「宣言」13日目、アオキ営業、青山休業、上島珈琲近くの車道は駐車場

【銀座新聞ニュース=2020年4月20日】「緊急事態宣言」が出されて13日目となる4月20日は、朝から雨模様で、昼過ぎに京橋から日本橋に向けて歩こうとしたが、次第に気温が低くなり、寒くなってきたので、途中で銀座4丁目方面に方向を変えた。

eスポーツの拠点となるはずの「コナミクリエイティブセンター銀座」は、休業している。

「宣言」以降も、コンビニとドラッグストアは営業自粛対象外なので、普通に営業しているが、それ以外の飲食などになると、店やチェーン店によって対応が変わる。例えば「上島珈琲店」は営業時間を短縮しているものの、平日、店は開いている。しかし、「スターバックス」店は全店舗を休業している。2丁目の「ドトールコーヒー」も休業している。

また、「吉野家」も時間を短縮しているが、平日は昼間は営業している。紳士服でも「青山」は休業しているが、「アオキ」は短縮しているものの、平日も週末も営業を続けている。家電量販店のビックカメラも、アオキと同じく短縮しているが、平日も週末も営業を続けている。

「上島珈琲店」の近くの車道は、両脇が臨時駐車場と化していた。車3台が通れる広さだが、そのうち、両脇の2車線が臨時駐車場となってしまい、中央しか通れない。

他方で、アオキの手前に新たに誕生したeスポーツの拠点となる「コナミクリエイティブセンター銀座」は、テレビ画面で操作するeスポーツなので、影響がほとんどないと思われるのに休業し、ビルの入り口は閉ざされている。

とにかく、銀座や有楽町、京橋から人がほとんどいなくなり、とくに本日のように雨の時は一段と人出が減ってしまい、街は都心とは思えないほど、閑散としている。

ただ、中央通りには車が少ないのに、なぜか京橋2丁目の「上島珈琲店」の近くの車道は、両脇が臨時駐車場と化していた。真ん中の狭い幅しか走れないので、運転しにくいと思われるが、おそらくは新型コロナの問題が出て以来、中央区の駐車違反を取り締まる監視員がほとんどいなくなっているので、それを知って、「臨時駐車」しているのだろう。

「京橋千疋屋」や隣の刃物の「西勘」も営業しているが、この時期に「刃物」のニーズがあるのだろうか。

ただ、この界隈は店も営業しており、京橋1丁目の「京橋千疋屋」や隣の刃物の「西勘」も営業している。この時期に「刃物」の需要があるのだろうかと思ったし、客はほとんどいないが、営業していることに意味があるのだろう。

京橋は再開発が進み、中央通りをはさんで、西側はビルの中に多くの店があり、明治屋が営業しているものの、その背景にある「京橋エドグラン」の1階などの店は休業している店も多い。鍛冶橋通りを挟んで銀座側に位置する3丁目の「東京スクエアガーデン」も、オフィスビルなので、人が出入りしているが、飲食店などは休業している店が目立つ。京橋3丁目界隈は居酒屋やレストランが多いが、いずれも休業しており、夜歩くと、通りの周囲が真っ暗になっている。

銀座に入ると、チケットや中古品の買取を

「明治屋」は営業しているものの、その後にある「京橋エドグラン」の1階などの店は休業が目立つ。

行う「大黒屋」も営業しているし、風月堂も短縮しながら営業を続けているが、目につくのはそのぐらいで、やはり営業店は少ない。そのまま4丁目交差点に向かうと、途中にあるショップが1階の改装工事を行っている。気になるのは、ある大手建設会社が「宣言」以降に、新型コロナに感染する社員が出てきて、工事を中断するケースが出ていることだ。この工事はまだ大丈夫なのだろうか。

さらに歩くと、営業しているのは「木村屋総本店」が目につくぐらいで、休業している店が多い。そこから昭和通りに向かうと、小さい店ばかりになり、営業している店もある。ただ、晴海通りの真ん中で道路工事をしているのが気になる。「宣言」前から工事をしているが、こういう厳しい事態でも粛々と工事を続けるのがいいのかどうか、請け負っている会社も悩むところだろう。ただ、車の数が少ないので、工事がはかどるのは間違いないだろう。

この晴海通りと昭和通りの4丁目交差点は今や銀座でももっとも車で込み合っているところで、ちょっと不思議な感じがする。この交差点を日本橋方面に向かうと、オムライスで知られる「レストラン早川」と「ムルギーランチ」で知られるインド料理の「ナイルレストラン」がいずれも時間を短縮しながら営業を続けている。

この時期に改装工事をしているが、建設会社がそのまま続けるのかどうか、心配される。

とにかく、歩行者が昼間でも少なく、ひとつ裏通りに入ると、3丁目のそば屋の「桂庵」やラーメン店の「紫龍」も営業している。「紫龍」は入り口前に「5月6日まで終日大盛無料」とあるのは、そのぐらいしないと客が入らないからだろう。

逆にみれば、こういう時期でも銀座に仕事で出てくる人にとって、昼食をとれる場所探しが大変だろう。そのせいか、昼過ぎに見た京橋の「吉野家」は予想外にお客が入っていて活気があった。

国難の中で、銀座などで営業を続けざるをえない店と、銀座に出てこなければならない人たち、もちつもたれつとはいえ、誰もが何らかの違和感を感じざるをえない中で、ちょっと不思議な感じがする(「宣言」は緊急事態宣言が出された後の銀座と周辺の風景を随時、掲載します。また宣言は7日深夜に発令されましたが、実際に影響を及ぼしたのは8日朝からなので、8日を「初日」としています)。

 

 

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2丁目の中央通りに面した「大黒屋」は営業している。ブランド品の買取やチケットの買取で知られるが、この時期にニーズがあるのだろうか。

 

 

 

 

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「アオキ」は営業を続け、「青山」は休業を選んでいる。紳士服は東京都の自粛要請業種と関係ないが、多くのアパレル店は休業を選んでいる。5丁目の「山形屋」は営業を継続している。

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銀座4丁目で昭和通り沿いにある「レストラン早川」と「ナイルレストラン」も営業を続けている。昭和通りは車の通行量が多いのだが、歩道を歩く人は昼間でも少ない。

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インド、コロナ後の新時代に向けてサバイバルをめざす(4)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年4月20日】新型コロナウイルスが全世界的に猛威を振るっている昨今、それにしても、34年近いインド生活において、まさか自宅に軟禁を強いられ、母国に帰ることがままならぬ事態に追いやられようとは、予想だにしなかった。

2019年5月の「サイクロン・ファニ」で甚大な損傷を食らったわか宿(HOTEL LOVE&LIFE)の後方のロッジ、風速200キロに窓が吹き飛んだ。

ほぼ毎年のごとく帰っていて、金沢市に中古のワンルームマンションを購入した5年前からは、年2度、春と秋に帰るのが恒例となっていたのだ。

出入国自由の永住ビザを持っているせいで、イミグレーションもフリーパス、インド人配偶者を持つ特権を満喫してきたのだが、まさかOCI(Overseas Citizenship of India、海外インド市民権)カードによるビザ免除措置が無効になろうとは夢にだに思わなかった。

期限付きとはいえ、いつ解除されるかメドがたたず、要人や外交官を除いては、インドに入国できないのである。そのうち国際便まで停止になってしまい、にっちもさっちも行かなくなってしまった。

日本政府がインド政府に特別要請して、日本航空と全日空の臨時便(往路のみ)が3月末から4月初旬にかけて何便か運航されていたが、以後、デリーとムンバイ発は5月末まで運休、各国のロックダウン(都市封鎖)政策で私のように身動きの取れなくなった在留邦人はどれくらいいるんだろうかと考えると、身につまされる。愛する家族と否応なく引き裂かれてジレンマに陥っている人たちもいるだろう。

早く収束してほしいと焦るが、悪党コロすけとの闘いは、人間にとっては、かなり分の悪いもので、先が見えない。治療薬やワクチンが開発されるのは1年先だというし、それまでタイラント(暴君)よろしく思うがままにたちの悪いバイ菌を撒き散らされ、バタバタ倒れていくままに任せるしかないのだろうか。

「サイクロン・ファニ」で裏庭の椰子も葉がもがれ、痛々しい惨状に。

どこかの時点で特効薬が見つかって敗者復活戦を期待したいが、このままではやられっぱなしだ。

そもそもは、環境破壊に因(もと)があるのだと思う。鳥インフルエンザとか豚インフルエンザなどのウイルスが近年跋扈(ばっこ)しているし、自然破壊で生態系が狂っているのだろう。自宅隔離や社交距離で抑える対症療法では一旦収まっても、第2波がやって来そうだし、根本の原因を取り除かないことには、また形を変えて別の問題が起きそうな気がする。

昨年5月、当地プリーを直撃した前代未聞規模のスーパーサイクロンといい、10月に日本に甚大な被害をもたらした台風19号といい、オーストラリアの山火事や、今回が極めつけのウイルス、ついに地球規模の流行という末期症状を呈してしまった。人間の欲で破壊され尽くした地球の瀕死のあえぎが聞こえできそうだ。

私が今唯一抱くのは、新型コロナ後の新未来の兆し、たくさんの人が亡くなって、世界経済が崩壊して、たくさんの倒産があって、その後に開ける世界、コロナ前の経済優先社会と違って、人がもっと共有し合える、環境に優しい世界、自然と共存していく、そんな希望に満ちた、人間らしい社会、生き残った人類たちはきっと、そんな新時代を築いていけると信じたい。

ラップがブームのインドで、ミリオンの視聴を獲得した動画を連発し、スター街道を走るラッパー、ビッグディール(Big Deal)。モハンティ三智江さんの息子だ。

思えば、これほどにもドラマチックな事件、歴史上に残るであろう画期的な出来事もないわけで、時代の節目に居合わせたことを奇貨として、インド在住作家として目撃した現地事情を能うる限り記録にとどめたいと願うばかりだ。拙文を読んでくださっている読者諸氏、共にサバイバルして、新時代を迎えましょう(4月16日現在、インド全土の感染者数は1万2000人を超えた。当オディシャ=0DISHA=州は60人)。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家でホテルを経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは感染していません。また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長しました。4月20日現在、インドの感染者数は1万6166人)。

石川酒造が東京の米と水で造った「八重菊」、江戸時代のラベル

【銀座新聞ニュース=2020年4月17日】石川酒造(福生市熊川1、042-553-0100)はこのほど、東京の地で収穫された米、東京の地下水で仕込んだ「純米生酒 八重菊」を数量限定で発売した。

純米生酒八重菊。

1863(文久3)年に創業した石川酒造は江戸時代に小川村(現あきる野市)の「森田酒造」(現在は酒造りをしていない)の蔵を借りて、酒造りをはじめた関係で、当時の森田酒造の「八重菊」にちなんで「八重桜(やえさくら)」という創業銘柄で出荷した。

こうした縁で、今回は現在でも石川酒造の創業家の石川家と縁戚関係にある森田家やあきる野市の農家が現在の田園風景を残したいという思いと、あきる野市産の米で醸した日本酒を造り、飲んでみたいという要望に対して、石川酒造が2019年より米造り、2020年に酒を仕込み完成させたのが江戸時代の「森田酒造」の銘柄を使った「純米生酒 八重菊」という。

石川酒造では、東京産の米、水、空気、技、蔵のすべてを使って造り、ラベルも江戸時代に実際に「森田酒造」が使っていたものを復刻した。

ウイキペディアと石川酒造によると、創業家、石川家は武蔵国多摩郡福生村(現福生市)一円を仕切る「庭場」と呼ばれる公職を務めた庄屋で、農家を営んでいた。13代目当主・石川和吉(旧姓・指田、1835年に石川家の養子、いしかわ・わきち、1813-1886)は農業に軸足を置きながら在郷商人として、青梅産の縞織物の販売を通じて、酒造業への転換の準備を始めた。

1863(文久3)年9月1日に多摩郡小川村の森田酒造の蔵を借り、石川和吉が酒造りを開始したのが石川酒造の始まりとされている。1880(明治13)年、小川村から熊川(現在地)に移り、酒蔵を建て、1888(明治21)年2月にはビールの醸造もはじめ、近在や東京・横浜などに販売した。1945年に農業と酒造業の二足のわらじが続いたが、農地改革により酒造業に専念した。

その後、一時期ビールの醸造を中止していたが、1998年にビール造りを再開し、現在、18代目当主である社長の石田弥八郎(いしだ・やはちろう、1990年に入社)さんの下、日本酒の「多満自慢(たまじまん)」(1919年に「八重桜」から「八重梅」に変え、1933年に「八重梅」を「多満自慢」にした)、クラフト(地)ビールの「多摩の恵」と「東京ブルース(TOKYOBLUES)」の2ブランドを生産している。

1880(明治13)年に現在地に移転した際に建てられた蔵や門が国の登録有形文化財とされている、1970年代の地酒ブーム以降に増えた見学希望にその都度対応していたが、後に常設の観光施設として受け入れるようにして、史料館などを整備した。見学者は多い年で約1万人(このうち外国人が約2000人)、レストランのみの利用者を含めると約10万人が訪れる。現在、資本金が5000万円で、売上高は約6億円。

敷地内には直営のレストランがあり、できたてのクラフトビールや地酒を飲むことができる。蔵見学も毎日実施(要予約)している。

「純米生酒 八重菊」(720ミリリットル、アルコール分は15%)は価格が税別1500円。

注:「石田弥八郎」の「弥」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

サニーヘルス、自宅でできる「スロトレ」で、筋肉増強を

【銀座新聞ニュース=2020年4月19日】健康食品、美容商品、化粧品などの販売会社、サニーヘルス(中央区八重洲2-1-6、八重洲kビル、03-6701-3000)はこのほど、レポート「10分スロートレーニングでダイエット&エイジングケア」を発表した。

「スクワット」などを時間をかけて行うスロートレーニングでは、ゆっくりと動作することによって筋肉に力が入っている時間が長くなるため血管が圧迫され、一時的に血流が制限され加圧トレーニングのような状態になり、トレーニングの効果が高まると考えられている。

ダイエットやボディメイクのためにトレーニングをはじめる際、いきなり激しいトレーニングがよくないことは誰でもわかるだろう。トレーニングで筋肉をつけるには強めの負荷が必要だが、その一方で、負荷が強すぎると関節や筋を傷めてしまうこともある。

負荷が弱くもなく、強すぎもせず、ちょうどその中間でトレーニングを行うことができれば、故障することなく続けることができる。そのために最適なのが「スロートレーニング」、略して「スロトレ」と呼ばれている運動だ。

ただ、体重を減らすことにこだわったダイエットではなく、ボディメイクを意識したワークアウトやトレーニングが流行っている今、「スロトレ(スロートレーニング)」という言葉を耳にするようになってきた。

スロートレーニングとは、ゆっくりとした動作で筋肉に負荷をかけるトレーニングのことで、例えば、ダンベルの上げ下げなら、速い動作で行うのではなく、2秒で上げ10秒かけて下ろすといったような具合だ。

空気イスもいわばスロートレーニングの一種で、決して激しいトレーニングではないものの、じわじわと筋肉に負荷がかかってくるのを体感することができる。

速い動作でトレーニングを行おうとすると、鍛えたい部分以外の体の反動を使いがちになる。反対にゆっくりとした動作であれば、反動に頼ることなく、筋肉を動かし続けることができるので、集中的に使うことが可能になる。そのため、比較的軽めの負荷でも筋肉を増強することができる。

強すぎない負荷、反動を使わないことによりケガが少なく、かつ心臓、血管への負担が小さいので、安全にトレーニングを行うことができる。運動慣れしていない人や中高齢者には、特におすすめの方法といえる。

スロートレーニングでは、ゆっくりと動作することによって筋肉に力が入っている時間が長くなるため、血管が圧迫され、一時的に血流が制限され、加圧トレーニングのような状態になる。

そのためトレーニングの効果が高まると考えられている。スロートレーニングというその名から、緩やかなトレーニングというイメージがあるかもしれないが、それなりに負荷が掛かっており、筋肉をつけたい部分に効果的につけることができる。

スロートレーニングは成長ホルモンの分泌を促す作用もある。成長ホルモンはハードな運動を行った際や就寝直後に多く分泌されるホルモンで、その働きは身長を伸ばすだけではない。代謝を促進させ、若さを保つ、骨や筋肉の成長を助ける、脂肪を分解する、生活習慣病のケアなどの作用もある。成長ホルモンは加齢とともに分泌量が減っていくので、若さや健康な体を維持したい場合にもスロートレーニングは有効だ。

スロートレーニングのやり方としては、普通の筋トレでも、ゆっくり行うことでスロートレーニング化することができる。

その際に気を付けるポイントは、
1)自然なリズムで呼吸を止めないこと
2)1つのトレーニング中に1分以上休まないこと
3)回数にはこだわらず負荷が掛かっているかを意識すること

この3つ、1度に行う回数は自分が限界を感じるまで、週に2回を目安に行いたい。ただし、筋肉痛が残っている場合は、抜けてから行うようにする。では、代表的な筋トレを例に解説する。

「スクワット」
1)肩幅よりも広く足を開き、つま先を45度外側に向ける。
2)手は右手を左肩に、左手を右肩に置く。
3)前を見て、背筋を伸ばす。
4)ひざがつま先よりも前に出ないように膝を曲げ伸ばしする。

この姿勢を基本として、お尻を後ろに突き出すように床と太ももが平行になるまでひざを曲げる。ひざを曲げる時、伸ばす時は、それぞれ3秒から5秒程度の時間をかける。曲げた状態で数秒キープすれば負荷はさらに強くなる。

「腕立て伏せ」
1)肩幅よりも少し広く、床に掌を着ける。
2)足を伸ばし、つま先と腕で自重を支え、足から首までがまっすぐになるよう姿勢を整える。
3)床に顔が着かない程度までひじを曲げ、地面を押すようにひじを伸ばす。

ひじを曲げるのに3秒から5秒、下で1秒キープ、ひじを伸ばすのも3秒から5秒かけて行う。負荷が強すぎると感じる場合は、ひざを床に着けて行うにようする。

「腹筋」
1)仰向けになり膝を立てて、頭の後ろで手を組む。
2)上体を起こし、元の位置に戻す。

一般的な腹筋運動も、スロートレーニングになると負荷が強まる。上体を起こす、元の位置に戻すのにそれぞれ3秒から5秒かけて行う。頭の後ろで手を組んで腹筋を行うことが難しい場合は、仰向けの状態で足の上げ下ろしをする運動でも大丈夫。3秒から5秒をかけて上げ下ろしをする。

自宅にいながら筋肉に負荷をかけ、成長ホルモンの分泌も促進することができるスロートレーニングは、特別に器具も必要ないし、自宅にいる時間で気軽にはじめることができる。激しい運動が苦手な人や中高齢の人にも適したトレーニングなので、今のように外出の自粛を求められているときにはじめてほしい。

「宣言」10日目、ビックカメラは週末も、人出の多い新橋ビル

【銀座新聞ニュース=2020年4月17日】「緊急事態宣言」が出されて10日目となる4月17日は、昨日に続いて朝から晴れ、昼過ぎには温かくなり、初夏が近づいていると思わせる1日だった。

夜の銀座中央通りは、車の少なく、歩く人もほとんどいない。

16日夜は、22時前後に銀座通りを歩いてみたが、人もほとんどいないし、車も少なく、灯はほとんど消えていた。普段はタクシーが軒を連ねているが、「宣言」後はタクシーに乗る人も少なくなり、車の数も減ったように感じられた。また、カラオケ店は「宣言」翌日の8日には休業してしまい、現在も灯りが消えたままだ。

東京駅前にある、深夜バス乗り場にはバスがほとんどなく、チケット売り場の脇にある待合室からは長イスが消えていた。また、改札口の脇には、自動出入り口では対応できない乗客向けの受付があり、職員が対応しているが、今週半ばに職員と乗客の間に透明のビニールをぶら下げるようになった。飛沫感染を防ぐための措置だ。

西銀座デパート(インズ)の店は営業と休業が半々でも、ランチ営業中心に。夜はどこも20時までの営業になっている。

最近、スーパーのレジにあるのと同じビニールで、「宣言」後に突然、スーパーをはじめ、いろいろなところで、飛沫感染防止用として設置するのが当然となったものだ。スーパーでも違和感があるが、駅ではもっと違和感を感じてしまうが、飛沫感染防止といわれると、やむを得ない。

17日は少し昼過ぎに西銀座から大手町から日比谷方面を歩いた。途中、西銀座デパートを見てみたが、休業店が多い中で、営業を続けているレストランはどこもランチ主体に変更していた。それでも客足は少なかった。1階のショップはすべて休業で、2階から1階への階段からは入れないように、シャッターを閉じていた。

有楽町駅前のビックカメラは時間短縮をしているが、週末も休みなく営業している。

有楽町駅前には東京オリンピック・パラリンピックのボランティア対応の「東京スポーツスクエア」があり、延期後もそのままになっているが、ドアを閉ざして、何の説明もないままになっている。

「ビックカメラ有楽町店」は週末も営業を続けているが、さすがに時間は短縮していた。そこから丸の内仲通りに移ると、15時まで車の出入りはできないように規制されており、車道も歩行者に開放されているだが、その歩行者がほとんどいないので、なんのための規制措置なのだろうか。

日比谷通りに出て、日比谷方面に歩く、周辺のビルの店は、ほとんどが休業のように見受けられるが、この辺りはビルの地下で営業している店がほとんどなので、実際に休業しているかどうかは、地下に入らないとわからない。しかし、歩いている人があまりに少ないので、営業していても厳しいという予想はできる。

入り口はすべて閉ざされ、何もない東京スポーツスクエア。

とにかく歩道を歩く人も少なく、表から見える店の数があまり多くないので、日比谷公園の方に向かった、公園の中には、いくつかの店があるが、どこも休業だった。トイレもあり、入ろうとすると、工事中だったが、一部は使えたので、そのまま利用した。

とにかく、予想外のことだが、公園内では小さな工事が進められていた。他方で、1949年創業のオープンテラスの「日比谷サロー」、1903(明治36)年に創業した「松本楼」などはいずれも休業だった。

丸の内仲通りは15時まで車両の出入りを制限しているが、人が少ないので、何のための制限なのかわからない。銀座通りは週末の歩行者天国を中止てしているのだが。

また、帝国ホテルの前の入り口にところにある「日比谷花壇」も休んでいた。日比谷図書館は東京都の要請もあって休みなので、営業中の店がない中で、女性が公園内をジョギングをしていたのは、ひじょうに珍しい光景だった。通常は皇居1周(約5キロコース)をするのが普通で、日比谷公園内を走る人はあんまりみかけないが、今は人出が少ないので、走りやすいのだろう。

日比谷公園から新橋方面に向かうと、多くの店が東京都の営業規制の要請を受け入れる形でランチ中心の店になっていた。しかし、休業している店もあれば、20時まで営業している店もあり、次第に新橋駅に向かうにつれて、歩行者が増えてきたのは、いかにも新橋らしいと感じた。

ニュー新橋ビルに入ると、人が増えているのがわかった。1階にはパチンコ屋をはじめ、ゲームセンターからカウンターだけの定食店などさまざまな業態が入った小さなスペースの店が多い。しかも、人も多いのには驚いた。「濃厚接触」という表現が頭に浮かんできたが、多くの人がひとりで、仲間と会話しているよりも、ひとりで気て食事をしているという風景だった。

新橋駅前のニュー新橋ビルの中は多くの人が歩いている。

そこから高速道路下を抜けて、銀座に入り、高級クラブが並ぶところを歩いたが、さすがに昼間に歩いている人は少なく、店もほとんど休業だった。そのまま真っすぐ、晴海通りまで歩いたが、やはり歩行者の数は少ない。4丁目の交差点で、日産クロッシング側に渡って、リコーの三愛ビル前の交番に警官がイスに座っていたのは、驚いた。

「宣言」後もこの交番の前を何度か歩いたが、御用の方は数寄屋橋交差点の交番まで、というお知らせが貼ってあって、ドアーが閉まっていて、4丁目交番には常駐の警官がいないと思っていたので、警官がイスに座っていたのは、ちょっとした驚きだった。

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いつもは銀座三越前を歩くのだが、この日は本館と新館の間を歩いたのだが、新館1階にある「銀座みかわや」が営業していた。平日は19時30分まで、週末は休業としてあるが、どこのビルも、一部の店が営業を続けているのは、賃料と人件費程度でも稼ぎたいという思いだろう。

とにかく、新橋はいつもの金曜日午後に比べて人出は少ないが、それでも駅前ビルにはそれなりに人がいた。一方で、銀座は昼も夜も人がほとんどいない状態が続いている(「宣言」は緊急事態宣言が出された後の銀座と周辺の風景を随時、掲載します。また宣言は7日深夜に発令されましたが、実際に影響を及ぼしたのは8日朝からなので、8日を「初日」としています)。

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(NO5)銀座三越の新館1階で営業を続けている「銀座みかわや」。本館ではなく、一般の人がほとんどこない新館1階で、銀座三越が全館休業としているので、この店だけが営業していても大変だろう。

(NO6)銀座8丁目のホテル前を歩く保育園の子どもたち。新型コロナ問題が大きくなってからはほとんど見かけない光景。

(NO7)日比谷公園内にある松本楼。日比谷サローや日比谷花壇など、すべての店も図書館も休業しているので、人が少なく、公園内をジョッギングする女性をみかけた。