広島TAUで江田島フェア、うどんの試食販売や「同期の桜」も

【銀座新聞ニュース=2018年1月19日】広島県(広島市中区基町10-52、082-228-2111)が運営するアンテナショップ「TAU」(中央区銀座1-6-10、銀座上一ビルディング、03-5579-9952)は1月20日と21日の2日間、「江田島フェアin銀座」を開く。

「たう(TAU)」で1月20日と21日の2日間、開かれるで「江田島フェアイン(in)銀座」に出品されるオリーブオイル。

広島県で2004年11月1日に安芸郡江田島町(あきぐん・えだじまちょう)、佐伯郡大柿町(おおがきちょう)、沖美町(おきみちょう)、能美町(のうみちょう)が合併して誕生した「江田島市」を紹介するイベントで、「江田島フェア」では完全天日干し製法により作られたうどんの試食販売をはじめ、江田島の温暖な気候で育まれた江田島産レモン、江田島で生産・加工した純江田島産のオリーブオイル、江田島の夏みかんにチョコをコーティングした「夕日のショコラ」、江田島唯一の造り酒屋「江田島銘醸」(広島県江田島市江田島町中央2-17-1、0823-42-0001)の「同期の桜(大吟醸)」などを紹介する。

広島県江田島市は、広島湾・宮島を望む海岸線、軽登山に適した標高500メートル前後の5つの山、天然温泉、旧海軍兵学校(現海上自衛隊)などがある広島市の南に位置する島だ。

同じく出品されるレモン。

ウイキペディアによると、海軍兵学校は1876年から1945年まで存続した大日本帝国海軍の将校となる士官の養成を目的とした教育機関で、海軍機関学校、海軍経理学校とともに「生徒三校」と呼ばれた。規模では英国の王立海軍兵学校、アメリカの合衆国海軍兵学校とともに、世界でも最大の兵学校のひとつといわれ、全78期から計1万2433人が卒業している。

海軍兵学校は同期(「クラス」と呼ばれた)を大切にし、海軍で出世に差が生じても、職務を離れれば「貴様と俺」という対等の立場という不文律があり、クラス同士の会合は準公務として扱われた。また、クラスが戦死した場合、残された家族は生き残ったクラスが可能な限り面倒を見るという暗黙の了解があり、こうした「美風」は戦後に至るまで続き、兵学校出身者の絆は強かった。

1939年から1945年の第2次世界大戦中、国内の学校では英語教育が「敵性語」として廃止縮小されるなか、1942年10月26日から1944年8月4日まで校長を務めた井上成美(いのうえ・しげよし、1889-1975)の強い信念で従来通り英語教育が継続され、教養教育もなされた。このことが礎となって、坂元正一(さかもと・しょういち、1924-2006)東京大学名誉教授(皇族の産婦人科担当医)や、建築家池田武邦(いけだ・たけくに)さんら戦後、各界で活躍している卒業生、元生徒も多い。

戦後の学制改革に伴い、学歴としての「海軍兵学校卒業」は、その他の「海軍生徒学校卒業」および「陸軍生徒学校卒業」とともに、国・地方自治体・民間企業などにおける「学歴免許等資格区分」では短期大学卒と同等と扱われた。

安芸郡は律令制下に置かれた郡で、その領域は現在よりも広く、現在の安芸郡に加え、広島市の東半、江田島市の東半、呉市の西半を含んでいた。平安時代に南北に分けられ、「安北郡」と「安南郡」とされた。

1664年に江戸幕府の指示により安北郡は「高宮郡」、安南郡は「安芸郡」と改称し、明治時代に高宮郡は沼田郡と合併して「安佐郡」となり、その後、広島市に編入されて消滅した。一方、安芸郡は1889年4月1日の市町村制施行により、1町29村あったが、その後の市町村の分離などにより、現在、残っているのは海田町(かいたちょう)、熊野町(くまのちょう)、坂町(さかちょう)、府中町(ふちゅうちょう)の4町である。

安芸郡江田島町は1888年に海軍兵学校(現海上自衛隊第1術科学校及び幹部候補生学校)が東京・築地から江田島に移転し、1889年4月1日に町村制施行により、安芸郡江田島村、佐伯郡津久茂村が成立、1925年2月1日に安芸郡江田島村が佐伯郡津久茂村を編入、1951年10月1日に町制施行により江田島町、1973年10月27日に「早瀬大橋」が開通し、音戸大橋、倉橋島、能美島を介して本土と陸続きになり、2004年11月1日に江田島市が誕生した。江田島市の人口は2014年11月1日現在、約2万5000人。

佐伯郡大柿町は1889年4月1日の町村制施行により、大君、大原、小古江、柿浦の4村が合併して「大柿村」が成立し、1927年8月1日に町制施行により、大柿町となり、1954年11月3日に大柿町、飛渡瀬村、深江村が合併し、新制「大柿町」となった。

沖美町は1889年4月1日に町村制施行により、沖村、三高村が成立し、1956年9月30日に沖村と三高村が合併して「沖美町」が誕生した。沖美町は1889年4月1日に町村制施行により、佐伯郡鹿川村、高田村、中村が成立、1951年1月1日に町制施行により、「鹿川町」になり、1955年4月1日に鹿川町、高田村、中村が合併し、「能美町」となった。

営業時間は10時30分から18時(最終日は15時)。

EBISU BARでロブション「格別の乾杯」を先行発売

【銀座新聞ニュース=2018年1月19日】大手ビールメーカーのサッポロホールディングス(渋谷区恵比寿4-20-1)グループのビヤホール、レストランなどを運営するサッポロライオン(中央区八丁堀4-3-3、ダイワ京橋ビル)は1月18日から「EBISU BAR銀座2丁目店」(中央区銀座2-5-7、GM2ビル、03-3561-5234)など18店で「エビス with ジョエル・ロブション 格別の乾杯<樽生>」を販売している。

「エビスバー(EBISU BAR)銀座2丁目店」などで提供される「エビスウイズ(with)ジョエル・ロブション 格別の乾杯<樽生>」。

「エビス ウイズ(with)ジョエル・ロブション 格別の乾杯<樽生>」は2017年1月に続いて、2018年1月23日にサッポロビール(渋谷区恵比寿4-20-1、0570-200-533)が数量限定で発売する「エビス ウイズ(with)ジョエル・ロブション」シリーズの缶商品で、ビールブランドの「エビス」と、フランス料理のシェフ、ジョエル・ロブション(Joel Robuchon)さんが協力して完成したエビス・シリーズの商品のひとつだ。

「格別の乾杯」はニュージーランド・ネルソン地方産のホップ「ネルソン・ソーヴィン」を主体に、ドイツ・ハラタウ地方の薫り高いホップ「ハラタウブラン」を調和させることで、乾杯にふさわしい豊かでフルーティーな香りが特徴としている。アルコール度数が5%、プリン体が約11ミリグラムで、500ミリリットルと350ミリリットルがある。

ウイキペディアなどによると、「エビスビール」はサッポロビールの前身、「日本麦酒醸造会社(旧開拓使麦酒醸造所)」(1906年に札幌麦酒(サッポロビール)、日本麦酒(エビスビール)、大阪麦酒(アサヒビール)が合併し、「大日本麦酒」となり、1949年の大日本麦酒の分割により、朝日麦酒と日本麦酒に分割)がドイツ人醸造技師、カール・カイザー(Carl Kayser)を招へいして醸造されたビールで、1890年2月25日発売時の名称は「恵比寿麦酒」(当時、販売価格14銭、現在の約3000円)で、七福神にちなんで名づけられた。

当初「大黒天」が予定されていたが、横浜にすでに「大黒ビール」が存在したため、「えびす」(恵比寿)を採用した。国産ビールだったが、カール・カイザーによって原料、設備、技術者とも本場ドイツからそのまま移転させたような「恵比寿麦酒」は販売直後から評判となり、「恵比寿」という地名も駅前も、このビールから付けられた。

大東亜戦争時の1943年にビールが配給制になり、「麦酒」に統一され、「恵比寿麦酒」という名称は消滅したが、1971年に戦後初の麦芽100%使用のラガー(熱処理)ビールとして復活した。1980年代前半に販売が低迷したが、1986年にパッケージデザインの変更と中味の生ビール化、1988年にマンガ「美味しんぼ」の「五十年目の味覚(後編)」で取り上げられ、売り上げが回復した。

長期にわたりプレミアムビール市場の首位銘柄だったが、2000年代中盤にサントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」が急成長し、サッポロビールは2006年からエビスブランドのテコ入れに着手し、10月にエビスブランド戦略部を立ち上げて「エビス」の名を冠した商品を複数販売する展開を始めた。

2013年2月20日にジョエル・ロブションさんとの共同開発商品「薫り華やぐエビス」を限定発売した。フランス・シャンパーニュ地方の麦芽とネルソンソーヴィン種のホップを使用した商品としている。

「エビス・バー(EBISU BAR)」は食とエビスビールの関わりを中心に、エビスビールの魅力と世界観を新しい形で、一般に体験してもらう機会を増やす場所として2009年12月9日に第1号店を銀座にオープンした。以降、東京に10店、神奈川に2店、北海道に1店、名古屋に1店、京都に1店、大阪に2店、広島に1店の計18店がある。

店では<樽生>エビスの全商品、エビス、エビス プレミアムブラック、エビス プレミアムミックス、琥珀エビス、エビス スタウト クリーミートップを提供している。
中央区とその周辺で販売しているエビスバーは「銀座二丁目店」をはじめ、「エビスバー(EBISU BAR)銀座コリドー街店」(中央区銀座8-2先、コリドー街、03-3573-6501)、「黒塀横丁店」(千代田区丸の内1-9-1、東京駅八重洲北口地下1階黒塀横丁内、03-5220-4030)がある。店舗での「格別の乾杯」は販売価格がグラスで税別680円。なくなり次第終了となる。

営業時間は各店舗に確認を。

ポーラ銀座でシンガポールのG・タン展

【銀座新聞ニュース=2018年1月19日】大手化粧品メーカーのポーラ・オルビスホールディングス(中央区銀座1-7-7、ポーラ銀座ビル、03-3563-5517)が運営するポーラミュージアムアネックス(ポーラ銀座ビル3階、03-3563-5501)は1月19日から2月18日までグレース・タンさんによる「Materials&Methods」を開く。

ポーラミュージアムアネックスで1月19日から2月18日まで開かれるグレース・タンさんの「マテリアルズ&メソッド(Materials&Methods)」に展示される「n.254」(2008年、素材:布、(C)Grace Tan)。

マレーシア生まれ、シンガポール在住のグレース・タン(Grace Tan)さんは、デザイン、アート、数学的思考すべてを取り入れ、素材や形態に潜む意味や関係性を探りながら作品を制作している。

2003年に発表した実際に着用可能な布の構造と方法論を探るプリーツの彫刻作品「ザ・クオードレント(the kwodrent)シリーズ」で注目を集め、その後、素材やフォルム、構造の考察を繰り返すことで、作品は布から逸脱し、よりファインアートや立体、オブジェの領域へと移行しているという。近年は、ファッションの枠を超え、インスタレーションや空間建造物を手がけており、今回は、初期の作品から最新作まで15年間にわたるグレース・タンさんの代表的な作品約35点を展示する。

グレース・タンさんは1979年マレーシア生まれ、1999年にシンガポールのテマセク・ポリテクニック・アパレルデザイン・マーチャンダイジング科を卒業、2016年にシンガポールのラサール美術大学大学院修士課程、英国ロンドンのゴールドスミス大学大学院ファインアート修士課程を修了している。

2012年にプレジデンツ・デザイン賞、2013年にヤング・アーティスト賞、2014年にファーム・アーキテクツ(FARM Architects)とのコラボ作品が、ナショナル・ギャラリー・シンガポールのアート・コネクター・プロジェクトに選ばれる。近年、シンガポールの大規模なパブリック・アートのコミッション作品を手がけ、シンガポールの地下鉄(MRT)のリトルインディア駅での「ムーブン・フィールド(Woven Field)」、マリーナワンの「プレーインズ(PLANES)」、デュオタワーの「シメントリー(SYMMETRY)」などを制作した。

20日14時からグレース・タンさんによるマテリアル・ワークショップを開く。当日作られた作品は会期中に会場に展示される。グレース・タンさんが参加者とともにループピン(洋服などの値札を付ける際に使われるプラスティックのタグ)を用いた作品を制作し、できあがった作品はその後会場に展示される。参加は15人で、費用は無料。

開場時間は11時から20時。入場は無料。

丸善丸の内で渡辺禎雄「型染版画」展、聖書の心と日本美

【銀座新聞ニュース=2018年1月18日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月19日から25日まで4階ギャラリーで渡辺禎雄による「世界に誇る日本の美と聖書の心の結実 第14回型染版画展」を開く。

丸善・丸の内本店で1月19日から25日まで開かれる渡辺禎雄の「世界に誇る日本の美と聖書の心の結実 第14回型染版画展」に展示される作品。

独自の型染め版画でキリスト教の精神を描き、2018年に没後22年を迎えた渡辺禎雄(わたなべ・さだお、1913-1996)の作品展で、作品はバチカンのシスティーナ礼拝堂に10点が飾られている。

渡辺禎雄は戦後、版画家として歩み、およそ50年の間に手すきのもみ紙によるカラーの大判作品を型紙だけでも数百点、染めた版画枚数にして数千枚、無限定の小品は数え切れないほどの多くの作品を制作してきた。それらの多くは、国内はもとより海外、主にアメリカで受け入れられ、熱心な愛好家を生みだしている。今回も「世界に誇る日本の美と聖書の心の結実」との副題で、聖書を描いた作品を展示販売する。

「フィリア美術館」(山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3476-76)のHPによると、渡辺禎雄は10代半ばから働き、職業を転々としたが、24歳の時に染物屋での紋様の下絵を描く仕事に就き、創作版画としての「型染め版画」と出会い、柳宗悦(やなぎ・そうえつ、1889-1961)の「民芸運動」の影響を受けながら、「聖書」の世界を描いた。

しかも、聖書を題材としながらも菊や朝顔など日本の草花を登場させたり、食卓に寿司やタイの尾頭付きを並べたり、うちわを手にした人を描いたりと、日本の文化を組み合わせ、独自の世界を表現した。

「型染め版画」とは伝統的な染色の技法を使った版画で、着物などを染める際に型紙を使って布の上に防染糊を置き、染色するが、その技法を版画に応用したのが型染め版画だ。布の代わりに和紙(または合成紙)に染色していくが、その際に、最初に染めない部分に糊を置くという方法を用いる。

渡辺禎雄は1913年東京都生まれ、1941年に染色工芸家の芹沢銈介(せりざわ・けいすけ、1895-1984)に師事し、1947年に第1回日本民芸館賞を受賞、アメリカ・ニューヨークのセント・ジェームズ教会主催の「現代日本画展」にて1等賞を受賞、1970年代以降にアメリカ、ヨーロッパ各地で作品展を開き、1993年に日本キリスト教文化協会より文化功労賞を受賞、1996年に死去した。2004年にローマ日本文化会館の主催により個展を開いている。生涯に約1000点の型染め版画を制作した。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)まで、入場は無料。

新年に2回も着物、評判がいいし、楽しかったのでもっと着るよ(247)

【tamaoのOL独り言=2018年1月18日】あけましておめでとうございます。ずいぶん遅い?ごあいさつです。年末年始は皆さま楽しく過ごしたのでしょうか?昨年の忙しさが新年までついてきて本当にあっという間の正月休みでした。でも、その間に今年は着物を2回着ましたよー!

髪飾りです。今のヘアーサロンの人は紐が結べなくて、結んでくれた着付師に便利ですねーって感心されました。

今時着物なんてと思いつつ、でもあるのなら久しぶりに着ようかなと思って着たら、思いがけず評判がよろしい。

1回はパーティで、もう1回はお茶の初釜で着たのだけれど、その2回をこなせればなんでも着物でいけそうな気がしてしまった。また、持っている着物で着ていないものがあったり、こんな風に組み合わせたらどうか?など楽しかったので、今年は頑張って着てみようかと思っちゃった。

そんな矢先に成人式の晴れ着問題が起きちゃって、残念という思いと、でも善意の方々の素敵な提案に心が温かくなったよね。

成人式は地元のお祝いだから、地元を離れている人にとっては、地元の友達と会う絶好のチャンスだもんね。だけど今時の子だったら、それをネタにできそう、頑張れ!私も成人式には着物を着たかな?着てないかも。だからこそ、今頃になって着たいなと思うのかもね。人間はないものねだりだから。

そうそう、当時は着物か毛皮のコートとかいって、結局毛皮のコートを買ってもらったんだっけ。あー、毛皮のコートも着ていないなー。

年末に近所の質屋さんに、町内会の会費を届けに行ったら、毛皮のコートがいっぱいあっておいくら?と見たら48万円っていうから、やっぱり高いと思いつつ試しに着てみようかと手を伸ばして再度値札を見たら4万8000円だったの!ビックリ!でも質屋のお兄さんによると買い手がいないんですって。

そりゃ、東京じゃ毛皮の出番ないよねー。暖かいもん。それに毛皮凄く重いの。4万8000円だったら、結構なブランドのコートより安いけどね。羽毛の軽さに慣れた庶民にはもったいないけど買えませーん!

今年もいろんなことが起こりそうですね。おつきあいのほど、よろしくお願い致します(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。