「サヨナラ30分」新田真剣佑、北村匠海ら公開御礼挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年1月30日】中堅の映画配給会社のアスミック・エース(港区六本木6-1-24、ラピロス六本木)は2月1日にTOHOシネマズ日比谷(千代田区有楽町1-1-3、東京ミッドタウン日比谷、050-6868-5068)で「サヨナラまでの30分」の出演者らによる公開御礼舞台あいさつを開く。

現在、一般公開されている「サヨナラまでの30分」((C)2020「サヨナラまでの30分」製作委員会)。

1日10時の回上映前に、監督の萩原健太郎(はぎわら・けんたろう)さんをはじめ、1年前の亡くなったバンド「エコール(ECHOLL)」のボーカル「宮田アキ」役の新田真剣佑(あらた・まっけんゆう)さん、大学生でバンドの再結成を迫る「窪田颯太」役の北村匠海(きたむら・たくみ)さんが舞台に登場して公開御礼のあいさつをする。

「サヨナラまでの30分」は脚本家の大島里美(おおしま・さとみ)さんのオリジナル脚本を萩原健太郎さんが映画化した。

物語はバンド「エコール(ECHOLL)」がメジャーデビューを目前に解散してから1年後、メンバーたちの前に突然見知らぬ大学生の颯太が現れる。バンド再結成をメンバーに迫る颯太の中身は、1年前に死んだボーカルのアキで、颯太が偶然拾ったカセットテープを再生する30分だけ、アキは颯太の体を借りて入れ替わり、1つの体を共有していく。

人づきあいが苦手な颯太もアキや仲間たちと音楽を奏でる楽しさを知り、次第に打ち解けていくが、アキの恋人カナだけはバンドに戻ってこなかった。カナに再び音楽を始めてもらうため、最高の1曲を作り上げようとするが、アキと颯太の入れ替われる時間はだんだん短くなっていく。

チケットはチケットぴあを通じて31日10時から一般発売する。料金は2100円均一。

永谷商事、田辺いちかと「丸の内の歴史」を歩く

【銀座新聞ニュース=2020年1月30日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は2月4日に田辺いちかさんによる「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

永谷商事が2月4日に開く「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「歴史的建築物 東京駅周辺ぐるっと散歩」で丸の内を歩く田辺いちかさん。

永谷商事が毎月2回から3回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画で、その後、お江戸日本橋亭で寄席を鑑賞する。

今回は二ツ目の講談師、田辺(たなべ)いちかさんが「歴史的建築物 東京駅周辺ぐるっと散歩」と題して、JR東京駅からJPタワー「キッテ(KITTE)」(千代田区丸の内2-7-2)、行幸通り、丸の内仲通り、「明治生命館(外観)」(千代田区丸の内2-1-1)、「三菱一号館美術館(外観)」(千代田区丸の内2-6-2、03-5777-8600)、「東京国際フォーラム(外観)」(千代田区丸の内3-5-1、03-5221-9000)を歩いて、昼前にお江戸日本橋亭に移動して、午後から「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。

JPタワー「キッテ(KITTE)」は郵便局株式会社(現日本郵便)とJR東日本、三菱地所の共同事業により、2012年5月31日に竣工し、7月17日に開業した旧東京中央郵便局敷地に建設された超高層ビルで、建築物としては、旧東京中央郵便局舎を一部保存した低層棟商業施設「キッテ(KITTE)」と最高軒高200メートルの高層棟から構成され、旧東京中央郵便局の保存部分は免震構造で構造躯体を保存している。

敷地面積が1万1600平方メートル(3509坪)で、地下4階・地上38階建て、高さ200メートルで、延床面積が21万2000平方メートル(6万4130坪)。設計は三菱地所設計、施工が大成建設、管理運営は三菱地所プロパティマネジメント、JPビルマネジメントが行っている。

高層棟には日射遮蔽ルーバー(ひさし)と高性能遮熱断熱ガラス(Low-Eガラス)によるエアフローウィンドを採用し、床から天井まで1枚ガラスの窓(フルハイト窓)を設置しており、事務所フロアではLED照明器具の全面採用と明るさセンサーによる照明制御、自然換気窓および外気冷房の採用により、高い快適性と環境負荷低減を両立している。これらにより、東京都環境局が開いた東京都環境建築フォーラムで「東京の低炭素ビルTOP30」に選定されている。

本来の容積率は1300%だが、建築基準法第57条の2(特例容積率適用地区内における建築物の容積率の特例)により、東京駅丸の内駅舎の容積を移転して、特例容積率1520%が適用されている。

旧東京中央郵便局舎は前身である「四日市郵便役所」が1871(明治4)年の日本の近代郵便制度発足時に、大阪郵便役所、西京郵便役所(京都)と共に設けられた日本最初の郵便役所のひとつで、大阪中央郵便局とともに日本初の中央郵便局でもある(四日市郵便役所の跡地には現在は日本橋郵便局がある)。日本国内に存在する全郵便局の中枢であり、局長は現場の最高職となっている。

1933(昭和8)年から、局舎建て替えの一時期を除いて東京駅の丸の内駅舎南口前に立地している。局舎完成前の1915(大正4)年には局舎と駅舎との間を結ぶ地下通路が開通しており、ここを通じて鉄道郵便物のトロッコ輸送が行われていた。トロッコ軌道は1941(昭和16)年に廃止・撤去されたが、以後も地下通路は局・駅間の郵便物搬送に使用され、三輪式の郵便物積載台車を蓄電池式牽引車(後のターレットトラクターに類する用途のもの)で牽引して運搬する方法が採られた。この地下通路は、東京駅での鉄道郵便受渡しの終了により1978年に廃止されたが、東京駅構内部分の地下通路は現在も利用されている。

旧局舎は1933(昭和8)年より2008年まで使用され、逓信省営繕課の吉田鉄郎(よしだ・てつろう)が設計し、銭高組と大倉土木(現大成建設)が施工した鉄骨鉄筋コンクリート造で、1933年12月25日に竣工した。

ウイキペディアによると、「行幸通り」は「東京都道404号皇居前東京停車場線」が正式名称で、皇居前の和田倉門交差点から東京駅前の東京駅中央口交差点までを結ぶ特例都道で、路線延長が930メートル。帝都復興院の1923(大正12)年の関東大震災後の震災復興再開発事業の一環として、皇居の和田倉門から東京駅に通じる幅員73メートルの東京市を代表する広規格道路として建設された。

当初は道路中央から高速車線、イチョウ並木、緩速車線、歩道の配置だったが、その後、中央車線は天皇の行幸と信任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道となり一般車の通行は禁止された。その後、中央車線は再整備され、 2010年4月12日に歩道兼馬車道として交通開放された。ただし、行幸や信任状捧呈の車馬が通行する時のみは専用道として一般歩行者の通行が制限される。天皇が行幸するために利用する道路として、行幸通りとも呼ばれている。

「丸の内仲通り」は大正初期に整備され、三菱村のオフィス街として赤煉瓦建築が軒を連ねている。晴海通りから永代通りまでを結び、日比谷通りに並行しているが、晴海通りから行幸通りまでは北方向への一方通行となり、現在では行幸通りの中が廃道となり通り抜けられなくなっている。通りの両側に街路樹が施され、冬にはイルミネーションが点灯される。沿道には三菱グループ各社のビルが立ち並び、「三菱村」と称されている。通りの幅が21メートル、ビルの高さが31メートルになっている。

明治生命館は1928(昭和3)年に当時の三菱第2号館に隣接して、新社屋を建設することが決まり、指名コンペ方式で岡田信一郎(おかだ・しんいちろう、1883-1932)の案が採用された。岡田信一郎の考えによって、旧社屋も取り壊しての建設となり、1930(昭和5)年9月に起工し、1934(昭和9)年3月31日に竣工した。設計は岡田信一郎と弟の岡田捷五郎(おかだ・しょうごろう、1894-1976)兄弟、構造設計が内藤多仲(ないとう・たちゅう、1886-1970)。重要文化財として「明治生命保険相互会社本社本館」で指定されている。

大東亜戦争後は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、アメリカ極東空軍司令部として使用され、対日理事会の第1回会議は明治生命館2階の会議室で行われた。1956年にアメリカ軍から返還され、1997年に昭和の建造物として初めて重要文化財に指定された。2001年から改修工事が行われ、隣接地に30階建ての明治安田生命ビルを建設して一体的に利用することで、歴史的建造物を活用しながらの全面保存が実現した。現在も明治安田生命保険の本社屋として現役利用されており、1階には同社の「丸の内お客様ご相談センター」が設けられている。

各国が日本へ派遣した特命全権大使、特命全権公使が天皇に対して信任状を提出する信任状捧呈式の際には、東京駅丸の内口から馬車か車で皇居内の宮殿まで移動する慣例となっているが、東京駅の改装などにより、2007年4月以降は明治生命館から出発していた。2017年に東京駅前の工事が完成したことにより、同年12月11日の駐日ベナン大使の信任状捧呈から、再び東京駅前からの出発に戻っている。

三菱一号館美術館は三菱地所が運営する企業博物館で、同館の建物は丸の内最初の洋風貸事務所建築として明治時代の1894(明治27)年に建てられた(旧)三菱一号館(1968年に解体)を同社が2009年にレプリカ再建した。

1918年に「東9号館」と改称されている。英国の建築家で、三菱の建築顧問だったジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852-1920)が英国クイーンアン様式の外観を持つ煉瓦造の建築物として設計し、建設工事には曽祢達蔵(そね・たつぞう、1853-1937)現場主任があたり、直営工事による施工がなされた。

竣工当初においては、三菱合資会社本社、第百十九国立銀行(後の三菱合資会社銀行部、現三菱UFJ銀行)本店、高田商会が設けられたほか、貸事務所として坪1円から1円50銭で貸し出されたとされる。このほか、郵便局「丸ノ内郵便電信局」が1902(明治35)年11月より三菱合資会社の無償提供で本建物内一室に設けられていた。

耐震性に難のある煉瓦建築は関東大震災(1923年)で甚大な被害を被り、耐震性や土地の利用効率に優れる明治生命館などの合理的なアメリカ式オフィスビルへの建て替えも進み、高度経済成長の1959年にスタートした三菱地所による再開発事業「丸ノ内総合改造計画」により、赤煉瓦街は急速に姿を消していった。

1960年代後半になると、「東9号館」は「一丁倫敦」の面影を残す数少ない建物となっていた。特に同館は東京の近代的都市計画の出発点、近代的事務所建築の第1号として歴史的価値があり、当初の形をよく保存した明治時代の洋風建築として文化的価値も高く、研究者の間では日本銀行本店、旧赤坂離宮(迎賓館)と並ぶ「明治の三大建築物」に挙げられていた。

1967年9月に文部省文化財保護委員会は三菱地所に対し「東9号館」の文化財指定の申し入れを行い、三菱地所は無断で取り壊すことはしない旨を示したため、文化財指定は見送られた。しかし、三菱地所は1968年3月21日に解体工事を開始する旨、文化財保護委員会宛てに通告した後、同年3月22日夜間に足場を架設し、3月23日を選んで解体工事を強行した。1971年に跡地には地下4階、地上15階建の「三菱商事ビルヂング」が竣工した。

2004年に三菱地所は「丸の内再構築」の第2ステージ第1弾として、「丸ノ内八重洲ビルヂング」(1928年竣工)、「古河ビルヂング」(1965年竣工)、「三菱商事ビルヂング」(1971年竣工)3棟の区画を再開発し、その一角に超高層ビル(丸の内パークビルディング)の建設とあわせて三菱一号館をレプリカ再建する「三菱商事ビル・古河ビル・丸ノ内八重洲ビル建替計画」を発表した。

2006年に3棟の解体工事が開始され、丸の内パークビルディングが2007年2月5日に着工され、同年10月に三菱一号館を着工、2009年4月30日に「丸ノ内八重洲ビルヂング」の外壁保存部分を持つ丸の内パークビルディングとともに竣工した。その後、三菱地所運営の企業博物館「三菱一号館美術館」は竣工記念展などが催された後、2010年4月6日に正式開館した。

東京国際フォーラムは旧東京都庁舎跡地の再開発として1992年10月に着工され、1996年5月に竣工し、1997年1月10日に開館された国際コンベンションセンターだ。中心となる設計は国際コンペの結果、ウルグアイ・モンテビデオ生まれ、アメリカ・ニューヨーク在住の建築家、ラファエル・ヴィニオリ・ベセイロ(Rafael Vinoly Beceiro)さんに決まり(ラファエル・ヴィニオリ建築士事務所)、株式会社椎名政夫(しいな・まさお)建築設計事務所、株式会社現代建築研究所との共同設計の形をとり、ガラスの吹き抜けホール(ガラス棟)は「船」を題材にし、その巨大な外観と共に、構造を露出した内部が象徴となっている。

土地は2万7000平方メートル、建物が地上11階、地下3階で、延べ床面積が14万5000平方メートル。総工費は用地費を除いて1647億円。7つのホール、展示ホール、33の会議室、店、レストラン、相田みつを美術館、太田道灌(おおた・どうかん、1432-1486)の像などを備えている。運営は株式会社東京国際フォーラムで、株主は東京都、JR東日本、三菱地所、サントリー、電通、東京電力、NTT東日本、東京ガスの8社。

田辺いちかさんは福岡県北九州市生まれ、2001年に京都府立大学文学部国文学中国文学科を卒業、、2000年に在学中に中国・長安大学の日本語教師に就任、2001年に帰国し、大阪で演劇を勉強し、2003年に東京のプロダクションに所属し、舞台俳優と声優として活動、2014年に田辺一邑(たなべ・いちゆう)さんに弟子入りし、「田辺いちか」として前座、2019年3月に二ツ目に昇進した。

時間は10時から16時で、10時にJR東京駅丸の内南口に集合する。昼までにお江戸日本橋亭に移り、13時30分からお江戸日本橋亭で田辺いちかさんらの寄席となる。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

お江戸寄席は前座の昔昔亭全太郎(せきせきてい・ぜんたろう)さん、二ツ目の春風亭昇々(しゅんぷうてい・しょうしょう)さん、田辺いちかさん、真打の橘家竹蔵(たちばなや・たけぞう)さん、太神楽の鏡味味千代(かがみ・みちよ)さん、真打の昔昔亭桃太郎(せきせきてい・ももたろう)さんが出演する。

丸善丸の内で砥部焼展、勝部東一、芥川正明、岡田威ら

【銀座新聞ニュース=2020年1月29日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月29日から2月11日まで4階文具売場イベントスペースで「砥部焼展-暮らしを彩る『用と美』の器」を開いている。

丸善・丸の内本店で2月11日まで開かれている「砥部焼展-暮らしを彩る『用と美』の器」のフライヤー。

愛媛県伊予郡砥部町を中心に作られる陶磁器「砥部焼(とべやき)」は国の伝統工芸品に指定され、今年で240年の歴史を迎え、現在も100ほどの窯元が制作している。その中で、今もつくり続ける「梅野精陶所」(梅山窯=ばいざんがま)の作品を紹介してきた。

今回は「勝部製陶所(東吉窯=とうきちがま)」の勝部東一(かつべ・とういち、1942年生まれ)さん、梅野精陶所で修業した「中田窯」の中田正隆(なかた・まさたか、1946年生まれ)さん、梅野精陶所で修業した「工房芥川」の芥川正明(あくたがわ・まさあき、1950年生まれ)さん。

梅野精陶所で修業した「岡田陶房」の岡田威(おかだ・たけし、1962年生まれ)さん、「雲石窯(うんせきがま)」の山田雅之(やまだ・まさゆき、1964年生まれ)さん、、「岩田製陶所(貞山窯=ていざんがま)」の岩田健二(いわた・けんじ、1969年生まれ)さんの6つの窯元の定番から新作まで約1500点を展示販売している。

「梅野精陶所」の「梅山窯(ばいざんがま)」(愛媛県伊予郡砥部町大南1441、089-962-2311)は梅野政五郎(うめの・まさごろう、生没年不詳)が1882年に開窯し、今も地元では最大規模の窯元で、現在は岩橋和子(いわはし・かずこ)さんが代表を務め、約50人が制作などをしている。

ウイキペディアや砥部町観光協会、砥部焼協同組合によると、「砥部焼」は大洲藩(おおずはん)9代藩主の加藤泰候(かとう・やすとき、1760-1787)の時代に、藩の財政を立て直すため、砥石くずを使った磁器づくりを命じたことが起源とされている。

奈良・平安時代から、砥部・外山の砥石山から切り出される砥石は「伊予砥(いよと)」と呼ばれ、東大寺の「正倉院文書」には「観世菩薩像造立」の料に、「伊予の砥」を用いたことが記されている。また、平安時代編さんの「延嘉式」にも伊予国産物として「外山産砥石」を随用すると記録されている。

しかし、伊予砥の生産の際に、砥石の切出しのときに出る砥石屑の処理が重労働で、その作業に御替地(伊予市)の村人が動員されていたが、負担が大きすぎて、村人は動員の免除を大洲藩に願い出るまでになった。

その頃、伊予砥の販売を一手に引き受けていた大阪の砥石問屋、和泉屋治兵衛(いずみや・じへえ、生没年不詳)が天草の砥石が磁器の原料となることを知り、大洲藩に伊予砥の屑石を使って磁器を生産することを進言した。和泉屋からの進言を受け入れ、加藤泰候は1775(安永4)年に家臣の加藤三郎兵衛(かとう・さぶろうべえ、生没年不詳)に「磁器」の生産を命じた。

加藤三郎兵衛は麻生村(現砥部町)の豪農、門田金治(かどた・きんじ、生没年不詳)に資金を出させ、現場の監督者に組頭の杉野丈助(すぎの・じょうすけ、生没年不詳)を選び、肥前の長与窯から5人の陶工を招き、五本松の上原に登り窯を築き、何回か試焼を行い、本焼も行ったが、地肌に大きなひびが入るなど、失敗の連続で、肥前の陶工は帰郷し、残された杉野丈助は本焼を続けた。最後には、赤松の薪もなくなり、家の柱や畳まで窯にくべたといわれている。

その様子を見ていた筑前の陶工、信吉(しんきち、生没年不詳)が釉薬(ゆうやく)原料の不良にあることを教え、杉野丈助は筑前に出かけ、新しい釉薬を探し、1776(安永6)年に白地に藍色の焼き物作りに成功した。これ以降、焼き物に必要な薪も近くの山々で豊富に採れたうえ、傾斜地に流れる渓流や小川は水車を据えるのに適しており、原料の砥石を砕き陶土にするのに盛んに用いられた。

やや厚手の白磁に、呉須(ごす)と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴で、一般に食器、花器などに使われ、別名「喧嘩器」とも呼ばれている。

明治以降、砥部焼は中国などの外国に「伊予ボール」の名で輸出され、向井和平(むかい・わへい、1842-1904)が制作した「淡黄磁」が、1893(明治26)年にシカゴ世界博覧会で1等賞を受賞し、砥部焼の名は世界に知られるようになり、大正期に入ると、砥部焼は輸出が7割を超えるまでになった。

しかし、大正末期から昭和初めの不況などにより、砥部焼の生産や販売は落ち込み、一方で、瀬戸や美濃などの陶器は、石炭を使った倒焔式の窯や機械ロクロや石膏型、絵付けでの毛筆から銅板印刷へと新しい技術が導入され、砥部は近代化の波から取り残された。戦後になり、1953年に民芸運動の推進者である柳宗悦(やなぎ・むねよし、そうえつ、1889-1961)らが砥部を訪れ、手仕事の技術が残っていることを高く評価した。

1956年に陶芸家の富本憲吉(とみもと・けんきち、1886-1963)も訪れ、砥部焼の近代的デザインを後押しし、それに刺激を受けた若手陶工を中心に手作りのよさを生かして、ロクロや絵付けなどの技法向上に取り組み、1976年に砥部焼が国の伝統的工芸品に指定され、1995年に砥部焼の地球儀が国連ヨーロッパ本部に設置され、2005年に砥部焼が愛媛県の無形文化財に指定されている。

砥部焼協同組合は1888(明治21)年に「下浮穴・伊予両郡陶器業組合」として創立され、1903(明治36)年に重要物産同業組合法が公布され、輸出に力を入れるため「伊予陶磁器同業組合」に改組され、1934(昭和9)年に工業組合法の施行により、「伊予陶磁器工業組合」に改組され、1944(昭和19)年に商工組合の規定に従い、「伊予陶磁器工業統制組合」に移行された。

1947年に商工協同組合法が公布され、「伊予陶磁器工業協同組合」に改組され、組合員数が40人以上になり、1949年に中小企業協同組合法により、「伊予陶磁器協同組合」に改組され、2003年に「砥部焼協同組合」に変更された。

開場時間は9時から21時(最終日は15時)まで。入場は無料。

19年映画興収は過去最高2611億円、邦画12年連続過半数、初の1200本超

【銀座新聞ニュース=2020年1月29日】松竹、東宝、東映、角川映画の映画製作配給大手4社で構成される一般社団法人「日本映画製作者連盟」(中央区日本橋1-17-12、日本橋ビルディング、03-3243-9100)は1月28日、2019年の映画概況を発表した。

2019年の映画興行収入で1位となったアニメ「天気の子」((C)2019「天気の子」製作委員会)。

それによると、映画の興行収入は前年比17.4%増の2611億8000万円で、2016年の2355億800万円を超えて過去最高となった。邦画が同16.5%増の1421億9200万円、洋画が同18.4%増の1189億8800万円で、邦画が54.4%を占め、2008年以来12年連続で邦画が上回った。ただし、邦画の興行収入は2016年の1486億800万円を下回り、過去2番目の興行収入となっている。

入場者数は同15.2%増の1億9491万人で、2016年の1億8019万人を超えて、過去最高を記録した。平均入場料金も同1.9%増の1340円と過去最高となった。

公開本数は同7.2%増の1278本と初めて1200本を超え、邦画が689本、洋画が589本で、邦画が54%を占めた。1987年から洋画が過半数を占めてきたが、2006年に邦画が逆転し、以来、14年連続で邦画が本数で上回っている。

邦画と洋画を合わせた年間のトップ10は1位が邦画「天気の子」(7月公開、140億6000万円)、2位が洋画「アナと雪の女王2」(11月公開、127億9000万円)、3位が洋画「アラジン」(6月公開、121億6000万円)、4位が洋画「トイ・ストーリー4」(7月公開、100億9000万円)、5位が邦画「名探偵コナン 紺青の拳(フィスト)」(4月公開、93億7000万円)。

6位が洋画「ライオン・キング」(8月公開、66億7000万円)、7位が洋画「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」(2018年11月公開、65億7000万円)、8位が洋画「アベンジャーズ/エンドゲーム」(4月公開、61億7000万円)、9位が邦画「キングダム」(4月公開、57億3000万円)、10位が邦画「劇場版ワンピース・スタンピード(ONE PIECE STAMPEDE)」(8月公開、55億5000万円)。

「プレフラ」YEBISU BARでエビスビール半額

(1月31日の「プレミアムフライデー」については、イベントのみを載せ、詳細と画像は省きます。詳細は各店舗まで)
【銀座新聞ニュース=2020年1月29日】サッポロライオンは1月31日に「YEBISU BAR」の「銀座二丁目店」(中央区銀座2-5-7、GM2ビル、03-3561-5234)や「銀座コリドー街店」(中央区銀座8-2-2先、コリドー街、03-3573-6501)など全国の「YEBISU BAR」(一部除く)で開店から18時までエビス生ビールを半額で提供する。

毎月、最終金曜日の「プレミアムフライデー」の日に、開店から18時まで「エビスバー(YEBISU BAR)」で、エビスビール、エビスプレミアムブラック、エビス&エビス(ハーフ&ハーフ)、琥珀エビス、エビススタウトクリーミートップ、エビスマイスターを時間限定で半額にする。

ただし、瓶ビール、缶ビールは対象外となる。