永谷商事、桃川鶴女が深川七福神めぐり

【銀座新聞ニュース=2020年1月3日】不動産会社で都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は1月10日に桃川鶴女さんによる「講談師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

1月10日に開かれる「講談師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」で、「深川七福神めぐり」を案内する桃川鶴女さん。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。例年、1月は東京の主要な七福神めぐりを開いており、第1弾の「七福神めぐり・深川」、第2弾の「七福神めぐり・谷中」、第3弾が「七福神めぐり・日本橋」を予定している。10日は第1弾で、真打の講談師、桃川鶴女(ももかわ・つるじょ)さんが「七福神めぐり(深川)」を案内する。

地下鉄東西線「門前仲町駅」から恵比須神の「富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)」(江東区富岡1-20-3、03-3642-1315)、弁財天の「冬木弁天堂(ふゆきべんてんどう)」(江東区冬木22-31、03-3641-9051)、福禄寿の「心行寺(しんぎょうじ)」(江東区深川2-16-7、03-3641-2566)、大黒天の「円珠院(えんじゅいん)」(江東区平野1-13-6、03-3641-0491)を歩く。

その後、毘沙門天の「龍光院」(江東区三好2-7-5、03-3642-3437)、布袋尊の「深川稲荷神社(ふかがわいなりじんじゃ)」(江東区清澄2-12-12、03-3641-8059)、寿老神の「深川神明宮(ふかがわしんめいぐう)」(江東区森下1-3-17、03-3631-5548)と回り、その後、お江戸日本橋亭に移り、昼食後、日本橋お江戸寄席を鑑賞する。

深川七福神は3カ所の神社と4カ所の寺で構成されており、富岡八幡宮の恵比須神から深川神明宮の寿老神を回るか、その逆のコースが巡りやすい道順になっている。徒歩で約2時間のコースという。ウイキペディアによると、明治末期ごろにはじまり、1945年の東京大空襲により、安置してあった各社寺が全焼したため、一時中断されたが、1970年正月に復活した。1月1日から15日までの正月の開帳期間には、色紙、笹、鈴などの授与がある。初穂料は色紙が1000円、御朱印が100円、福笹が1000円、お鈴が300円。

富岡八幡宮は「深川八幡」ともいい、1624年に菅原道真(すがわらの・みちざね、845-903)の後裔といわれた長盛法師(ながもり・ほうし)が神託により砂州であった永代島(えいたいじま)と呼ばれていた現在地を干拓し、八幡宮を建立したことが創建とされる。創建当時は「永代八幡」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより6万508坪の社有地があった。

八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡さま」として親しまれ、広く美麗な庭園は人気の名所であったという。周囲には門前町(現門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ、商業地として重要視された。明治維新後の社格は、准勅祭社とされ、同制度の廃止後は延喜式神名帳に記載がないため府社とされたが、皇室の尊崇を受け続けた。永代寺については、神仏分離令によって廃寺となり、現在の永代寺は1896年に再建された。

江戸時代の測量家である伊能忠敬(いのう・ただたか、1745-1818)は深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年に境内に銅像が建立された。江戸勧進相撲の発祥の地としても知られ、境内で本場所も開かれた。特に明治維新以降、幕府や大名家の加護を失った相撲界が、神道との関わりを強調することで生き残りをはかったこともあり、富岡八幡宮と相撲との結びつきが強まった。現在も新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われている。

「冬木弁天堂」は材木商の冬木五郎右衛門直次(ふゆき・ごろうえもん・なおつぐ)が1654年に江州竹生島(滋賀県、ちくぶしま)の弁財天の分霊を日本橋茅場町の邸内にまつり、1705年に孫の冬木弥平次(ふゆき・やへいじ)が茅場町から深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置した。そのため、いまでもこの町を冬木町という。

この弁財天は、等身大の裸形弁天にして、毎年1回衣装の着替行事をおこなってきたが、1923年の関東大震災により焼失した。1870年に冬木弁天は一般に参詣を開放し、万徳院の境外仏堂となり、1955年に真言宗系の単立寺院として独立した。現在の弁天堂は1953年に再建された。尾形光琳(おがた・こうりん、1658-1716)が、冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために描いた秋草の小袖が上野国立博物館に保存されている。

「心行寺」は1616年に京橋八丁堀寺町に創立され、開山は観智国師(かんちこくし、慈昌=じしょう、1544-1620)の高弟、光蓮社団誉一露屋道(こうれんしゃだん・よいちろ・おくどう)、開基は岩国城主の吉川監物(きっかわ・けんもつ、経幹=つねまさ=、1829-1867)の室、養源院殿(ようげんいんどの)とされている。

1633年に現在地の深川寺町に移転し、「御朱印地・拝領地寺社帳」によれば、当時は間口四十二間、奥行四十二間、1764坪の境内地で現在もほぼ当時の面影をとどめている。旧本堂庫裡は関東大震災により焼失し、1932年に再建され、1945年3月に戦災により焼失し、現本堂は1967年に完成した。

「円珠院」は浄心寺の塔頭(たっちゅう)のひとつで、義勝院日演(ぎしょういん・にちえん、?-1741)が開山、旗本の永見甲斐守(ひみ・かいのかみ)の娘で、長崎奉行の永井讃岐守直允(ながい・さぬきのかみ・なおちか)の後室となったお寄の方(円珠院殿妙献日寄大姉、?-1730)が開基となり、創建した。江戸時代から「深川の大黒天」として知られた。

「龍光院」は1611年に日本橋馬喰町に創建され、江戸大火災でたびたび焼失し、1682年に深川の地へ移転し、鬼門除けとして境内東北角に、石造の毘沙門天が安置され、1936年には毘沙門堂が建立された。1945年に戦災のため、堂宇は焼失したが、復興し、1975年に木彫の毘沙門天が安置された。

「深川稲荷神社」は1630年の創建で、以前は旧町名の「西大工町」にちなんで「西大稲荷」と呼ばれていたが、1923年の関東大震災後の区画整理により町名が変更し、1952年ころから深川稲荷神社と呼ばれている。神社の裏の小名木川は、江戸時代初期から、船の往来が盛んで、付近一帯に船大工が住み、船の修繕、造船をしていたので、この町名が生まれたとされている。神社は、無住社で町会によって管理運営されている。

「深川神明宮」は1596年に大阪摂津の漁民だった深川八郎右衛門(ふかがわ・はちろうえもん)が一族を引き連れて移り住み、葦の生い茂る三角州の深川一帯を開拓し、まだ住む人もいないころに、徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)が巡視した際に深川八郎右衛門に地名を尋ねると、地名がないとわかり、徳川家康が深川八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じた。

以来、深川八郎右衛門は屋敷のうちに小さな祠(ほこら)を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の大神の分霊をお祀りしたのが深川神明宮の起源とされている。深川の地は江戸の繁栄とともに賑やかな町となり、深川氏は開拓の功績により代々深川二十七カ町の名主を務め、深川氏は1757年に7代で断絶するも、菩提寺の泉養寺(市川市国府台)に今も墓所が残っている。

桃川鶴女さんは大阪府池田市生まれ、歌手の舟木一夫(ふなき・かずお)さんの育ての親とされる「第一共永」社長の自宅に歌手修業を兼ねて住み込み、スクールメイツ養成所「東京音楽学院」で学び、1973年に田辺一鶴(たなべ・いっかく、1929-2009)に入門した。

カバン持ちを経て、1974年に前座名「田辺益子美」で初高座、1976年に二ツ目、1978年に講談バスで都内歴史案内を受け持ち、1985年に真打に昇進し、「田辺鶴女」を襲名した。2004年に「桃川鶴女」に改名、田辺一門より独立した。現在、講談協会監事。

時間は10時から16時で、10時に地下鉄東西線門前仲町駅1番出口に集合して、昼ころまでに終えて、お江戸日本橋亭に移り、13時30分から「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。希望者は永谷商事まで電話で申し込む。

日本橋三越で江戸消防記念会がまとい振り、木遣唄等

【銀座新聞ニュース=2020年1月2日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は1月4日11時10分から本館1階中央ホールで江戸消防記念会第1区による「木遣り唄、まとい振り、はしごのり」を開く。

4日に江戸消防記念会第1区が披露する「まとい振り、はしごのり」の過去の画像。

社団法人「江戸消防記念会」(新宿区四谷三丁目10、消防博物館9階、03-5269-7210)の第1区(神田川、隅田川、月島・晴海から東京湾、東京駅から丸の内を範囲とする)のメンバーによる「新春はしご乗り」と「まとい振り」や「木遣(きや)り唄」を披露する。
江戸時代の消防団は1719年に大岡越前守忠相(おおおか・えちぜんのかみ・ただすけ、1677-1752)がとび職人を中心に「いろは四十八組」の町火消として江戸に組織したのがはじまりとされ、1867年に「市部消防組」となり、1914年に「江戸消防記念会」が結成され、1954年に社団法人化された。

「江戸消防記念会」は東京都23区を第1区から第11区に地域割りにし、その中で第1区は中央区全部と千代田区の1部を担当している。

「はしご乗り」とは高さ6.5メートルのはしごを使って、その上で演技する。はしご乗りの起源として、消防出初式の発端になった1659年に行われた上野東照宮前の出初めからはじめられたという説、延宝年間(1673年から1681年)に行われていた見世物「はしごさし」という説、1719年に町火消が誕生した際に、火災の方角を見るために長刺又(ながさすまた)に身軽な若者が登ったものという説がある。

町火消の中心となったのは鳶(とび)職であり、仕事前の準備運動や訓練のために行っていたといわれている。現在では、消防出初式で消防士や消防団員が披露したり、鳶職の組合が正月に披露する。

「まとい振り」は組の旗印として取り入れられ、白と黒の2色に統一されている「まとい」を振って、さまざまな技を見せる。江戸の大半を焼失した1657年の「明暦の大火」後の1658年に江戸中定火之番(定火消=じょうびけし)が設置され、江戸では、町人が住む地域の火災は「いろは」の組に分かれた町火消による消火が行われた。火災時には旗本が火消屋敷に常駐している臥煙(がえん)と呼ばれる消防員の指揮をとり出動していたが、その際に用いた馬印がまといの始まりとされている。

「木遣り唄」は複数の人員で火消しをする際に力をひとつにまとめるための掛け声や合図として唄われたもので、1956年に東京都指定無形文化財に認定されている。江戸の中期ごろには鳶職の人たちの間で盛んに歌われており、大坂城築城(1583年)のときや、大木などを運び出す掛声や音頭とりの歌が自然に起こったが、このときの歌が木遣り歌の起源とされている。

また、入宋して禅法をおさめた栄西(えいさい、1141-1215)が1202年に建仁寺を創建したとき、仕事をスムースに進めるため工事人夫に歌わせたのがはじまりとする説もある。労働歌から発祥したことで、建築そのものが慶事であったことから、木遣り歌もめでたい歌とされたとみられている。その後、町火消に伝承され、以後の組織の変遷に伴い、消防とは直接関係なく、受け継がれている。木遣り歌の数は、総数110曲から120曲といわれている。

丸善丸の内で原田泰治「故郷」版画展

【銀座新聞ニュース=2020年1月1日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月2日から7日まで4階ギャラリーで原田泰治さんによる版画展「美しい日本 ふるさとの詩」を開く。

丸善・丸の内本店で2020年1月2日から7日まで開かれる原田泰治さんの版画展「美しい日本 ふるさとの詩」に出品される「たこあげ」((C)原田泰治)。

画家でグラフィックデザイナーの原田泰治(はらだ・たいじ)さんは日本の自然豊かなふるさとの風景や古くから日本に息づく風物詩を描いており、その素朴でありながら心に届く作風で知られている。

原田泰治さんが描くふるさとの姿は、「単なる心象風景ではなく、郷土への深い愛を描いた現代の日本に残る実際のふるさとの風景」(丸善)であり、「自らのふるさとを見つめ、自然の中に慎ましやかに生きている人々の姿の大切さ、美しさを感じ取り、心を込めて」描いている。今回は日本と海外を描いた作品を高精細なレフグラフファイン版画にして展示販売する。

原田泰治さんは1940年長野県諏訪市生まれ、1963年に武蔵野美術大学商業デザイン科を卒業、故郷でデザインスタジオを開設し、デザイナーとして活動、1980年に第29回小学館絵画賞を受賞、1982年から朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界展」を連載、1989年にアメリカで展覧会を開き、1997年に長野冬季オリンピック大会の文化芸術祭に参加、1998年に諏訪湖のほとりに諏訪市原田泰治美術館(名誉館長さだまさしさん)が開館した。

2000年に日本の全国20カ所で「日本の童謡・唱歌100選展」を開き、2008年に上田電鉄1000系電車のラッピング車両「自然と友だち」のデザインを担当している。現在、日本グラフィックデザイナー協会会員、クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員、中国・上海金山農民画協会会員。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)。1月2日は19時まで、3日から通常営業。

丸善日本橋で本荘正彦、久木朋子、笠松三保子ら日本の四季版画展

【銀座新聞ニュース=2019年12月31日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は2020年1月2日から6日まで3階ギャラリーで「木版画で彩る日本の四季展」を開く。

丸善・日本橋店で2020年1月2日から6日まで開かれる「木版画で彩る日本の四季展」に出品される渡部正弥の「神城の春」。

丸善・日本橋店で新年恒例となっている木版画展で、今回は日本の四季をおりなす豊かな自然や、美しい草花、愛らしい動物など、木版画で表現する久木朋子(きゅうき・ともこ)さんをはじめ、10人以上の木版画家の作品を展示販売する。

今回、出品するのは1946年栃木県大田原市生まれ、1990年に板院展新人賞を受賞している相沢弘邦(あいざわ・ひろくに)さん、舩坂芳助(ふなさか・よしすけ)さんに師事した尾島聡(おじま・さとし)さん、1932年東京都生まれ、1962年から版画を制作している笠松三保子(かさまつ・みほこ)さん、1970年和歌山県生まれ、1993年に京都教育大学教育学部特修美術科を卒業、2000年から木版画を制作している久木朋子さん。

1963年兵庫県神戸市生まれ、1986年に京都教育大学教育学部美術科を卒業、卒業後に木版画をはじめ、1993年、2000年に日本版画協会展などで入選している本荘正彦(ほんじょう・まさひこ)さん、1936年東京都生まれ、1960年から版画を本格的に制作している前田光一(まえだ・こういち)さん。

1939年神奈川県横浜市生まれ、横浜市立大学数学科を卒業、旧建設省などを経て、「シンジュサン工房」を主宰し、じゃがいも版画を制作している山室真二(やまむろ・しんじ)さん、1948年京都府生まれ、立命館大学文学部日本文学科を中退し、1980年より詩作入りの版画を制作している山田喜代春(やまだ・きよはる)さん。

1931年山形県生まれ、1956年に中央美術研究所を修了し、1952年から1958年に自由美術家協会に出品し、自由美術家協会佳作賞を2回受賞、1955年から1958年にアンデパンダン展に出品し、1974年から1984年に主体美術展に出品している渡部正弥(わたなべ・まさや、1931-2017)。

1941年三重県生まれ、1968年に日本版画協会展奨励賞、水彩協会展版画部最高賞などを受賞している渡辺裕司(わたなべ・ゆうじ)さん、1951年愛知県名古屋市生まれ、1971年から木版画を研究し、1995年に「中山道木曽路十一宿」(12図)を完成している渡辺洋一(わたなべ・よういち)さん。

久木朋子さんのHPによると、久木朋子さんは小品を中心に約15点を出品する。

開場時間は9時30分から20時30分(2日は18時30分、最終日は17時)まで、入場は無料。

注:「相沢弘邦」の「沢」と「尾島聡」の「聡」、「山室真二」の「真」と「渡部正弥」の「弥」は正しくはいずれも旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

日本橋三越で西川幾子が舘野真由花、大城正司らとオペラ

【銀座新聞ニュース=2019年12月31日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は2020年1月3日に本館1階中央ホールで「NEW YEARオペラガラコンサート」を開く。

日本橋三越で1月3日に開く「ニューイヤー(NEW YEAR)オペラガラコンサート」に出演する西川幾子さん。

ピアノ奏者の西川幾子(にしかわ・いくこ)さんが率いる東京芸術大学出身の演奏家による新春オペラガラコンサートで、オペラアリアや器楽を演奏する。

出演するのは、西川幾子さんのほか、ソプラノの舘野真由花(たての・まゆか)さん、フルート奏者の河合雪子(かわい・ゆきこ)さん、サクソフォン奏者の大城正司(おおしろ・まさし)さん。

西川幾子さんは京都府生まれ、4歳からピアノをはじめ、中学生で「全日本学生音楽コンクール」西日本大会中学校の部第1位になり、東京芸術大学を卒業、イタリアの「シエナ・キジアーナ音楽院」でディプロマ(卒業証書)を取得、1995年と1998年に京都と東京でソロリサイタルを開き、1996年から7年間、筑波大学付属駒場中・高校で講師を務め、2000年「音楽事務所 夢工房」を設立した。現在、ピアノ活動と並行して、音楽イベントプロデュースを行っている。

舘野真由花さんは群馬県生まれ、埼玉大学教育学部音楽専修を卒業、同大学大学院(研究分野:声楽)を修了、東京芸術大学音楽学部を卒業、同大学大学院音楽研究科(修士課程)声楽専攻を修了、埼玉大在学中にイタリアに短期留学、コンクールで入賞、ソプラノソロなどを務め、国内のコンサートに出演している。第43回イタリア声楽コンコルソ・シエナ部門にて入選、第9回横浜国際音楽コンクール大学生の部第2位(最高位)、文化庁委託事業「平成29年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」新進歌手育成オーディションを通過し、マリエッラ・デヴィーア(Mariella Devia)さんのレッスンを受講している。

河合雪子さんは愛知県生まれ、3歳よりピアノ、8歳より母親の河合祥子(かわい・しょうこ)さんの指導でフルートをはじめ、第14回全日本ジュニア全管打楽器コンクールフルート部門高校の部で金賞、「第15回万里の長城杯」国際音楽コンクール管楽器部門高校の部で第3位、第18回びわ湖国際フルートコンクールジュニア部門で奨励賞。

第67回全日本学生音楽コンクール名古屋大会フルート部門高校の部で第1位、同コンクール全国大会で入選、第24回全日本クラシック音楽コンクールフルート部門高校の部で第3位、第2回刈谷国際音楽コンクールフルート部門一般の部Bで最優秀賞、第42回コンセール・ヴィヴァン新人オーディションで優秀賞などを受賞している。東京芸術大学音楽学部を卒業、卒業時に同声会賞、同大学大学院音楽研究科修士課程に在籍している。

大城正司さんは沖縄県生まれ、東京芸術大学音楽学部を卒業、同大学大学院を修了、第10回日本管打楽器コンクールで第1位、第51回ジュネーブ国際音楽コンクールセミ・ファイナリスト、2009年から2015年まで東京芸術大学講師、現在、洗足学園大学、くらしき作陽大学、都立総合芸術高校、尚美学園ディプロマコースなどで講師を務めている。

開演は12時30分、14時30分、16時の3回。それそれ20分ずつ程度演奏する。