丸善丸の内で「アンパンマン」展、92歳やなせのライブも

【銀座新聞ニュース=2011年8月15日】丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は8月17日から8月23日まで4階ギャラリーで「やなせたかし原画展-アンパンマンの世界」を開催する。

丸善・丸の内本店で8月に開かれる恒例のマンガ家で絵本作家のやなせたかしさんによる「アンパンマン」の原画展で、2010年12月に発売した「アンパンマンともりのたから」(フレーベル館、945円)の原画を中心に紹介し、会場では、アンパンマンの絵本、関連グッズ、新作の版画、ミニ原画などを販売する。また、92歳のやなせたかしさんがギャラリーコンサートを開催する。

「アンパンマンともりのたから」は描きおろしシリーズ第5弾で、森の奥でどうぶつたちとくらしているキンタンは、あのキンタローの孫で、キンタンがもっている「もりのたから」とは何かな?

ウイキペディアなどによると、やなせたかしさんは1919年東京都生まれ、高知県育ちで、東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部)を卒業、1941年に徴兵され、終戦後、高知新聞記者、三越宣伝部のグラフィックデザイナーを経て、1953年に退社、マンガ家として活動をはじめ、「アンパンマン」や、中村屋などのキャラクターデザインを手掛けている。

「手のひらを太陽に」の作詞者でもあり、1996年に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」、1998年に「詩とメルヘン絵本館」、 2007年に「横浜アンパンマンこどもミュージアム」を開館した。2008年には「東京国際アニメフェア2008第4回功労賞表彰」を受賞した。

8月21日11時から、やなせたかしさんによるギャラリーコンサートを開く。定員は先着50人で、8月17日8時45分から1階正面入り口で減が購入整理券とコンサート整理券(50人)を配布する。

開場時間は9時から21時(最終日は17時閉場)で、入場は無料。

銀座ニコンで宇井真紀子がアイヌのアシリレラ展

【銀座新聞ニュース=2011年8月14日】ニコン(千代田区丸の内3-2-3、富士ビル、03-3214-5311)が運営する銀座ニコンサロン(中央区銀座7-10-1、03-5537-1434)は8月17日から8月30日まで宇井真紀子さんによる「アイヌ、風の肖像」を開催する。

写真家の宇井真紀子(うい・まきこ)さんが2011年5月10日に写真集「アイヌ、風の肖像」(新泉社、2940円)を刊行したのを記念して、写真集から選んだ作品カラー20点、白黒30点を展示する。

宇井真紀子さんは北海道の二風谷(にぶたに)で暮らすアイヌの女性、アシリレラ(日本名、山道康子=やまもち・やすこ)さんを中心に、伝統的な茅(かや)ぶきのチセ(家)で、アイヌ文化を学びながら共同生活を送る人びとを1992年から約20年間にわたり、娘を連れて東京と二風谷を往復し、家族のように傍らで暮らしながら撮影してきた。

写真集「アイヌ、風の肖像」は宇井真紀子さんが「人間の力のおよばない存在」を感じることで、人は謙虚に生きられると受け止め、アシリレラさんたちと共に過ごした日々から自らの心にしみてきた思いや世界観を表現した作品集だ。

アシリレラさんは北海道の二風谷で生まれ、父親から山で薬草や毒草、食草の見分け方、山菜や木の実について学び、母親からはそれらの保存方法や料理の仕方、薬草のせんじ方、桜やこぶし、桃の木の枝を水に漬けておくと毒素を吸い取って浄化してくれる、といったことを学んだ。また、男の仕事であるチセ(かやぶきの竪穴式の家)の造り方も父親から学んだ。

結婚して子どもをもつが、主を事故で亡くし、28歳の時に二風谷で土産物屋をはじめるも、10年後に閉店し、1991年ころに「山道アイヌ語学校」を設立し、1984年から建設がはじめられてきた二風谷ダムの反対運動を展開するも、1997年に二風谷ダムが完成した。現在、10人以上の子どもを養子にして共同で生活している。世間からはシャーマン、女性祈祷師、活動家、学校の先生ともいわれている。

ウイキペディアによると、アイヌは日本とロシアにまたがる北方先住民族で、中世以降、日本人はアイヌを蝦夷(えみし)、北海道を蝦夷地(えぞち)と称してきた。

アイヌの歴史はアイヌ文化の成立をはじめとするが、アイヌ文化は文字を持たなかったため、文献史料が十分ではなく、北海道、樺太で13世紀に成立したと考えられている。17世紀に松前藩が日本の漁場として北海道の開拓をはじめ、19世紀には和風化政策がとられ、1854年の日露和親条約締結により北海道が日本領、得撫島(うるっぷとう)以北の千島列島がロシア領に決められた。

1875年にロシアとの間で樺太千島交換条約が締結され、樺太をロシア領、千島列島全域を日本領とされ、1878年に開拓使がアイヌの呼称を「旧土人」で統一し、これ以降さまざまな禁止政策をとり、1905年に日露戦争に日本が勝利し、ポーツマス条約により、樺太の南半分が日本に返還され、1875年に北海道に移住した樺太アイヌのうち336人が故郷に戻った。しかし、1945年に旧ソ連により樺太と千島が占領された。

一方、二風谷ダムの建設途中で「二風谷ダム建設指し止め訴訟」が起こり、1997年に裁判で原告の訴えが棄却されたものの、アイヌ民族を国の機関としては初めて先住民族として認め、裁判費用も国と北海道収用委員会が負担した。同年に「アイヌ文化振興法」が成立され、「北海道旧土人保護法」が廃止され、さらに、2008年にアイヌを先住民族として認める国会決議が衆参両院とも全会一致で可決された。

宇井真紀子さんは1960年千葉県生まれ、1983年に武蔵野美術大学を卒業、1985年に日本写真芸術専門学校を卒業、フリーの写真家として活動をはじめ、1992年よりアイヌ民族を子連れで取材し、2004年まで取材した記録をまとめた「アシリ・レラ:アイヌ スピリッツ(ASIR RERA:AINU SPIRITS)」で、第4回さがみはら写真新人奨励賞を受賞している。現在、日本写真家協会会員、日本写真芸術専門学校講師、武蔵野美術大学非常勤講師。

開場時間は10時から19時(最終日は16時)、入場は無料。

アップルストア銀座店で関根健次が国際平和映像祭セミナー

【銀座新聞ニュース=2011年8月14日】アップルストア銀座店(中央区銀座3-5-12、サエグサビル本館、03-5159-8200)は8月16日19時から3階シアターで関根健次さんによる「国際平和映像祭セミナー」を開催する。

ウエブサイトの運営や映画配給、レストランなどを経営する「ユナイテッドピープル」(千葉県いすみ市岬町榎沢1021-5)代表取締役で、「一般社団法人国際平和映像祭」(横浜市中区北仲通り3-33、関内フューチャーセンター、0470-62-6129)の代表理事を務める関根健次(せきね・けんじ)さんが9月11日から9月21日まで神奈川県横浜市で開催される「第1回国際平和映像祭」について紹介し、ボランティアを募る。また、マック(Mac)で作られた映像作品を上映する。

9月21日はイギリスの俳優、ジェレミー・ギレイ(Jeremy Gilley)さんが1998年に国連に呼びかけ、2001年にイギリスとエクアドルが共同提案して決議された、世界に平和を求め、戦争中でも一時休戦を求める「ピースデイ」の日で、国際平和映像祭ではまずこの日の開催を決めたという。

国際平和映像祭は平和とサスティナビリティ(持続可能性)をテーマにした、学生を対象とした映像コンペティションで、9月11日に「ヨコハマ創造都市センター」(横浜市中区本町6-50-1)でオープニングイベント「9.11、3.11を乗り越えて、未来へ!」を開催し、9月21日に「横浜ブリッツ(BLITZ)」(横浜市西区みなとみらい5-1-3、045-640-4900)で公開しながら、最終候補作品を制作した関係者13人と審査員によってグランプリを決める。

7月上旬に第1次審査会を開いており、31本の応募作品から13本を選んでおり、その中からグランプリなどを決める。現在、最終候補に残っているのは東京造形大学4年の武井賢人(たけい・けんと)さんの「僕らが育てる平和」、駒沢大学4年の津本悠太(つもと・ゆうた)さんの「僕らの平和」、スペイン・マドリードのコンプルテンセ大学大学院修士課程1年のダニエル・V.グラシア(Daniel Villa Gracia)さんの「一〇〇〇羽の鶴-Las 1000 grullas」。

慶応大学3年の武井裕亮(たけい・ひろあき)さんの「クロスロード(CROSS ROAD)」、東京大学の石川佑樹(いしかわ・ゆうき)さんの「ムービー・フォ?・ジャパン(Movie For Japan)予告編」、早稲田大学川口芸術学校2年の尾沼宏星(おぬま・ひろとし)さんの「2010年夏、僕が見たパキスタン」、慶応大学2年の橘高朋地(きったか・ともじ)さんの「スマイルズ・フィルム『ハハハ』(Smiles Film『HaHaHa!』)」。

慶応大学3年の田受燕(でん・すよん)さんの「和から作り出す平」、東京工業大学大学院博士課程3年の石塚淳子(いしづか・あつこ)さんの「『被爆アオギリ』ワシントンへ渡る」、早稲田大学4年の慶野優太郎(けいの・ゆうたろう)さんの「Globalization Part1: Los Angeles」、早稲田大学川口芸術学校2年の本吉春菜(もとよし・はるな)さんの「スイミー」。

神戸市外国語大学4年の竹下咲紀(たけした・さき)さんの「ラオス小学校建設 僕らが歩んだ一年半年間」、慶応大学4年の大越明日成(おおこし・あすな)さん、斎藤讓一(さいとう・じょういち)さんの「これから×SFC-どうしても、伝えたいことがある」。

関根健次さんは1976年神奈川県藤沢市生まれ、高校卒業後アメリカのベロイト大学経済学部に留学、卒業後、帰国し、主にIT業界に務め、2002年に「ダ・ビンチ・インターネット有限会社」を創立(2007年に現社名に変更)、世界の問題解決を目指す事業を開始、2003年にNGO/NPO支援のための募金サイト「イーココロ!」を立ち上げ、2007年に第2回ソーシャル・ビジネス・アワード「マイクロソフト奨励賞」を受賞した。

2007年より「ソーシャル・イノベーション・ジャパン(SIJ)」フェロー、2009年11月より映画配給事業を開始している。第2回「ソーシャル・ビジネス・アワード」でマイクロソフト奨励賞を受賞している。2011年2月にNGO「エクマットラ」と共にストリートチルドレン支援目的のレストラン「ロシャヨン」をバングラデシュのダッカに開店している。

時間は19時から20時で、入場は無料。

銀座シネパトスが岡田茂特集

【銀座新聞ニュース=2011年8月11日】銀座シネパトス(中央区銀座4-8-7先、三原橋地下街、03-3561-4660)は8月27日に「追悼 岡田茂『人生劇場 飛車角』上映会」を開催する。

東映の社長、会長を歴任し、「日本映画界のドン」といわれた岡田茂(おかだ・しげる、1924-2011)が5月9日に87歳で亡くなったのを追悼(ついとう)して、当時、東京撮影所長だった岡田茂自らが企画した任侠映画シリーズの第1作となった鶴田浩二(つるた・こうじ、1924-1987)主演の「人生劇場 飛車角」(1963年)を上映する。

上映終了後に監督で舞台演出家の沢島忠(さわじま・ただし)さん、映画プロデューサーの吉田達(よしだ・とおる)さん、プロデューサーの坂上順(さかがみ・じゅん)さんによるトークイベントを開催する。

「人生劇場 飛車角」は尾崎士郎(おざき・しろう、1898-1964)原作の小説「人生劇場」で主人公の青成瓢吉(あおなり・ひょうきち)の脇役のひとりでヤクザの飛車角(ひしゃかく、小山角太郎)を主人公に据えた作品だ。

ウイキペディアによると、中核の京都撮影所長から東京撮影所に左遷させられた岡田茂、監督の沢島忠(さわしま・ただし)さん、主役の鶴田浩二、その相方の佐久間良子(さくま・よしこ)さんとも低迷期にあり、「三すくみの背水の陣」と沢島忠さんが語る中で撮影された。その後、東映では岡田茂とプロデューサーで、女優、富司純子さんの実父、俊藤浩滋(しゅんどう・こうじ、1916-2001)が組んで「任侠映画」をシリーズ化し、熱狂的ブームを起こした。

岡田茂は1924年広島県賀茂郡西条町(現東広島市西条)生まれ、長男が現東映社長の岡田裕介(おかだ・ゆうすけ)さん、長女が生命倫理学者でコメンテーターの高木美也子(たかぎ・みやこ)さん。旧制広島高校(現広島大学)文科甲一を首席で卒業、1944年に東京帝国大学経済学部に入学、学徒出陣し、岩沼陸軍航空隊(現仙台空港内)で戦闘機の整備の任務に就き、終戦後に復学し、1947年に東大経済学部を卒業、東横映画に入社、1948年に24歳で製作主任、1950年に企画した「日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声」がヒットした。

1948年に京都撮影所に従業員組合(労組)が創立され、書記長、1949年に委員長に就任、1949年に東横映画、東京映画配給、太泉映画が合併し、「東映」が誕生、京都撮影所製作課長、東映のゼネラルマネージャーのような存在となり、NHKのラジオドラマで人気だった「笛吹童子」シリーズ、「里見八犬伝」シリーズなど、子ども向け東映娯楽版をヒットさせ、暴力団山口組系の神戸芸能社(前身は山口組興行部)に所属していた美空ひばり(みそら・ひばり、1937-1989)を引き抜き、売り出し、1956年には年間配給収入でトップとなった。

1960年に京都撮影所長、将来のテレビの普及を予想し、テレビ制作を増やし、1962年に取締役東京撮影所長、低迷していた東映現代劇を「現代アクション路線」で復活させ、ギャングシリーズを開拓し、俊藤浩滋と組んで「人生劇場 飛車角」を初めとする任侠映画路線に転換させ、その後の「実録ヤクザ映画」路線、「鬼龍院花子の生涯」(1982年)などの「女性文芸」路線、「極道の妻たち」シリーズ、「キイハンター」や「Gメン1975」などの「ネオやくざ路線」に引き継がれ、後に「Vシネマ」という新ジャンルまで切り開いた。

1964年に京都撮影所長に再び就任、大リストラを断行し、時代劇制作から任侠映画路線に転換し、時代劇はテレビのみで制作することにし、同年に東映京都テレビプロダクションを設立、社長を兼任、ギャラの高い役者や監督を新会社に移したり、東京撮影所に配置転換したり、助監督を東映テレビや東映動画へ異動させた。これにより、テレビ時代劇が映画と並ぶ事業の柱とする素地を作り、他の映画会社がテレビに消極的な中、東映のシェアは50パーセントを超え、現在でも40パーセント台を確保している。

1966年に常務、1968年に制作から営業まで一貫して統括する映画本部長に就任、いわゆる「エログロ路線」や「好色路線」が本格化させ、東急グループから離脱、1971年にテレビ本部長も兼務、1971年に社長の大川博(おおかわ・ひろし、1896-1971)が亡くなると、社長に就任、東映動画(現東映アニメーション)会長も兼任、野球の東映フライヤーズを日拓ホームに譲渡、全国に32カ所あったボウリング場「東映ボウリングセンター」の大半を売った。1972年に事業部制を導入、1975年に撮影所の有効利用策として、テーマパークのはしりといわれる「東映太秦映画村」をオープンした。

1972年に洋画部(東映洋画)を新設、香港製のカンフー映画と邦画を扱い、洋画のみを扱う「東映ユニバースフィルム」(1981年発足、1984年に「東映クラシックフィルム」に改称)があり、「ドラゴンへの道」(1972年)などを配給した。テレビでは商業的に失敗した劇場版「宇宙戦艦ヤマト」(1977年)を買い付け、一連の宇宙戦艦ヤマトシリーズ、「銀河鉄道999」(1979年)などの松本零士(まつもと・れいじ)さんの作品をアニメ化、映画化して大きな収益を上げたという。

1980年に東急グループの興行会社「東急レクリエーション」社長に就任、16年ぶりに東急グループに復縁し、1993年に東映会長、1971年から1995年まで「日本映画製作者連盟」会長、テレビ朝日会長なども務めた。1978年に日本アカデミー賞の創設に尽力、2007年度に日本アカデミー賞に「岡田茂賞」が新設された。1984年に藍綬褒章(らんじゅほうしょう)、1995年に勲二等瑞宝章などを受賞している。その後、相談役、名誉会長となり、2006年7月に名誉会長に就任し、2011年5月9日に肺炎のため、死去した。

沢島忠さんは1926年滋賀県愛知郡湖東町(現東近江市)生まれ、1948年に同志社外事専門学校をを卒業、劇団「エランヴィタール」に参加、演出助手となり、1950年に劇団が解散、東映の前身、東横映画助監督部に入社、東映誕生後は東映京都撮影所に勤務、1955年に高松富久子(たかまつ・ふくこ、1921-1990)と結婚、後に「暴れん坊兄弟」(1960年)などの脚本家「鷹沢和善」(富久子との共同ペンネーム)として夫婦で脚本を手がけた。

1957年に監督に昇進、「忍術御前試合」で監督デビュー、1967年に東映との契約を解消、東京映画の専属となり、1971年に「コマ・プロダクション」を設立、1977年に「巨人軍物語 進め!!栄光へ」を最後に監督をやめて、舞台演出家となり、現在も演出家として活動している。

吉田達さんは1935年生まれ、1958年に東映に入社、東京企画部に所属、1960年に「大空の無法者」を企画したのをはじめ、任侠シリーズや不良番長シリーズなどを手がけ、1977年に「人間の証明」、その後、劇場版「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」などをプロデュースし、1983年に東映ビデオに移り、現在もプロデューサーとして活躍している。

坂上順さんは1939年生まれ、1962年に東映に入社、東京撮影所製作部進行係に配属され、1993年に東京撮影所代理、1996年に取締役東京撮影所長、2003年に常務映画企画製作担当、2004年に映像本部副本部長、2008年に退任、東映京都スタジオ社長、2010年に退任、「スタジオ88」を設立、29012年に公開予定の「はやぶさ 遥かなる帰還」のエグゼクティブプロデューサーを務めている。

開演時間は10時30分、料金は1500円。ぴあシネマリザーブシートは1700円。

立川銀座で工房どんぐりが布おもちゃ、布絵本展、武蔵美も

【銀座新聞ニュース=2011年8月11日】立川ブラインド工業(港区三田3-1-12、03-5484-6100)の銀座ショールーム(中央区銀座8-8-15、03-3571-1373)地下1階「タチカワ銀座スペース オッテ(Atte)」で8月16日から8月20日まで「見て 触れて 遊べる 手作り布おもちゃ展」を開催する。

20年以上にわたって子どもたちや障害児、障害者のために布おもちゃを手作りしているボランティアグループ「トイ(TOY)工房どんぐり」(世田谷区代田2-20-6、代田ボランティアビューロー内)が見て触って遊べる布おもちゃ約50点を展示する。

2010年に続いて2回目の開催となり、今回は武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科積み木クラスが協力し、積み木作品やパネルを展示する。

「トイ工房どんぐり」は1983年に東京・世田谷ボランティア協会の代田ボランティアビューロー発足時に、ビューロー事業のひとつとしてスタート、当初は手仕事の好きな女性が障害児のために布遊具を手作りして、おもちゃ図書館などににプレゼントしていた。

当時、障害児の教育の現場や日常の生活の中で、子どもたちの興味を引く教材や遊具が求められていたが、ひとりひとりのニーズに合わせた遊具がなく、学びながら作るという繰り返しで、経験を通じて技術を培った。以来、教育の現場、家庭の日常での需要に応えて、最適な教材や遊具を作り続けており、1989年に福祉機器デザインコンペ京都優秀賞を受賞している。

今回は布絵本「ももたろう」などを紹介する。「トイ工房どんぐり」によると、布絵本は普通の絵本とは違い、パーツを動かしたり、触って楽しめるのが特徴で、破けることもなく、話に合わせてパーツを動かしていくことで、手先の訓練になり、想像力、集中力を養い、物語の理解にも役立つという。

「トイ工房どんぐり」では布絵本としてはほかに「おおきなかぶ」や「三びきのこぶた」をはじめ、「おおかみと七ひきのこやぎ」と「はらぺこあおむし」がある。

武蔵野美術大学造詣学部視覚伝達デザイン学科は視覚言語と視覚メディアによるビジュアルコミュニケーションデザインの分野にたずさわる人材を育成する学科という。

ウイキペディアによると、ビジュアルデザインとは絵や写真、コンピュータグラフィックス(CG)などの視覚的な表現で伝達することを目的としたデザインの総称で、視覚デザインや視覚伝達デザイン、ビジュアルコミュニケーションデザインともいう。映像や音声など視覚以外の伝達方法が含まれる場合もあるとしている。

ビジュアルコミュニケーションには、芸術、サイン、写真、活版印刷(タイポグラフィ)、デッサン(ドローイング)、色、電子リソースなどがある。

開場時間は10時から16時で、月・日曜日、祝祭日が定休日。入場は無料。問い合わせはトイ工房どんぐり(letter@toy-donguri.net、03-3419-4545)まで。