「サヨナラまでの30分」新田真剣佑、北村匠海ら挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年1月23日】中堅の映画配給会社のアスミック・エース(港区六本木6-1-24、ラピロス六本木)は1月25日にTOHOシネマズ日比谷(千代田区有楽町1-1-3、東京ミッドタウン日比谷、050-6868-5068)で「サヨナラまでの30分」の出演者らによる舞台あいさつを開く。

1月24日から一般公開される「サヨナラまでの30分」((C)2020「サヨナラまでの30分」製作委員会)。

25日9時30分の回上映終了後と12時50分の回上映前に、監督の萩原健太郎(はぎわら・けんたろう)さんをはじめ、1年前の亡くなったバンド「エコール(ECHOLL)」のボーカル「宮田アキ」役の新田真剣佑(あらた・まっけんゆう)さん、大学生でバンドの再結成を迫る「窪田颯太」役の北村匠海(きたむら・たくみ)さん、生前の宮田アキの恋人でバンドのピアノ担当だった「村瀬カナ」役の久保田紗友(くぼた・さゆ)さん。

バンドのメンバーでギター担当の「山科健太」役の葉山奨之(はやま・しょうの)さん、バンドのメンバーでドラム担当の「重田幸輝」役の上杉柊平(うえすぎ・しゅうへい)さん、バンドのメンバーでベース担当の「森涼介」役の清原翔(きよはら・しょう)さんが舞台に登場してあいさつする。

「サヨナラまでの30分」は脚本家の大島里美(おおしま・さとみ)さんのオリジナル脚本を萩原健太郎さんが映画化した。

物語はバンド「エコール(ECHOLL)」がメジャーデビューを目前に解散してから1年後、メンバーたちの前に突然見知らぬ大学生の颯太が現れる。バンド再結成をメンバーに迫る颯太の中身は、1年前に死んだボーカルのアキで、颯太が偶然拾ったカセットテープを再生する30分だけ、アキは颯太の体を借りて入れ替わり、1つの体を共有していく。

人づきあいが苦手な颯太もアキや仲間たちと音楽を奏でる楽しさを知り、次第に打ち解けていくが、アキの恋人カナだけはバンドに戻ってこなかった。カナに再び音楽を始めてもらうため、最高の1曲を作り上げようとするが、アキと颯太の入れ替われる時間はだんだん短くなっていく。

萩原健太郎さんは1980年東京都生まれ、1999年に「のど自慢」に出演し、2000年にアメリカ・カリフォルニア州の私立美術大学のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに入学、7年間映画制作を学び、2013年には初の長編脚本「スペクタクル・タイガー(Spectacled Tiger)」が、アメリカ・サンダンス映画祭で最優秀脚本賞、サンダンスNHK賞を受賞、2016年に「Anniversary アニバーサリー」で監督を務めた。

2017年に「東京喰種 トーキョーグール」で長編映画監督デビュー、2018年には短編プロジェクト「シネマファイターズ(CINEMA FIGHTERS)」で制作された1作「スノーマン(Snowman)」で監督を務め、演出を手掛けたNHKBSプレミアムドラマ「嘘なんてひとつもないの」がATP賞ドラマ部分奨励賞を受賞した。

チケットはチケットぴあを通じて24日10時から一般発売する。料金は2100円均一。

ピカデリ「AI崩壊」大沢たかお、賀来賢人ら挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年1月22日】アメリカ映画業界第3位、ワーナー・ブラザースグループの日本の映画配給会社、ワーナー・エンターテイメント・ジャパン(港区西新橋1-2-9、日比谷セントラルビル)の「ワーナー・ブラザース映画」は1月31日に丸の内ピカデリー(千代田区有楽町2-5-1、有楽町マリオン、03-3201-2881)で「AI崩壊」の出演者らによる舞台あいさつを開く。

1月31日から一般公開される「AI崩壊」((C)2019「AI崩壊」製作委員会)。

31日12時の回上映終了後と15時の回上映前に、監督の入江悠(いりえ・ゆう)さんをはじめ、天才科学者「桐生浩介」役の大沢(おおさわ)たかおさん、浩介の義弟で、浩介の開発したAIの運営と管理を行っているホープ(HOPE)の代表取締役「西村悟」役の賀来賢人(かく・けんと)さん、警察庁の管理官「桜庭誠」役の岩田剛典(いわた・たかのり)さん、警察庁捜査一課の新米の刑事「奥瀬久未」役の広瀬アリス(ひろせ・ありす)さんが舞台に登場してあいさつする。

「AI崩壊」は入江悠さんによるオリジナル脚本のSF・パニック映画で、2030年の日本を舞台に、突如として暴走を始めたAIとそれを阻止しようと奔走する天才科学者の攻防を描いている。

物語は2030年の日本が舞台で、天才科学者の桐生浩介が亡き妻のために開発した医療AI「のぞみ」が、年齢、年収、家族構成、病歴、犯罪歴といった全国民の個人情報と健康を管理し、いまや社会インフラとして欠かせない存在となった「のぞみ」だったが、ある時突然、暴走をはじめる。

AIが生きる価値のない人間を選別して殺戮するという、恐るべき事態が巻き起こる。警察庁の天才捜査官・桜庭は、AIを暴走させたのは開発者である桐生と断定。身に覚えのない桐生は逃亡を開始する。桐生は「のぞみ」を管理するホープ(HOPE)社の代表で、義弟でもある西村悟とひそかに連絡を取りながら、なんとか事態の収拾をめざすが。

ウイキペディアなどによると、入江悠さんは1979年神奈川県横浜市生まれ、3歳から埼玉県深谷市で暮らし、2003年に日本大学芸術学部映画学科監督コースを卒業、2004年に「部屋の片隅で、愛をつねる」で第2回うえだ城下町映画祭グランプリ、2006年に「JAPONICA VIRUS ジャポニカ・ウイルス」で長編監督デビューした。

2009年に映画「SR サイタマノラッパー」でゆうばり国際ファンタスティック映画祭2009オフシアター・コンペティション部門でグランプリ、第13回富川国際ファンタスティック映画祭ネットパック・アワード(NETPAC AWARD、最優秀アジア映画賞)を受賞した。

2009年に映画監督協会新人賞、第38回モントリオール・ヌーヴォ国際映画祭招待上映され、2010年に「SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー傷だらけのライム」が第14回富川国際ファンタスティック映画祭招待上映され、「SR サイタマノラッパー」で第50回日本映画監督協会新人賞を受賞した。

2012年に「劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ」で第26回高崎映画祭若手監督グランプリ、2012年に「SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」で香港国際映画祭正式招待上映される。2018年にゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター部門で審査員を務めている。

チケットはチケットぴあを通じて最速抽選・プレミアムを受付中で、23日11時締め切り。先行抽選も受付中で24日11時締め切り。25日10時から一般発売する。料金は2100円均一。

丸善日本橋で九州銘木と松原瑞雲「屋久杉工芸」展、実演も

【銀座新聞ニュース=2020年1月22日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は1月22日から2月4日まで3階ギャラリーで「第6回木の匠展 屋久杉工芸展」を開いている。

丸善・日本橋店で1月22日から2月4日まで開かれている「第6回木の匠展 屋久杉工芸展」のフライヤー。

屋久杉の「土埋木(どまいぼく)」を使って、仏壇、神棚などを制作している「九州銘木」(鹿児島県鹿児島市東開町3-93、099-267-1366)の作品と、29日から仏像彫刻家で、仏師の松原瑞雲(まつばら・ずいうん)さんが手作りした「仏像」などを展示販売している。

ウイキペディアによると、「屋久杉」は屋久島の標高500メートル以上の山地に自生する杉のことで、狭義にはこのうち樹齢1000年以上のものを指し、樹齢1000年未満のものは「小杉(こすぎ)」と呼ばれる。一般に、杉の樹齢は長くても500年程度だが、屋久杉は栄養の少ない花崗岩の島に生えるため、成長が遅く、木目が詰っており、降雨が多く湿度が高いため、樹脂分が多く腐りにくい特徴を持つ。そのため樹木の寿命が長いといわれ、樹齢2000年以上の大木が多い。縄文杉や紀元杉、ウィルソン株が有名である。

1560年頃に大隅正八幡宮(鹿児島神宮)の改築にあたって屋久島からスギ・ヒノキ材が運ばれたことが同神宮の石碑に記されている。これが記録に残る初の屋久杉の伐採利用とされている。1587年の九州制圧後、石田三成(いしだ・みつなり、1560-1600)が島津義久(しまづ・よしひさ、1533-1611)に命じて、屋久島の木材資源量の調査を行っており、1590年頃に小豆島の大型船11隻が京都方広寺大仏殿造営のため、屋久杉材を大阪へ運んだとされる。

江戸時代に入り、屋久島出身で薩摩藩に仕えていた日蓮宗の僧で儒学者の泊如竹(とまり・じょちく、日章=にっしょう、1570-1655)が屋久島の島民の貧困を目にして、屋久杉の伐採を島津家に献策したとされ、1640年頃から山岳部奥地の本格的な伐採が始まった。

屋久杉は船材・建築材などさまざまな形で製品化されたが、多くは「平木」と呼ばれる屋根材に加工され、出荷された。屋久杉は薩摩藩により専売制のもと、販売が独占された。島民は薩摩藩に年貢として主に平木を納め、またそれ以外のさまざまな産物も平木に換算して石高が計算され、いわば「平木本位制」ともいうべき経済統制がおこなわれた。

また、年貢の割り当て分以外の屋久杉は、米その他の品物と交換される形で薩摩藩に買い上げられ、島民の収益となった。明治時代、1873年の地租改正で島の90%以上が国有地とされ、島民による伐採が制限された。これを不服とし、屋久島側が国有林の払い戻し(返却)を求めて裁判を起こすが敗訴した。しかし、これによる島の経済的困窮が問題となり、1921年に山林局鹿児島大林区署によって「屋久島国有林経営の大綱」が発令された。判決で国有林化が決定し、屋久杉伐採は本格的に開始された。2001年に各種の保護区以外の国有林では伐採可能な林分を切り尽くし、天然屋久杉伐採は終了した。

「津山銘木有馬店」によると、「土埋木」とは「土に埋もれた木」のことで、自生している木ではなく、かつて伐採され、山に放置された材木や台風などによって倒れた材木などを総称して「土埋木」という。屋久島の山には、「屋久杉」が「土埋木」として多く残存している。

屋久島が薩摩藩に編入されると、江戸時代に大規模な伐採がおこなわれた。屋久島は石でできた島のため、土地が肥沃にならず、安定的に米を作ることができず、年貢として米に代わって「屋久杉」が収められていた。

年貢には、短冊形の小板(長さ50センチ×幅10センチ×厚さ5ミリ程度)に加工されて上納された。油分が多く、年輪が緻密で、丈夫な屋久杉の特性を活かして、屋根材として利用するためで、この小板を「平木」と呼んだ。このため、加工に向かない繊維の入り組んだ屋久杉は、伐採後も山に放置された。これがいまも山に放置されている「土埋木」になる。

「杉」は上空に向かって真っ直ぐに伸びる木のことで、ここから「杉」と呼ばれ、屋久杉も杉なので真っ直ぐ伸びる。しかし、1000年もの樹齢の屋久杉は、根っこの部分やコブなど、繊維の入り組んだ、真っ直ぐとは言えない部位が出てくる。これらの屋久杉は平木への加工に向かないため、山に放置された。屋久杉は多くの樹脂を含んでいるため、数百年たった今でも朽ちることなく、樹木の姿をとどめている。

屋久島は島の山林の85%が国有林で、屋久杉を含む原生林について国がほとんどを管理している。また、1982年に屋久杉の伐採は禁止されたが、国有林の中で、一部の地域は土埋木に限り搬出が認められている。そのために、伐採禁止後も、現在でも屋久杉が市場に出回っている。林野庁が主体となり、土埋木の競り市が定期的に鹿児島でおこなわれてきたからだ。しかし、このままのペースで搬出が進むと、限定地域の土埋木が数年で枯渇するとみられ、そのため近年、屋久杉の原木価格が高騰している。

九州銘木は1977年に設立され、数千年の風雪に耐え、豊富な樹脂分を含んだ樹齢1000年以上の屋久杉の「土埋木」を使って、仏壇、神棚などを制作している。

松原瑞雲さんは1979年大阪府生まれ、2001年に仏師の松原瑞芳(まつばら・ずいほう)さんに師事し、仏像彫刻の道に入り、2005年に第28回日本美術工芸会展で新人賞(2008年会長賞、2010年大阪市長賞、2013年大阪府知事賞、2018年大阪市立美術館館長賞)。

2009年に「日本美術工芸会」事務局長に選任、2013年に独立し、第49回新創美術展で奈良県知事賞(2014年和歌山県教育委員会賞、2015年兵庫県教育長賞)、第49回秋の小品展で大阪府知事賞などを受賞している。

会期中、九州銘木が工芸品の制作を、松原瑞雲さんが仏像彫刻を実演する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。

丸善丸の内で片岡球子版画展、加山又造、小倉遊亀らも

【銀座新聞ニュース=2020年1月21日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月22日から2月4日まで4階ギャラリーで「ほとばしるエネルギー-片岡球子版画展」を開く。

丸善・丸の内本店で1月22日から2月4日まで開かれる「ほとばしるエネルギー-片岡球子版画展」に出品される片岡球子の「春来る富士」(リトグラフ、1986年)。

毎年、丸善・丸の内本店で1月に開く、日本画家で「帝展」や「院展」にたびたび落選し「落選の神様」とまでいわれながら、強烈な色彩とデフォルメで独自の画風を貫いた片岡球子(かたおか・たまこ、1905-2008)の版画作品展で、同時に日本を代表する画家の版画も展示販売する。

片岡球子以外に出品されるのは、日本の風景画家で「国民的画家」として知られる東山魁夷(ひがしやま・かいい、1908-1999)、シルクロードの画家で、1998年に文化勲章を受章した平山郁夫(ひらやま・いくお、1930-2009)、日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した加山又造(かやま・またぞう、1927-2004)、女性画や静物を生き生きと描いた小倉遊亀(おぐら・ゆき、1895-2000)、上村松篁(うえむら・しょうこう、1902-2001)の子息で、花鳥画の第一人者として知られる元京都市立美術大学副学長の上村淳之(うえむら・あつし)さん。

日本画家で京都造形芸術大学元学長の千住博(せんじゅ・ひろし)さん、ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術や琳派、南画といった日本の伝統的な美術を取り入れ、装飾的な世界で知られた洋画家の梅原龍三郎(うめはら・りゅうざぶろう、1888-1986)、バラの絵で知られる洋画家、中川一政(なかがわ・かずまさ、1893-1991)、孤高の洋画家で自宅の虫や花を描き続けた熊谷守一(くまがい・もりかず、1880-1977)ら。

ウイキペディアなどによると、片岡球子は1905年北海道札幌市生まれ、1926年に女子美術専門学校(現女子美術大学)日本画科高等科を卒業、神奈川県立横浜市大岡尋常高等小学校教諭を勤めながら創作し、「帝国美術院展覧会」(帝展)に3回落選し、1930年に「日本美術院展」(院展)に初入選、1933年にも入選したが、その後は落選が続いた。

1939年から院展の入選が続き、1955年に大岡小学校を退職、女子美術大学日本画科専任講師に就任、1960年に同大学助教授、1965年に同大学教授、1966年に愛知県立芸術大学日本画科主任教授、1973年より同大学客員教授を務めた。1976年に勲三等瑞宝章を受章、1982年に日本芸術院会員、1989年に文化勲章を受章、100歳を超え、脳梗塞に倒れ、療養に努めたが、2008年に103歳で亡くなった。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。

志門で現展の竹内功、樋口一成、宮地裕美3人展

【銀座新聞ニュース=2020年1月20日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル3階、03-3541-2511)は1月20日から25日まで「現展 第75回記念展受賞作家展」を開く。

ギャルリー志門で1月20日から25日まで開かれる「現展 第75回記念展受賞作家展」のフライヤー。

公募美術団体「現代美術家協会(現展)」が2019年に開いた「第75回記念現展」で記念現展賞を受賞した竹内功(たけうち・いさお)さん、樋口一成(ひぐち・かずなり)さん、宮地裕美(みやち・ひろみ)さんの3人が出品する。

現代美術家協会は戦前よりあった「日本作家協会」(洋画、日本画、彫刻)の中の洋画部と「現代美術研究会」と「新生派美術協会」の3団体が1948年11月に結成して、東京都美術館と銀座三越で発表した。1949年に3団体の展覧会の実績回数を基にして、第5回現代美術展を最初の公募展として、旧東京都美術館で開いた。

1954年の第10回現代美術協会展から「現代美術協会展」とし、1955年に構成部(彫刻・工芸)を新設し、1956年に構成部を分けて、宣伝美術、彫刻、写真の3部門とした。1959年の第15回現展から呼称を「現展」で統一し、現代美術協会の名称も「現代美術家協会」に改称した。1961年より千葉現展が始まり、以降、全国各地で支部が創設された。

1964年に第20回現展(記念展)を開き、絵画、彫刻、デザインの3部門とした。1974年ころから全国各地で支部主催の展覧会が開かれるようになった。1975年から部門を絵画、版画、彫刻、デザイン、写真の5部門とし、1976年から彫刻室が独立し、部門は絵画、版画、彫刻、工芸、デザイン、写真の6部門とした。2003年には部門を平面(絵画、版画、工芸、デザイン、写真)と立体(立体造形、工芸=用=)の2部門とした。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。