志門で現代美術協所属「現展新春展」、青鳥華月、渡辺泰史ら84人

【銀座新聞ニュース=2021年1月4日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル、03-3541-2511)は1月5日から9日まで現代美術家協会会員有志による「第10回GENTEN現展・新春アートフェア」を開いている。

ギャルリー志門で1月5日から9日まで開かれる現代美術家協会会員による「第10回GENTEN現展・新春アートフェア」のフライヤー。

公募美術団体「現代美術家協会(現展)」の会員の有志が2012年から新年早々に「現展」を開いており、2021年も84人が参加して新作を中心に展示する。

今回、出品するのは、青鳥華月(あおとり・かげつ)さん、浅井栄子(あさい・えいこ)さん、荒井喜好(あらい・のぶよし)さん、池田春江(いけだ・はるえ)さん、石井清(いしい・きよし)さん、石川進(いしかわ・すすむ)さん、石栗伸郎(いしぐり・のぶお)さん、石黒喜子(いしぐろ・よしこ)さん、伊藤香織(いとう・かおり)さん、今井聖子(いまい・せいこ)さん。

大金郁子(おおかね・いくこ)さん、大島智子(おおしま・ともこ)さん、大森智広(おおもり・ともひろ)さん、久保明(くぼ・あきら)さん、片田真澄(かただ・ますみ)さん、木田英博(きだ・ひでひろ)さん、木村純(きむら・じゅん)さん、酒井孝彦(さかい・たかひこ)さん、佐々木美恵(ささき・みえ)さん、佐藤洋子(さとう・ようこ)さん。

清水のぶ子(しみず・のぶこ)さん、下坂卓也(しもさか・たくや)さん、庄司早苗(しょうじ・さなえ)さん、白須清敬(しらす・きよたか)さん、新堀元太(しんぼり・げんた)さん、杉山英子(すぎやま・ひでこ)さん、竹内功(たけうち・いさお)さん、田中勇(たなか・いさむ)さん、田中曽女(たなか・そめ)さん、田原夏紀(たはら・なつき)さん。

中島萌(なかじま・もえ)さん、中畑勝美(なかはた・かつみ)さん、野田光治(のだ・こうじ)さん、樋口一成(ひぐち・かずなり)さん、藤田直美(ふじた・なおみ)さん、松本久実(まつもと・くみ)さん、水上卓哉(みずかみ・たくや)さん、矢倉暢子(やぐら・ようこ)さん、山下正人(やました・まさと)さん、横田瑛子(よこた・えいこ)さん、渡辺泰史(わたなべ・やすし)さんら。

現代美術家協会によると、現代美術家協会は戦前よりあった「日本作家協会」(洋画、日本画、彫刻)の中の洋画部と「現代美術研究会」と「新生派美術協会」の3団体によって1948年11月に結成され、旧東京都美術館と銀座三越で発表した。1949年に3団体の展覧会の実績回数を基にして、第5回現代美術展を最初の公募展として、旧東京都美術館で開いた。

1954年の第10回現代美術協会展から「現代美術協会展」とし、1955年に構成部(彫刻・工芸)を新設し、1956年に構成部を分けて、宣伝美術、彫刻、写真の3部門とした。1959年の第15回現展から呼称を「現展」で統一し、現代美術協会の名称も「現代美術家協会」に改称した。1961年より千葉現展が始まり、以降、全国各地で支部が創設された。

1964年に第20回現展(記念展)を開き、絵画、彫刻、デザインの3部門とした。1974年ころから全国各地で支部主催の展覧会が開かれるようになった。1975年から部門を絵画、版画、彫刻、デザイン、写真の5部門とし、1976年から彫刻室が独立し、部門は絵画、版画、彫刻、工芸、デザイン、写真の6部門とした。2003年には部門を平面(絵画、版画、工芸、デザイン、写真)と立体(立体造形、工芸)の2部門とし、2007年から国立新美術館で「現展」を開いている。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。4日はプレオープンとして関係者を対象に公開する。

「2020年」(6.白ガラスの化身<鳥飼晃(翻訳者)の場合>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年1月3日】鳥飼晃(うかい・のぼる)はかつて、新宿御苑にオフィスを構えるフリーの翻訳者だった。53歳でリストラに遭うまでは、米外資系の大手石油会社の支店から、月間広報誌を丸々1冊請け負っていた。アメリカ本社が発行する小冊子を翻訳編集して、日本版として刊行する仕事を委託外注されていたのだ。

これ1本だけでほぼ手一杯だったが、ミステリー文庫の話が舞い込むと、最初の頃は無理してでも引き受けていた。が、労力の割に実入りが少なく、売れる保証がないものだから、印税も微々たるもので、その点、PR誌は大手の外資系企業のため、払いもよく、事務所を維持し、下訳のバイトを雇う余裕もあったのだ。

しかし、2008年のリーマンショックで、外部の人間は真っ先に首を切られる羽目に陥った。仕事に落ち度があったとは思えない。4色刷のコート紙を用いた文化の香り高い邦訳版は、社外識者にも好評を博していたし、意訳の見事さを褒められることもしばしばだったからだ。

20年以上請け負ったメインの仕事を絶たれ、収入の道が途絶えた晃はさすがに途方に暮れた。が、半年の失業保険支給期間中に、何とかコネで英和辞典の編纂スタッフの一人として雇い入れられた。地味で根を詰める作業だったが、事務所を引き払えば、中年夫婦のみの生活なので、贅沢さえしなければ、何とかやっていけた

あれから17年、辞書の仕事もすっかり板について、丸々1冊を請け負うまでのプロに成長した。

元々、辞書には人一倍の愛着を持っており、それというのも、中高時代英単語の暗記で紙を食いちぎるくらい、身を入れた学習体験があったからだ。それだけに、本望、まさに天職と言えないこともなかった。あのとき、暗記に必死になるあまりヤギのように食べた1ページ1ページが今血となり、肉となっているかのようだった。食ってしまえば、もう一度見直すことはできない、頭に徹底して叩き込むしかないと、鬼気迫る学習執念だったのである。

英語狂いの少年だったそんな自分が、晩年辞書のプロとなった身から見ると、愛おしい。古希を超えて、目も衰えてきたし、根を詰める細かい作業に携われるのもあと5年くらいかとみなすと、いっそう身が入る。

自分が編纂した辞書が子どものように可愛くてしかたない。だから、出版社の要望で、ページ数がオーバーしているので、重要性の少ない単語をカットしてくれと言われると、身を切られるように辛い。どれも必要、ぎりぎりに収めてあるから、本心は、多少コスト高でも、はしょらず全部入れてほしいのである。

血と汗の結晶の単語解説が出版社の酷な要望で、あっさり削られてしまうのは、内心憤懣やる方ない思いだ。そんなむらむらするような思いを抑えて、校了に漕ぎ着けた明け方、晃は内心に燻(くすぶ)っている怒りを発散するために、愛用の鞄をひったくって家を出た。

コロナとかいう訳のわからぬウイルスが跋扈(ばっこ)していたが、長いことこもって室内作業に熱中していた自分には関係ないこと、なんの影響も及ぼしていなかった。老妻が外出時はマスクをつけろとうるさいので、しかたなく口元を覆っていたが、その日は勇み足だったため、つけるのを忘れた。早朝で、どうせ人もいないだろう。

ふっと、遠出してみたくなって、始発電車に乗って東京駅に向かった。晃の趣味は野鳥観察である。そのため、数少ない外出の機会を逃さず、めぼしいスポットを巡る。双眼鏡とカメラに、小型のフィールドガイドは必需品だ。思い立って、列車に飛び乗り、東北まで足を伸ばし、老妻を心配させたこともあった。だいたい、校了明けの鬱憤ばらしに衝動で旅立つことが多く、行先も事前まで決めていないのだ。

創造主が創り出した美しい奇跡、天にばらまかれた珠玉の小鳥たちを仰いでいると、胸が透くような爽快感を覚えるのである。赤、青、緑、黄、橙、カラフルな天の生き物、羽があって飛べるというだけで人間より神に近いような気がする。空にはいろんなものが舞って、魑魅魍魎(ちみもうりょう)ひしめく下界と隔絶された豊穣(ほうじょう)さ、まさに美の宝庫だ。

天高く飛ぶ鷲は、地上のウイルスとは無縁に、悠々と旋回しながら、人間どもは何を恐れてうろちょろ駆けずり回っているんだと、嘲笑っているだろう。見苦しい大混乱は、高い天から見れば、蟻の行列にしか見えないはずで、ひねり潰せる豆粒だ。

ルーペを手離せない細かい机仕事をしているので、遠くを見ることは目にもよかった。近目で度の強い眼鏡をかけて、机にくっつくように作業に熱中するから、年を取って衰えた目にはよくない。白内障で視界が霞むが、手術を先延ばしにしていた。

それに、座職の運動不足解消にももってこいだった。ライフワークで、あと2冊どうしても手掛けたい辞書があるのだが、英和鳥用語辞典はその1冊だった。残された時間が少ないと思うと、老体を鞭打たずにはおれない。

そんなハードワークに身をやつしていただけに、たまの余暇に野鳥観察に出かけることは、息抜きになって、机仕事から解放されて伸び伸びするものがあった。

のめり込むきっかけは、米石油会社の広報誌の連載記事に、鳥類図鑑(フィールドガイド)という囲み記事があったことによる。さまざまな鳥の名前の邦訳を専門の辞典で調べるうちに興味を持って、空を見上げることが多くなったのだ。

我が家の猫の額ほどの庭にある金木犀には、秋になると、濃厚な甘い香りに誘われてか、満開に咲き誇ったオレンジの小花の蜜を吸いに舞い群れる緑がかった小鳥がいて、調べてみると、メジロとわかった。目の周りが白いスズメ科の、ふっくらした薄黄緑の可愛い小鳥だ。囀りもチュチュチュと耳に心地よく、そのうち水場を作ってやってしぐさや表情を観察するようになった。

程なくして、双眼鏡を買って近隣の木の多い神社や公園でバードウォッチングの真似事をするようになる。川辺で、水面すれすれに横切るように飛翔する鮮やかなコバルトブルーの尾羽のカワセミを目撃したときは、興奮したものだ。「渓流の宝石」と謳われるように美しいキングフィッシャーを目の当たりにしたことが、本格的にのめり込むきっかけとなった。

辿り着いたところは、北陸の小さな町だった。駅の近くの公園のベンチで、コンビニで買ったおにぎりを頬張った。川沿いの自然公園が野鳥観察で有名なことは人づてに聞いていた。腹ごしらえしたあと、バスで向かうつもりだった。

初秋の空は晴れ渡って青かった。つい空を見る癖がついている晃は、首が痛くなるまで見上げた。そのときだった。何やら白いものが宙を掠めたのは。あ、晃は思わず、声をあげてベンチから立ち上がった。そのまま、空を食い入るように見上げつつ、白いものをふらふらと追っていく。

食べかけのおにぎりが、地に転がるのも構わず、口をぽかんと開けたまま、必死で追跡する。もどかしげに、肩に提げたショルダーから、手探りで双眼鏡を取り出す。

世にも稀な白い渡りガラス、だった。周りに、群れの黒いカラスはいない。孤高の1羽が、カラスとは思えない優雅さで悠々と羽ばたいている。水平に広げた翼は、全長1メートル近い巨大カラスだ。一般に見られるハシブトガラスが50センチくらいだから、ゆうに2倍はある。死肉を漁る留鳥のハシブトガラスは不吉と厭われるが、ワタリガラスは善の象徴なのだ。

まさに太陽神の使いにふさわしい、神聖さだった。神社に祀られた八咫烏(やたがらす)を思い出す。遠目で3本足かどうかはわからなかったが、霊魂を運ぶ鳥とも言われでいるから、去年亡くなったお袋かもしれないと凝視した。老母も白髪、好んで白い衣装ばかり着ていたものだ。

やがて、白ガラスは、雲の中にすーっと吸い込まれるように消えた。あまりに必死に見上げたせいで、痛くなった首を元に戻し、項(うなじ)をさすりながら、もう少し近くまで舞い降りてくれれば、写真が撮れたのにと、今さらながら地団駄踏んで悔しがった。玄人はだしのバーダーたちと違って、望遠レンズの装備がないのだ。

ベンチで休もうと、後戻りすると、先程まで自分のほかは誰もいなかった場所に、1人の老婆が倒れかかるように、後ろのめりにもたれていた。近寄って、覗き込むと、割れた額から血が噴き出ていた。亡くなった母そっくりの真っ白な蓬髪だった。 垂れかかった前髪は、血糊で固まっている。

顔面は蒼白だが、意識のない体全体に不思議なオーラのようなものが漂っている。何かこの世のものではないみたいな神々しさが、粗末な着物の皺だらけの老婆から漂ってきて、晃を畏怖させたる。イタコという言葉が唐突に頭に浮かんだ。声を何度かかけたが、返事がないので、慌てて119番した。サイレンのうなり声がすぐ近くまで迫ってきた。

通りがかりの一通報者にすぎなかったが、無理やりマスクを着けさせられ、病院まで付き添いを強いられた。応急処置が施されたあと、命に別状はないというので、安定剤で眠っている老婆を後に、警察の事情聴取に付き合った。

結局、自然公園での野鳥観察は叶わなかったが、ホワイト・レイヴン、白いワタリガラスを初めて目撃しただけで大収穫、朝方の嫌な気分は吹き飛んでいた。

満たされた気持ちで新幹線に飛び乗って、夜遅く東京駅に着いたが、マスクを外した晃に、周囲から冷たい視線が集中した。渋々装着しながら、晃はふっと、老婆のことを思った。今頃意識を取り戻しているだろうか。そう、まるで、白ガラスの化身のような不思議な雰囲気を発している老女だった。

あの稀なホワイト・レイヴンは、彼女が招き寄せたものかもしれない。見上げる東京の夜空は明るすぎて、星一粒すら見えなかった(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。

ロイヤルパーク・桂花苑で広東料理フェア、有本料理長コース

【銀座新聞ニュース=2021年1月2日】不動産業界国内2位の三菱地所(千代田区大手町1-1-1、大手町パークビル、03-3287-5100)グループのホテル事業統括会社「ロイヤルパークホテルズアンドリゾーツ」が運営するロイヤルパークホテル(中央区日本橋蛎殻町2-1-1、03-3667-1111)は1月4日から2月28日まで地下1階の中国料理「桂花苑」で「広東料理フェア」を開く。

ロイヤルパークホテルの「桂花苑」で1月4日から2月28日まで提供される「広東料理フェア」のコース。

7月1日から桂花苑の料理長、有本大作(ありもと・だいさく)さんが「奏でる中国四大料理の旅」を開いており、7月から8月31日までの第1弾(第一節)「四川料理」に続き、第2弾(第二節)として9月から10月31日まで「上海料理フェア」、第3弾(第三節)として11月から12月30日までが北京料理、第4弾(第四節)として新年から2月末まで広東料理フェアを開く。

広東料理はコースで提供し、前菜盛合せ、 金華ハムにより旨味が増す塩漬け豚と干し貝柱を乾煎りして粉末にしたものを合わせ、手間暇かけて作り上げる上湯スープで仕上げた「フカヒレの姿煮・キヌガサ茸添え」、高級素材である金華ハムを使った「金華ハム入り白身魚のスチーム 野菜添え」、煮込んだエゾアワビに軽くボイルして焼いた帆立貝と、赤カブと広東白菜を合わせた「帆立貝とエゾアワビの蝦子(えびこ)煮込み」。

さらに、「和牛と青葱のスパイシー炒め」や「海老入りXO醤の炒飯」、デザートとして「杏仁豆腐ムース仕立て 」を提供する。

ウイキペディアなどによると、世界3大料理のひとつである中華料理は中国でもっとも一般的な区分法は「中華八大料理(八大菜系)」で、山東料理、江蘇料理、浙江料理、安徽料理、福建料理、広東料理、湖南料理、四川料理を指す。日本では、主に山東料理(北京料理)、江蘇料理(上海料理)、広東料理、四川料理に分類されている。

広東料理は中国南部の広東省、香港、マカオ及び海外の広東系住民の居住地区で食べられている料理のことで、潮州料理から取り入れられたフカヒレやツバメの巣を始め、貝柱、カキ、ヒラメの干物など、海産の乾物のうま味をとりいれ、総じて薄味で、素材のうま味を生かす料理が多い。

調味料として砂糖、塩、コショウ、醤油、米の醸造酒とスープを用い、ショウガ、ネギで風味を加え、油や水溶き片栗粉で照りを加える。他に食材に合わせて、オイスターソース、XO醤、魚醤、蝦醤、酢、ニンニク、腐乳、八角、豆豉なども用いられる。海鮮や高級食材を多用することから高価な料理もある。

また、「広東人は飛ぶものは飛行機以外、泳ぐものは船や潜水艦以外、四つ足は机と椅子以外、二本足は人間以外なんでも食べる」などと言われるほどさまざまな物を食材に使用している。

有本大作さんは高校卒業後、香港で5年間、修業し、1989年にロイヤルパークホテル開業時に入社、「桂花苑」で料理を担当し、2017年4月に「桂花苑」の料理長に就任した。現在、日本中国料理協会の支部長も務めている。中国料理歴は38年以上になる。

営業時間は昼が11時30分から14時30分、夜が17時30分から21時。料金は1人1万5730円(税、サービス料込み)。

銀座三越でA・レフコートがキャラクター絵画、金澤翔子が文字を受付

【銀座新聞ニュース=2021年1月1日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は1月2日から5日まで各階で「新春祭2021」を開く。

銀座三越が1月2日から5日まで各階で開く「新春祭2021」で、特別企画としてマーベルキャラクターの注文を受け付けるアリソン・レフコートさんが描いた「スパイダーマン」((C)Copyrilght 2020 Alison Lefcort)。

特別な企画として、本館5階「GINZA ジェントルマンズ ラウンジ」で現代POPアーティストのアリソン・レフコート(Alison Lefcort)さんによる「お気に入りキャラクターを描く世界に一つのオリジナルアート」を開く。

アリソン・レフコートさんは1975年生まれ、17歳でニューヨークのグリニッジ・ビレッジ・アート・ギャラリー(Greenwich Village Art Gallery)に展示され、その後、全米の画廊で紹介され、さらに世界各国でも個展が開かれている。

今回は抽選で選ばれた9人が希望するマーベルキャラクターをアリソン・レフコートさんが独自解釈して描く。サイズは大(11万円)、中(88万円)、小(66万円)の3種類で、それぞれ3人ずつに限定される。希望者はHP(https://www.mitsukoshi.mistore.jp/ginza/news_list/news_detail020.html)から登録して申し込む。渡すのは8カ月後になる。すでに受付中で締め切りは2日18時まで。

同じく、「GINZA ジェントルマンズ ラウンジ」でダウン症候群ながら「魂の書」として、人に勇気と励ましを与えている書家の金澤翔子(かなざわ・しょうこ)さんが、希望者の文字を書道で表現する。

金澤翔子さんは1985年東京都目黒区生まれ、5歳から母親の書道家の金沢泰子(かなざわ・やすこ)さんの指導で書を始め、1999年に日本学生書道文化連盟展に「龍」を出品し、銀賞(2000年銀賞、2001年金賞、2002年に金賞)、その後、矢口養護学校に進学し、2003年にステップアップアカデミー(現翔和学園)に入学し、その後、中退した。

2004年に書家としての号「小蘭」を取得、2005年に20歳で個展を開き、その後、建長寺、建仁寺などで個展を開き、奉納揮毫(きごう)もしている。国体の開会式や天皇の御製を揮毫し、2014年に紺綬褒章(こんじゅほうしょう)を受章、2019年に東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の公式アートポスター制作アーティストに就任(オリンピック部門担当)している。現在、日本福祉大学客員准教授、文科省スペシャルサポート大使。

サイズはA(1文字、22万円)、B(1文字、29万7000円)、C(2文字、38万5000円)、D(文字数相談、49万5000円)、E(文字数相談、66万円)とあり、いずれも各サイズ3人まで。上記のURLと同じく登録して申し込む。渡すのは2カ月後になる。すでに受付中で締め切りは2日18時まで。

ほかに、結婚式の予約プランやシューズオーダー会、洋服リフォームの受注会もあり、詳細は銀座三越まで。

営業時間は2日が10時から18時、3日から10時から18時。

丸善丸の内で大須賀一雄、小川幸治、久山一枝ら「年初の東京」展

【銀座新聞ニュース=2021年1月1日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は2021年1月2日から6日まで4階ギャラリーで「東京こだわりの風景画展 2021新春/年の初めの東京画」を開く。

丸善・丸の内本店で2021年1月2日から6日まで開かれる「東京こだわりの風景画展 2021新春/年の初めの東京画」に出品される小川幸治さんの「東京駅前」。

1868(慶応4)年、「江戸」が「東京」へと変わり、明治の西洋近代建築による街造り、1923(大正12)年の関東大震災、昭和の戦争(1941年から1945年)、1964(昭和39)年東京オリンピック、平成にかけてのバブルによる再開発、令和の2度目の東京オリンピックに向けて変わりゆく東京の風景。今回は東京の街への思いをそれぞれの筆に託して描く6人の画家の東京画を展示する。

出品するのは、1937年群馬県太田市生まれ、国鉄時代に機関車の運転士を務め、JR東日本国際課を経て、JR東日本絵画クラブ初代事務局長を務め、JR東日本の駅を1000点以上描いているペン彩画の大須賀一雄(おおすが・かずお)さん、1948年東京都中央区生まれ、東京芸術大学大学院修了、武蔵野美術短期大学、女子美術大学短期大学部、華学園の講師を歴任し、1972年に「サロン・ド・プランタン賞、1999年にNHK地域放送文化賞、2009年に東京都中央区文化功労者区長賞などを受賞している日本画の小川幸治 (おがわ・こうじ)さん。

静岡県生まれ、東京芸術大学工芸科を卒業、同大学大学院彫金専攻を修了、「石井幹子デザイン事務所」を経て、1971年に独立して「アトリエ」を設立、宝飾品のデザイン、制作をはじめ、1978年から水墨画をはじめ、日本水墨画賞、日本クラフト賞を受賞した水墨画や水彩画で知られる久山一枝(くやま・かずえ)さん。

1943年東京都神田生まれ、東京芸術大学美術学部工芸科卒業、1965年に電機メーカーに入社、デザイナーとして勤務し、オーディオ、ビジュアルの機器デザインを手掛け、その傍ら、東京の町を30年以上描き続けて、1990年から「東京慕情」と題して個展を開いてきた水彩画の小林征治(こばやし・まさはる)さん。

1963年東京都文京区根津生まれ、ペン画家の杉山八郎(すぎやま・はちろう、1935-2014)の子息で、「スギヤマ・アートルームギャラリーショップ」(文京区根津2-25-1、03-3823-3366)を運営するペン画の杉山浩一(すぎやま・こういち)さん、東京都生まれ、女子美術短期大学部出身で、「燦々会(さんさんかい)」と「ちくしの会」を主宰する水彩画の竹内喜久江(たけうち・きくえ)さん。

開場時間は9時から21時(最終日は16時、1月2日と3日は19時)。