ゼネラルオイスターが真ガキ、岩ガキの食べ放題

【銀座新聞ニュース=2018年5月25日】オイスターバーをチェーン展開する株式会社ゼネラル・オイスター(旧ヒューマンウェブ、中央区日本橋茅場町2-13-13、共同ビル、03-6667-6606)は6月1日から13日まで、「エミットフィッシュバー GINZASIX」(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3575-1540)や「オイスターテーブル 銀座コリドー店」(中央区銀座7-2、銀座コリドー街108、050-5592-5209)、など19店で「初夏のカキ 食べ放題、真ガキと岩ガキ」を開く。

ゼネラル・オイスターが6月1日から13日まで開催する「初夏のカキ食べ放題、真ガキと岩ガキ」の食べ放題のイメージ。

今が旬の真ガキと岩ガキの生ガキ、真ガキのカキフライ、真ガキの素焼き、真ガキの香草ガーリック焼きの食べ放題を5480円(いずれも税別)で提供する。また、真ガキの生ガキと、真ガキのカキフライ、真ガキの素焼き、真ガキの香草ガーリック焼きの食べ放題なら4480円になる。いずれも90分制で、1500円をプラスすると、飲み放題もつけられる。

一般に「カキ」は英語で「r」の付く9月(September)から4月(April)までが旬とされ、「r」のつかない5月(May)から8月(August)までは食べられないといわれている。これに対して、ゼネラル・オイスターでは三陸産の「真ガキ」については、宮城県や岩手県などの三陸ではこの時期の水温が低いため、産卵のタイミングが後ろへずれ込み、7月でもおいしく食べられるとしている。

また、5月から8月が旬の「岩ガキ」については天然ものは、外敵が多い海面下5メートルから10メートルの岩場で3年ほどかけてじっくり育ち、身を守るために殻が大きくて頑丈になる。近年は養殖モノも増えており、養殖ものは身入りがよく味も安定しているという。しかも、産卵期の夏に、数回に分けて産卵し、少しずつ旨(うま)み成分を消費するため、産卵期の夏には養分が十分で食べ頃とされている。

ゼネラル・オイスターでは「真ガキ」については、宮城県の渡波、三重県桃取、兵庫県室津、広島県安芸津、愛媛県御荘湾を提供する。「岩ガキ」については、天然に比較すると身入りがよく、品質が安定しているため、養殖ものを多く提供している。

ウイキペディアによると、カキはウグイスガイ目イタボガキ科に属する2枚貝の総称で、カキ目もしくはカキ上科に属する種の総称でもある。海の岩から「かきおとす」ことから「カキ」という名がついたといわれる。古くから、世界各地の沿岸地域で食用、薬品や化粧品、建材(貝殻)として利用されてきた。

どの種類も岩や他の貝の殻など硬質の基盤に着生し、船にとって船底に着生して抵抗となる固着動物の代表がカキである。着生してからはほとんど動かないため、筋肉が退化し内臓がほとんどを占める。基盤に従って成長するため殻の形が一定せず、波の当たり具合など環境によって形が変化するため、外見による分類が難しく、野外では属さえも判別できないこともある。

養殖する方法は、カキの幼生が浮遊しはじめる夏の初めにホタテの貝殻を海中に吊るすと幼生が貝殻に付着するので、後は餌が豊富な場所に放っておくだけで養生できる。野生のものは餌が少ない磯などに付着するため、総じて養殖物の方が身が大きくて味もいい。

欧米では種カキを原盤(フランス語ではクペール)という網状の円盤で採取するが、ある程度大きくなるとそれから外して網籠に入れて干満の差が大きい場所の棚に置くか、干潟にばら撒いて育成する。この方式はホタテガイで種カキを海中につけっぱなしにしておく日本の方式よりも身が大きくなりやすい。

干潮時には水がない場所に住む場合が多く、グリコーゲンを多く蓄えている。これにより、他の貝と違って水がない所でも1週間は生きられる。英語の「オイスター(oyster)」は「カキ」よりも広義に使われ、岩に着生する2枚貝のうち、形がやや不定形で表面が滑らかでないもの一般を指し、アコヤガイ類やウミギク科、かなり縁遠いキクザルガイ科などもオイスターと呼ばれる。

また、カキはあらゆる食品の中でも亜鉛含有量がもっとも多く含まれている。亜鉛は魚介類全般に多く含まれているが、カキはとくに多く、他の二枚貝と比べ、10倍以上の含有量がある(100グラム中カキは13.2ミリグラム、あさり1.0ミリグラム、しじみ2.1ミリグラム)。成人女性なら、カキ1個で1日の必要量である9ミリグラムから10ミリグラムを満たすことができる。

亜鉛の働きは、細胞の新陳代謝を促進、皮膚や髪に潤いを与え、免疫力アップ、精力増強、美肌効果、体内の多くの酵素を活性化させるなどがあり、体を活き活きとさせ、健康や美を保つ効果がある。逆に不足すると、味覚障害、脱毛、薄毛、うつ、生殖機能の低下、傷口が治りにくいなどの症状が現れる。

また、カキに含まれるグリコーゲンは肝臓に貯蔵され、必要に応じてエネルギーに変換される。肝臓の機能を高めたり、筋肉や脳の働きを活発にしたりする働きがあり、即効性の疲労回復や、血糖値を一定に保つ作用、集中力を高める作用などもある。

ほかに、カキは吸収のよい「ヘム鉄」を多く含み、貧血予防に効果的とされ、鉄には体温を維持する保温効果もある。また、栄養ドリンクで知られている「タウリン」を多く含んでいる。アミノ酸の一種で、疲労感の原因となる乳酸の増加を防ぎスタミナ増強、疲労回復、肝機能を高める効果、脂肪肝の予防、抗肥満作用、コレステロールの上昇を抑える、生活習慣病のケア、ストレス解消などさまざまな効果がある。

問題になるのがカキの食中毒で、カキには「生食用」と「加熱用」とがあり、生食用は保健所指定海域で育ったもの、加熱用はそれ以外の海域で育ったものをいう。カキの主な食中毒の原因は「ノロウイルス」とも呼ばれる「SRSV(小型球形ウィルス)」によるもので、体調が悪い時や疲れている時などにたくさん食べると食中毒が起こりやすい。

このウイルスはカキの内臓に存在しているので、表面を洗っても意味はなく、85度で1分以上加熱することで死滅するので、中心まで十分に加熱して食べると食中毒を防止できる。

ゼネラルオイスターは2006年冬にノロウィルスが大流行した際は、2007年9月に広島県呉市倉橋島にカキの浄化センター「日本かきセンター」を設立し、全国の産地より集めたカキをセンターに集め、紫外線殺菌した海水で48時間カキを浄化し、全国の店舗へ出荷する体制を構築した。

2014年夏には、富山県入善町に「カキの浄化センター」を設立し、海洋深層水でカキを浄化するシステムを構築した。海洋深層水の「清浄性」と自然の力を最大限に活かしカキの浄化をおこなっている。

2016年冬に再びノロウィルスが大流行した際は、宮城県の全海域でカキの出荷が停止されたが、ゼネラル・オイスターでは2017年2月17日から「安全品質のファイブスター ミネラルオイスター」をスタートしたとしている。

「ミネラルオイスター」とは1)全国の海域リスクを考慮し、産地の厳選および入荷時期の精査を実施した「海域の厳選」、2)厚労省が定める生食用カキの規格基準をクリアしたカキのみを入荷する「産地の厳選」(産地1次検査)、3)人体に害を与える細菌やウィルスが存在しない、きれいな海洋深層水のかけ流し水槽で、60時間カキを浄化してほぼ無菌のカキにする「海洋深層水での浄化時間を60時間へ延長」。

4)厚労省が定める規格基準よりも厳しい自社基準をクリアしたカキのみを出荷し、「ノロウィルスについては検出されない」との自社基準も定めた「厳しい自社基準の堅守」(出荷前の自社2次検査)、5)家族を含む従業員の体調管理、サポートの実施、社内衛生チェック、外部衛生調査機関による定期的衛生調査による衛生の維持、向上に取り組んだ「徹底された店舗衛生管理」、の5項目をいう。

営業時間は銀座シックス店が11時から23時30分、銀座コリドー店が11時30分から15時、17時から23時(土曜日は23時30分)だが、食べ放題は17時から。

松屋銀座屋上に「美のビアガーデン」、AYAがメニュー監修

【銀座新聞ニュース=2018年5月24日】飲食店などを運営するソルト・コンソーシアム株式会社(港区西麻布1-10-2、03-3478-9501)は5月25日から9月30日まで松屋銀座店(中央区銀座3-6-1)屋上に「美しくなるビアガーデン」(050-3187-9333)を開く。

5月25日から9月30日まで松屋銀座店屋上で営業される「美しくなるビアガーデン」で提供されるアヤ(AYA)さんが監修したメニュー。

ソルト・コンソーシアムが2013年から夏季限定で松屋銀座店屋上にて営業しているビアガーデンで、2018年は「美カラダ」をテーマに、クロスフィットトレーナーのアヤ(AYA)さんが監修した「飲むサラダ」と「食べるサラダ」を中心にメニュー展開する。

メニューはスタンダードBBQプラン(1人2時間飲み放題付税込5500円)とプレミアムBBQプラン(スパークリングワインと2時間飲み放題付8000円)の2種類で、高タンパク質の肉、低カロリーの野菜(「食べるサラダ」を含む)、脂肪燃焼とカプサイシンの含まれているチーズとコチュジャン、ミネラルの豊富でカロリーゼロの寒天麺の冷麺などで構成されている。また、飲み放題に入っていないドリンクとして「飲むサラダ」(1404円)がある。

クロスフィットトレーナーのアヤさん。「リーボック・クロスフィット・ハート&ビューティー」でトレーナーとして指導している。

アヤさんは1984年兵庫県生まれ、体育大学を卒業し、フィットネスインストラクターとモデルを務め、モデルとして筋肉を落とすために運動を制限し、2012年に「クロスフィット」に出会い、自分らしい美しさを追求し、トレーナーとして注目されている。現在、「リーボック・クロスフィット・ハート&ビューティー(REEBOK CROSSFIT HEART&BEAUTY)」(港区西麻布3-13-3、カスタリア広尾)のトレーナーを務めている。

ウイキペディアによると、「クロスフィット」とは、さまざまな実用的な動作(ファンクショナルムーブメント)を高い度合いで行うストレングス、コンディショニングプログラムで、10の身体能力(心肺機能、スタミナ、筋力、柔軟性、パワー、スピード、連動性、俊敏性、バランス、正確性)を総合的に改善することで、包括的なフィットネスの形成を目的としている。

クロスフィットでは「広範囲の時間域(有酸素域、中間域、無酸素域)、運動域(様々な身体動作)での高められた総合的な身体能力」と定義され、ワークアウトは一般的に20分間以下のものが多く、高い度合いで行われる。

席数は243席。

営業時間は平日17時(土・日曜日、祝日16時)から22時。期間中、無休(天候によっては休むことも)。

大丸松坂屋画廊で古河原泉「女性」展

【銀座新聞ニュース=2018年5月24日】国内百貨店業界2位の流通グループ、J.フロントリテイリング(中央区八重洲2-1-1)傘下の大丸松坂屋百貨店(江東区木場2-18-11)が運営するアートギャラリー「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3572-8886)は5月24日から30日まで古河原泉さんによる個展を開く。

大丸松坂屋百貨店のギャラリー「アールグロリュー ギャラリーオブトーキョー(Artglorieux GALLERY OF TOKYO)」で5月30日まで開かれている古河原泉さんの個展に出品されている「音がそっと残すもの」。

「女性」を中心に人物画を描き続けている古河原泉(こがはら・いずみ)さんは「寒色から暖色、中間色を縦横に使い、どの色彩からも独特の輝きや深み」をもつ「色彩画家」といわれており、新作を中心に展示している。

古河原泉さんは「生きる時間も重ねれば重ねるほど自ら気持ちをストレートに表現することに抵抗を感じるようになる」という。「心の奥底には、何があっても耐えることのできる心の芯、澄みわたるシンプルな想いが時を重ねても変わらず静かに強くそこに在り続けてくれている。変わらない芯と、生きる中で変わり続ける思考や表現。それら人の内面を、その時その瞬間に感じる私のリアルタイムの視点・感覚をもって表現したい」としている。

古河原泉さんは1979年栃木県宇都宮市生まれ、2000年に宇都宮大学教育学部美術科を卒業、同年に栃木県芸術祭奨励賞、グラフィックデザイナーとして勤務し、2003年に光風会で初入選、光風会栃木県支部新人賞(以降毎年入選)、2004年に日展で初入選(以降入選7回)、2005年に光風会奨励賞、2008年に下野新聞社賞を受賞している。

25日、27日、28日の午後、古河原泉さんが来場する。

開場時間は10時30分から20時30分(最終日は18時)まで。入場は無料。

「東をどり」明日から、リハーサルに新橋芸者衆総出

【銀座新聞ニュース=2018年5月23日】東京新橋組合「東をどり実行委員会」(中央区銀座8-6-3、新橋会館、03-3571-0012)は5月23日午後、24日から27日まで新橋演舞場(中央区銀座6-18-2)で開く新ばし花柳界による「第94回東をどり」のリハーサルをメディアに披露した。

「東をどり」の第2幕の1幕目の「吉田屋」。男も芸者衆が演じている。生の清元と長唄が背後に流れており、宝塚と違って演技者は踊りだけでセリフがないので、艶めかしい場面でも、艶っぽさがない。

「東(あづま)をどり」は第1幕が「これが新橋長唄尽し」、第2部が「これぞ新橋清元尽し」の2部構成で、23日はメディアの前で第2幕を新橋芸者衆が総出でリハーサルを行った。

1幕目が「吉田屋」で大坂新町にある廓の吉田屋に、放蕩の果てに勘当された紙衣(紙の着物)姿の伊佐衛門が、恋人の大夫の扇屋夕霧を訪ねてくる場面だ。清元衆の演奏と長唄の前で、伊佐衛門姿と夕霧が艶(あで)やかに演じている。

2幕目が「女車引」で、「菅原伝授手習鑑」3段目の「車引の場」の松王、梅王、桜丸を、それぞれの女房に置き換えるという趣向で、江戸時代から吉原での年中行事の「仁和賀(にわか)」で踊られてきた。

2幕目の「女車引」。筋を知らないと、踊りを理解しづらい。

3幕目が「幻椀久」で、豪商の椀屋久兵衛(椀久)が新町の傾城(けいせい)松山と深い仲になり、豪遊を続け、ついには座敷牢に閉じ込められてしまっても、松山が忘れられず、牢を抜け出して、松山を探して彷徨(さまよ)い歩く姿を踊りにしたもので、狂気した椀久が松の木を見ても松山と思うほどに狂いが高じてしまった姿を描いている。

最後がフィナーレで、出演した芸者衆全員が黒の着物姿で舞台に出て、御礼のあいさつをした。

東京新橋組合によると、「東をどり」とは、明治の頃、芸能を街の色に決めた新ばし芸者は一流の師匠を迎えて踊りと邦楽、技芸をみがき、やがて「芸の新橋」といわれるようになった。新橋演舞場は1922(大正11)年に当時の「新橋芸妓協会」が中心となり、新橋演舞場株式会社を設立し、1925年に大阪にある演舞場や京都の歌舞練場を手本に新橋芸者の技芸向上を披露する場として建設され、3階建て、客席数1679席、こけら落しとして「第1回東をどり」が開かれた。

3幕目の「幻椀久」。狂気の椀久が幻の松山を見て、喜ぶ場面はもっとも演技が必要で、消えた松山の残した着物の一部を手にして、喜びながら渡り廊下を消えていく姿はひじょうに印象的だ。

その後、大東亜戦争でレンガの壁を残して焼けた演舞場は戦後の復興の中で、「東をどり」の舞踊劇の脚本として、吉川英治(よしかわ・えいじ、1892-1962)、川端康成(かわばた・やすなり、1899-1972)、谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう、1886-1965)、井上靖(いのうえ・やすし、1907-1991)、川口松太郎(かわぐち・まつたろう、1899-1985)らが書いた。

女だけの舞踊劇、台詞の稽古などしたことのない芸者衆の舞台は大きな挑戦で、そうした中でまり千代(まりちよ、1908-1996)というスターが現れる。1948年に戦後復活の東をどりで、男役を務め、凛々しい踊りの名手として「まり千代ブーム」を巻き起こし、東をどりは春秋のふた月の興行となった。

現在は東をどりは5月の4日間のみで、新橋演舞場を料亭に見立て、文化を遊ぶというもので、新ばい芸者の踊りと、料亭の味を楽しむ場となっている。

最後のフィナーレ。座して御礼のあいさつをする。黒の着物が芸者衆の美を輝かせている。

ウイキペディアによると、花街としての「新橋」は、現在の中央区銀座における花街で、昔から「芸の新橋」と呼ばれ、日本各地の花柳界からも一目置かれている。1857(安政4)年に現在の銀座8丁目付近に三味線の師匠が開業した料理茶屋が始まりといわれている。

当時、新橋の芸者(芸妓)の「能楽太夫(のうがくだゆう)」(芸妓の最高位)の名にちなみ「金春芸者」(こんばるげいしゃ)と呼ばれ、「金春新道」沿いに粋な家屋が明治初年まで並んでいた。

最後の最後に、新橋芸者衆総出で、舞台の上から観衆に手を振る。

明治に入り、江戸期からの花街柳橋とともに「新柳二橋(しんりゅう・にきょう)」と称し、人気の花街となり、明治期に新政府高官が新橋をひいきにして集い、伊藤博文(いとう・ひろふみ、1841-1909)の愛人「マダム貞奴(まだむ・さだやっこ、1871-1946)」、板垣退助(いたがき・たいすけ、1837-1919)の愛人「小清(こせい、後に板垣清子、1856-1874)」、桂太郎(かつら・たろう、1848-1913)の愛人「お鯉(おこい、1880-1948)」らが知られている。また、殺人事件で知られた「お梅(おうめ、1863-1916)」は金春芸者の中ではもっとも有名だった。

大正期になると芸者の技芸の向上に取り組み、1925(大正14)年に新橋演舞場のこけら落とし公演として「東をどり」を初演した。1926(大正15)年度の花柳名鑑によると、今の中央区(当時の京橋区、日本橋区)に組合の事務所を置く芸妓屋は、新橋(当時は京橋区竹川町)、柳橋(日本橋区吉川町)、葭町(日本橋区住吉町)、新富町(日本橋区新富町)、日本橋(日本橋区数寄屋町)、霊岸島(京橋区富島町)と5つあった。

昭和中期には最盛期を迎え、芸者約400人を擁し、高度経済成長期、石油ショック以後には料亭、芸者数が減り、2007年には料亭12軒、芸者70人に減っている。

開始時間は24日と25日は昼が13時、夜が15時50分の2回。26日と27日は壱の席が11時30分、弐の席が13時40分、参の席が15時50分と3回。料金は桟敷席9000円、1階席7500円、2階正面席と右席6000円、2階左席と3階席2500円。

丸善日本橋店で久米廸子「ジャワ更紗夏服」展

【銀座新聞ニュース=2018年5月23日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は5月23日から29日まで3階ギャラリーで久米廸子さんによる「ジャワ更紗 夏の服展」を開く。

丸善・日本橋店で5月23日から29日まで開かれる久米廸子さんの「ジャワ更紗 夏の服展」に出品される夏服。

「ギャラリー(GARELLY)くめ」(港区麻布十番1-5-20、03-5411-5200)を運営するオーナーの久米廸子(くめ・みちこ)さんがインドネシアで出会った布を使って、綿や麻のジャワ更紗(さらさ)による重ね着スタイルを展示販売する。

ウイキペディアによると、ジャワ更紗とは、インドネシア、マレーシアのろうけつ染め布地の特産品のことで、一般には「バティック」と呼ばれ、とくにジャワ島のものが有名なため「ジャワ更紗」と呼ばれる。18世紀頃から作られるようになり、用途はサロン(腰巻き)、パレオ、スカーフ、ハンカチ、頭巾などで、2009年10月にインドネシアのバティックは、ユネスコの世界無形文化遺産に認定された。

更紗はインド起源の木綿地の文様染め製品で、インド風の唐草、樹木、人物などの文様を手描きやろう防染(ろうぼうせん)を用いて、多色に染めた木綿製品をさすが、日本製の更紗には木綿でなく絹地に染めた、友禅染に近い様式のものもある。正倉院宝物の染織品には絞り染め、板締め染め、ろう防染、木版などを用いた染め文様が多く見られるが、その後、平安時代から中世末までは「織り」による文様表現が主流となっていた。

しかし、更紗の渡来によって「染め」の文様表現が再び盛んとなり、素材としての木綿も中世末から近世初頭の日本においては目新しいものであった。それまでの日本の衣料の素材としては絹と麻が主流であり、木綿は普及していなかった。綿の日本への渡来は799年のことで、三河国(愛知県)に漂着した「こんろん人(中国西部の山岳少数民族のこと)」がもたらしたものであったというが、栽培方法などがよくわからないままに絶滅してしまった。

日本に木綿が再び伝わるのは室町時代末期で、木綿は丈夫な素材で、保温性、吸水性も高く、衣服の素材として優れており、江戸時代中期以降、日本各地で木綿の生産が盛んになり、広く普及するようになった。「更紗」という漢字表記は江戸時代末期に定着した。

久米廸子さんは2000年ころにインドネシアでジャワ更紗に出会い、毎年、インドネシアを訪れて、手描きのろうけつ染めという製法で仕上げた木綿やシルクの生地を購入して、日本でデザインから仕立てまで行っている。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)。