、1万395店、1万534店、9556店、9601店、9667店、9338店、9569店、9646店、9578店、9749店、9667店、9629店、9622店、9838店、9770店、9814店、9847店、9759店、9848店、9778店、9848店、9921店、9911店、9875店、1万0061店、9187店、9946店、9773店)。

パブ・居酒屋が34社(35社、32社、36社、35社、34社、33社、32社、31社、34社、31社、34社、35社、31社、33社、33社、33社、32社、33社、32社、34社、33社、32社、30社、33社、34社、34社、33社、32社、31社)、2305店(2332店、2476店、2849店、2771店、2326店、2254店、2253店、2198店、2401店、2312店、2366店、2335店、2317店、2366店、2395店、2378店、2296店、2388店、2335店、2393店、2381店、2241店、2193店、2271店、2361店、2245店、2467店、2247店、2202店)。

ディナーレストランが28社(32社、26社、28社、29社、26社、27社、26社、25社、26社、25社、26社、23社、25社、26社、25社、25社、26社、25社、26社、26社、26社、23社、23社、24社、25社、26社、26社、26社、27社)、1141店(1182店、1114店、1177店、1071店、983店、1046店、1032店、991店、988店、1006店、911店、991店、997店、1003店、999店、1010店、1007店、1013店、1012店、1010店、959店、999店、1004店、999店、1000店、1002店、978店、1017店)。

喫茶が17社(16社、14社、15社、14社、13社、13社、12社、12社、13社、15社、14社、13社、13社、13社、15社、14社、14社、14社、16社、16社、14社、15社、15社、15社、15社、17社、16社、16社、16社)、2067店(1886店、2004店、2049店、1876店、2042店、2048店、1856店、2020店、2040店、2041店、2037店、2038店、2040店、2033店、2062店、2057店、2063店、2062店、2064店、2054店、2059店、2061店、2097店、2081店、2130店、2239店、2229店、2227店、2164店)。

外食産業(上場企業)の売上高上位4社の6月の既存店売上高は1位のゼンショーホールディングス(すき家、国内店舗数1939店)が同8.7%減と4カ月続けてマイナス、2位のすかいらーく(全グループ、国内外店舗数3261店)が同30.6%減と7カ月続けてマイナス、3位の日本マクドナルド(国内店舗数2910店)が同3.2%減と3カ月ぶりにマイナス、4位のコロワイド(全グループ、国内外2665店)が同28.7%減と4カ月続けてマイナスだった。

インドで感染者数が100万人突破、ネスカフェが消えた(29)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年7月24日】7日17日、感染者数がついに100万人を越えた(死者数2万5602人)。予想していたこととはいえ、今月半ば過ぎでミリオンとは、驚くべきスピードで、前日に既に1日の感染者数は2万8000人以上と、ブラジルを抜いて、アメリカに次ぐ世界第2位となった。

雨季の晴れ間のベンガル海は、色も青みを増して壮麗、無人に等しい浜を独り占めして、既に高い陽射しを避けて、西に向かって歩いた。

1日の感染者数は3万人近く、まこと天井知らずで、この勢いでいくと、末には、150万人台、来月になっても、感染拡大が止まらなければ、ブラジルを抜いてしまうかもしれない。

何せ、13億人以上の膨大な人口、比率からいっても、ゆくゆくアメリカを抜いて世界ワーストになってもちっともおかしくない。確かに回復率は世界平均に比べ高いし、致死率も低いのだが、現状では、陽性率に回復率が追いつかず、どんどん増えていっている。

当オディシャ州(Odisha)も、1万6110人(死者数83人)、ただし、回復率は73%近くと(陽性者5124人)、ピークはこれからといえ、まだ希望が持てる。 しかし、州政府は17日の21時から31日真夜中まで2週間の完全封鎖を、感染拡大中のガンジャム(Ganjam)、コロダ(Khordha)、カタック(Cuttack)、ジャイプール(Jaipur)、ラウケラ(Rourkela)のレッドゾーン5地方に発令、警戒を強めている。なお、グリーンゾーンのプリー(Puri)地方の陽性者は86人(死者数2人)である。

インドではポピュラーでおなじみのネスカフェ。ロックダウン下、瓶入り(クラシック)が入手不可になって、1回飲みきりの小袋(サンライズ)をまとめて買って代用しているが、使い勝手が悪い上、味も落ちる。

インド全土拡大に歯止めがかからず、過去2カ月以上に及んだあの厳格なロックダウン(都市封鎖)は一体何だったのかと首を傾げたくもなるが、少なくとも病床数を増やしたりの医療体制を整えるための時間稼ぎはできたわけで、早期の全土封鎖に踏み切らなければ、ミリオン突破はあれよあれよで始末に負えない事態になっていただろう。

●コロナ余話/コロナ下の物資不足

ロックダウン118日目に入り、当地プリーでは、インドでも著名なインスタントコーヒー・ブランド、「ネスカフェ」の瓶入りが入手不可になった。代用に、1回で飲みきりの小袋入りを利用しているが、不便だ。

他にも、トイレットペーパーが手に入らず、ティッシュで代用していたが、先般久々にロールペーパーにお目見えした。

ロックダウン下トイレットペーパーが不足し、ティッシュペーパーで代用していたが、最近やっと入手できた。現地では、排泄後の処理方式は水なので、ロールペーパーは外国人用か、ナプキン代わりに使われる。

南隣のアンドラプラデシュ州(Andhra Pradesh)からの搬入品もある他、州都経由の品々も多いので、長期のロックダウン下の影響は日常生活にも出始めている。

●身辺こぼれ話/爽快な朝のベンガル海

昨朝、雨で日課の散歩に出れなかったので、今朝は勇んで浜に出かけたが、雨雲がだいぶ吹き払われ、西側は青空が覗いていた。爽やかな蒼穹に、ここしばらくの体調不良も払われるようで、ほっと息をつく心地だった。

コロナ前は日没時の散歩主体だったが、朝の海は清々しく、ロックダウン下1日を心地よく始めるには願ってもない儀式となりそうだ。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

7月22日現在、インドの感染者数は119万3078人、死亡者数が2万8732人、回復者が75万3050人、アメリカ、ブラジルに次いで3位になっています。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、さらに30日に7月31日までの延長を決めました。著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています。また、タージ・マハルも開放する方針を撤回して、引き続き閉鎖されています)

マイナビが東急プラザ銀座屋上にビアガーデン、1日10組

【銀座新聞ニュース=2020年7月27日】人材派遣や人材紹介などの人材広告企業、マイナビ(千代田区一ツ橋1-1-1、パレスサイドビルディング)の100%出資の子会社で、飲食店を展開するマイナビリテイリング(千代田区一ツ橋1-1-1、パレスサイドビル、03-6267-4191)は7月28日から東急プラザ銀座(中央区銀座5-2-1、080-4622-9526)の屋上にビアガーデン「MOET&CHANDON PoolSide SkyTerrace-TOKYU PLAZA GINZA-Produced by Mynavi Retailing」を開店する。

7月28日から期間限定で東急プラザ銀座屋上のテラス席に開店される「モエエシャンドン・プールサイド・スカイテラス・東急プラザ銀座・プロデュース・バイ・マイナビリテイリング」(MOET&CHANDON PoolSide SkyTerrace-TOKYU PLAZA GINZA-Produced by Mynavi Retailing)。1日10組限定で提供される。

新型コロナウイルスの感染の拡大に伴い、本格的な夏を楽しむイベントが相次ぎ中止になっている中、安心安全、感染防止対策を徹底しながら東京を盛り上げたいということから、東急プラザ銀座の屋上にビアガーデンを開店する。

今回は、テラス席に限定し、来場者を1日10組に制限し、検温やスタッフのマスク着用、アルコール消毒を全席に設置し、安全な距離を取れる席の配置という感染防止対策を施したうえで店を運営する。

120分飲み放題コース(1人税込9000円)で、メニューはモエエシャンドンミニボトル1本、チーズの盛り合わせ、生ハムとメロン、ソーセージ3種盛り合わせ、はだのふぁーむ( 神奈川県秦野市戸川594、0463-80-6401)産直野菜のバーニャカウダ、帆立貝と玉ねぎのスープ、大海老のタブーレ、仔羊背肉のロースト、フルーツのシャーベット(スイカ、メロン、白桃、バナナ)になっている。

飲み放題は生ビール、ハイボール、レモンサワー、グラスワイン(赤、白)、焼酎(麦、芋)、コーラ、ウーロン茶、オレンジジュース、グレープフルーツジュース。

皿などの食器は竹とサトウキビの繊維で作った紙の器「ワサラ(WASARA)」を使用しており、「ワサラ」は埋めると90日で堆肥化される。

営業時間は17時から22時。料金は120分飲み放題コース、1人税込9000円。