日本橋三越が「第九」中止、西川幾子がベートーベン生誕250周年演奏(2)

(演奏者の情報を追加し、見出しも一部変えます)
【銀座新聞ニュース=2020年12月25日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)はこのほど、12月29日に開いてきた台東区民合唱団による「第36回三越の第九」を中止することを決めた。

日本橋三越が毎年12月29日に実施してきた「三越の第九」の過去の風景。

「三越の第九」は1985年12月からスタートし、毎年、日本橋三越本店で台東区民合唱団約200人が参加して、ドイツの作曲家、ベートベン(Ludwig van Beethoven、1770-1827)の「交響曲第九番」の第4楽章を歌唱するイベントだが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から中止を決めた。

2019年は東京芸術大学指揮科准教授の酒井敦(さかい・あつし)さんが指揮し、ピアノ奏者で、東京芸術大学講師の山口佳代(やまぐち・かよ)さん、東京芸術大学音楽学部作曲科の山中麻鈴(やまなか・まりん)さんがピアノを演奏していた。

「三越の第九」を中止した代わりに、コロナの終息と、次回に「第36回三越の第九」が開催できるよう願いを込めて、29日12時30分と14時30分から本館1階中央ホールでピアノ奏者の西川幾子(にしかわ・いくこ)さんによる「パイプオルガンで奏でる第九&ベートーベン生誕250周年特別コンサート」を開く。

ウイキペディアによると、ベートベンは1770年12月12月16日ころに「神聖ローマ帝国」(800年から1806年までドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在した西ローマ帝国の後継国家)ケルン大司教領(Erzbistum Koln)のボン(Bonn)で生まれ、父親のヨハン・ヴァン・ベートーヴェン(Johann van Beethoven、1739、または1740-1792)は宮廷歌手(テノール)、母・マリア・マグダレーナ(Maria Magdalena van Beethoven、1746-1787)は宮廷料理人の娘だった。

1774年ごろより父親から苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受け、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年より作曲家のクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ(Christian Gottlob Neefe、1748-1798)に師事し、1787年にウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart、1756-1791)を訪問したが、母が肺結核で危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し、アルコール依存症となり失職した父に代わって、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支えた。

1792年7月にロンドンからウィーンに戻る途中でボンに立ち寄ったハイドン(Franz Joseph Haydn、1732-1809)にその才能を認められて弟子入りし、11月にはウィーンに移住し(12月に父が死去)、まもなくピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ=virtuoso)として名声を博した。20代後半頃より持病の難聴が徐々に悪化し、28歳の頃には最高度難聴者となった。音楽家として聴覚を失うという絶望感から、1802年には「ハイリゲンシュタットの遺書」をしたためて自殺も考えたが、彼自身の音楽への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、ふたたび生きる意欲を得た。

1804年に交響曲第3番を発表し、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、「傑作の森」(ロマン・ロラン=Romain Rolland、1866-1944)=による表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。40歳頃には聴覚を失い、さらに神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。しかし、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や「ミサ・ソレムニス」(Missa_solemnis、1823年)といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲などの作品群を完成した。

1826年12月に肺炎を患い、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、1827年3月23日には死期を悟って遺書を認め、病床の中で10番目の交響曲に着手するも、未完成のまま3月26日、肝硬変のため生涯を閉じた。享年58歳(満56歳没)。

「交響曲第九番」はベートーベンの9番目にして最後の交響曲で(第10番は未完成)、1824年に初稿が完成した。交響曲とはソナタの形式で書かれた器楽のための楽曲で、第1楽章がソナタ、第2楽章がスケルツォ、第3楽章が緩徐楽章、第4楽章に4人の独唱と混声合唱を導入した。第4楽章は独唱および合唱を伴って演奏され、歌詞にはドイツの詩人、シラー(Johann C. F.von Schiller、1759-1805)の詩「歓喜に寄す」が3分の1程度を抜粋して使われている。

西川幾子さんは京都府生まれ、4歳からピアノをはじめ、中学生で「全日本学生音楽コンクール」西日本大会中学校の部第1位になり、東京芸術大学を卒業、イタリアの「シエナ・キジアーナ音楽院」でディプロマ(卒業証書)を取得、1995年と1998年に京都と東京でソロリサイタルを開き、1996年から7年間、筑波大学付属駒場中・高校で講師を務め、2000年「音楽事務所 夢工房」を設立した。現在、ピアノ活動と並行して、音楽イベントプロデュースを行っている。

東宝、映画21年に25本配給、細田守「竜とそばかすの姫」等

【銀座新聞ニュース=2020年12月18日】阪急阪神東宝グループで、国内映画業界首位の東宝(千代田区有楽町1-2-2、03-3591-1221)はこのほど、2021年公開予定の映画作品を発表した。

12月18日から一般公開される「約束のネバーランド」((C)白井カイウ・出水ぽすか/集英社(C)2020 映画「約束のネバーランド」製作委員会)。

2020年11月から2021年中に配給予定(一部は公開中)の25本(2020年当初は28本を予定)と2022年に1本が公開予定となっている。一部の作品は2020年中に公開予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大により、上映が中止された作品も含まれている。

11月から12月に公開(すでに公開した作品を含む)する映画は11月20日の「スタンド・バイ・ミー(STAND BY ME)ドラえもん2」(監督は八木竜一=やぎ・りゅういち=さん)、12月11日の「新解釈・三国志」(監督は福田雄一=ふくだ・ゆういち=さん)、12月18日の「約束のネバーランド」(監督は平川雄一朗=ひらかわ・ゆういちろう=さん)、12月25日の「劇場版ポケットモンスター ココ」(監督は矢島哲生=やじま・てつお=さん)、12月25日の「映画 えんとつ町のプペル」(監督は広田裕介=ひろた・ゆうすけ=さん)の5本。

2021年1月と2月に公開予定の映画は1月23日の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(総監督は庵野秀明=あんの・ひであき=さん、監督は鶴巻和哉=つるまき・かずや=さんと 中山勝一=なかやま・かついち=さん)、2月19日の「夏への扉-キミのいる未来へ」(監督は三木孝浩=みき・たかひろ=さん)の2本。

3月に公開する予定の映画は3月5日の「映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」(監督は山口晋=やまぐち・すすむ=さん)、3月12日の「ブレイブ-群青戦記」(監督は本広克行=もとひろ・かつゆき=さん)、3月19日の「奥様は、取り扱い注意」(監督は佐藤東弥=さとう・とうや=さん)、3月26日の「映画モンスターハンター」(監督はポール・W・S・アンダーソン=Paul W.S. Anderson=さん)の4本。

4月に公開する予定の映画は4月2日の「劇場版シグナル 長期未解決事件捜査班」(監督は橋本一=はしもと・はじめ=さん)、4月16日の「探偵コナン 緋色の弾丸」(監督は永岡智佳=ながおか・ちか=さん)、4月23日の「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」(監督は高橋渉=たかはし・わたる=さん)の3本。

5月と6月公開予定が5月公開が決まっている「ヒノマルソウル-舞台裏の英雄たち」(監督は飯塚健=いいづか・けん=さん)、6月公開が決まっている「キャラクター」(監督は永井聡=ながい・あきら=さん)の2本。

初夏公開予定が「シン・ウルトラマン」(監督は樋口真嗣=ひぐち・しんじ=さん)、夏予定が「竜とそばかすの姫」(監督は細田守=ほそだ・まもる=さん)と「僕のヒーローアカデミアTHE MOVIE 3(仮題)」(監督は長崎健司=ながさき・けんじ=さん)、「妖怪大戦争 ガーディアンズ」(監督は三池崇史=みいけ・たかし=さん)の4本。

9月と10月公開予定が9月17日の「マスカレード・ナイト」(監督は鈴木雅之=すずき・まさゆき=さん)、10月の「燃えよ剣」(監督は原田真人=はらだ・まさと=さん)の2本。

ほかに、2021年に公開予定となっているのが「鹿の王」(監督は安藤雅司=あんどう・まさし=さんと宮地昌幸=みやじ・まさゆき=さん)、劇場版「きのう何食べた?」(監督は中江和仁=なかえ・かずひと=さん)、「ゴジラVSコング(GODZILLA VS.KONG、原題)」(監督はアダム・ウィンガード=Adam Wingard=さん)の3本。

2022年に公開予定としては「コンフィデンスマンJP 英雄編」(監督は田中亮=たなか・りょう=さん)が決まっている。

注:「三国志」の「国」、「矢島哲生」の「島」、「広田裕介」の「広」、「原田真人」の「真」はいずれも正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

インド、感染鈍化で挙式需要回復へ、ホテル街も活気づく(52)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年12月18日】インドの新規感染者数は1日3万人台まで落ち込み、何地域かを除いては、鈍化維持、本日12月7日の総感染者数は968万人だが、実質陽性者数は54万人と、世界のワースト5カ国中、死者数(14万1000人)共々もっとも少ない。

2012年12月3日、当地プリーにて我が弟の現地挙式、ヒンドゥ式に則って、婚礼プジャ(祈祷儀式)が、日本からの親族友人14人が見守る中、厳かに執り行われた(写真は、華麗な結婚衣装に着飾った新郎新婦)。

第3波中だった首都デリー(Delhi)も新規感染者数が5000人超に上り詰め(7日現在総数59万2000人、回復者数55万8000人、死者数9643人)、懸念されていたが、2700人台まで落ち込んだ。

当オディシャ州(Odisha、人口4600万人)は、総感染者数32万人を突破したが、実質陽性者数は4000人弱、新規感染者数はピーク時4000人から5000人だったのが、400人以下と急落、死者数は1700人超だ。ワクチン製造に励んでいるバーラト・バイオテック(Bharat Biotech、本社ハイデラバード)の支社が州都にあって、予想以上に早く、市場に出回りそうとの朗報も伝えられている。

今後の推移を見ないとなんとも言えないが、今のところ当州に限っては、収束に向かいつつあると言っていい。

ベンガル湾に面する保養聖地・プリー東浜のホテル街も、結婚式を請け負うなど、徐々に活気を呈しだし、当ホテル・ラブ&ライフも、団体さんの予約が入るなど、喜ばしい。

毎年、11月から2月の冬期は結婚シーズンで、例年なら、大型・中堅ホテルは式場と化し、豆電飾や花できらびやかに飾り立てられるのだが、コロナ下式需要も激減、それでも州政府が200人制限の挙式を許可したせいで、延期を余儀なくされたカップルが、収束に向かいつつある今、待ってましたとばかり、予約に詰めかけているようだ。

新婦の両掌は、ヘナと言われる髪を染めるにも使われるハーブ染料で精妙な模様が施されるのも、インド独特の慣習だ。

海辺の大型リゾートホテルは連日式場に早変わり、とはいえ、平常時に比べると、派手さ控えめで、電飾も少なめだ。参列者200人制限なんて多すぎる、インドらしいゆるさで、会食での感染リスクは避けられないが、7カ月も休業要請を強いられただけに、背に腹はかえられぬといったところ、リベンジ請け負いだ。

初期に感染爆発都市ムンバイ(Mumbai)で五つ星ホテルのスタッフが感染、日本だって「Go To」で宿の従業員の感染が伝えられているから、同業者としてははらはら、その一方で、徐々に正常に戻りつつあるのだと思うと、ほっとして喜びも覚える。

年末が近づくにつれ、お客さんも少しずつ増えるかもしれない。9カ月振りの団体予約は何よりのクリスマス・プレゼントだ。

●ニュース/農夫の抗議デモ

11月27日、農業改革に反対する農家の人々が「デリー・チョロ」(デリーに行け)のスローガンを掲げ、首都に集団で向かい、阻止せんとする警官隊が催涙ガスや放水で応酬、揉み合いになり大混乱に陥った。

インドではこれまで、農作物は州管轄の市場て保証価格で販売されてきたが、今年可決された法案で、農家が相手問わす、自由に販売できるようになった。

モディ首相(Narendra Damodardas Modi、与党インド人民党)は、投資や近代化を促進する、画期的農業改革と持ち上げたが、野党・国民会議派が牛耳る北部パンジャブ(Punjab)出身が多いデモ参加者たちは、民間企業に搾取されると反発、野党に扇動された形で首都行進のデモ抗議に及んだ。

農家の貧困は長年の社会問題で、気候的変動による不作で、負債理由に自殺に走る農夫が跡を絶たなかった。

折悪しくコロナ下、デリー準州とハリヤーナ州(Haryana)の州境7カ所が封鎖されたが、最大密による感染拡大も懸念されている。

●極私的動画レビュー/ドラマ「テロリストのパラソル」

YouTubeにアップされている往年のドラマ「テロリストのパラソル」(フジテレビ「金曜エンタテイメント」枠、1996年)を観た。題名を聞いただけで懐かしく思う世代もあるはずだ。

それもそのはず、原作は1995年、史上初の江戸川乱歩賞と直木賞をダブル受賞した、電通出身の作家・藤原伊織(ふじわら・いおり、1948-2007)による時代を超えて生きる傑作だからだ。

主演は、ショーケンこと、萩原健一(はぎわら・けんいち、1950-2019)で、アル中の中年バーテンダー役で、「テロリスト」役は、根津甚八(ねづ・じんぱち、1947-2016)、2人がかつて学生闘争家だった頃の恋人役には、高橋恵子(たかはし・けいこ)と、文句なしの豪華キャストだが、ショーケン以外は出番が少なく、3人の絡みも充分に描かれず、不満が残る。

2時間弱という制限の中では、致し方ないのかもしれないが、刑事による捜査場面や、テレビの爆弾テロ事件を報じるニュースシーンに割かれ、肝心の人間ドラマが薄くなった。改めて原作を読み直してみると、細部を失念していたせいで、超面白く引き込まれていった。

原作のずしりとした重み、深み、読ませる手応えある充実感に比べると、ドラマは上っ面だけを撫でた薄っぺらなもので、ショーケンもそれほど役に入り込んでいるとは思えない。通り一遍の熱演だが、特筆に値すべきものではない。むしろ、根津甚八の演技の方が、個性的で際立つが、あまりに出番が少ない。高橋恵子に至っては、刺身のつまだ。

それに、ドラマでは、ホームレスの老いた元医師が省かれている。非常にユニークな人物造型でキャラが立っているだけに、ドラマで描かれていないのが、物足りなかった。

原作を読み返した後で、再鑑賞してみると、画面が明るすぎるのも、違和感が残った。特に主人公が勤める新宿のスナックシーンは、もっと暗くていい。私のイメージでは、原田芳雄(はらだ・よしお、1940-2011)なんだなあ、何故か。警察から逃げ回る元学生活動家、この役柄は、原田芳雄に演じてもらいたかった。

蛇足ながら、私はショーケンのファンである。根津甚八や高橋恵子のファンでもある。それだけに、3人の絡みがもっと欲しかった。深くどろどろした人間ドラマは、原作で楽しまれることをお薦めする次第だ。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、コロナウイルスには感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

12月11日現在、インドの感染者数は979万6744人、死亡者数が14万2185人、回復者が929万0809人、アメリカに次いで2位になっています。アメリカの感染者数は1561万1014人、死亡者数が29万2141人、回復者が598万5047人です。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。

また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)。

「いきなり!ステーキ」で感謝フェア、サーロインを特価で

【銀座新聞ニュース=2020年12月18日】「いきなり!ステーキ」などを展開するペッパーフードサービス(墨田区太平4-1-3、オリナスタワー、03-3829-3210)は12月18日から「いきなり!ステーキ銀座四丁目店」(中央区銀座4-9-5、銀昭ビル、03-6278-7429)など「いきなり!ステーキ」全店で「年末年始 感謝フェア」を開く。

「いきなり!ステーキ」全店で開かれている「年末年始 感謝フェア」のフライヤー。

「国産サーロインステーキ200グラムセット付」(以下、いずれもサラダ、スープ、ライス付)はランチが通常価格2860円(税込)を2420円に、平日ディナー、土日祝日通常価格3058円を同じ2420円で提供する。

また、「同300グラムセット付」はランチが通常価格4180円を3630円に、平日ディナー、土日祝日の通常価格4378円を3630円にする。さらに、「同400グラムセット付」はランチが通常価格5500円を4840円に、平日ディナー、土日祝日の通常価格5698円を4840円にする。ただし、一部の店舗では、国産リブロースステーキでの販売となり、サラダバー導入店舗でのセット内容は、サラダ(1回盛り切り)、スープ(1回盛り切り)、ライス(おかわり1回可)となる。

「いきなり!ステーキ」の「銀座四丁目店」以外の中央区とその近隣の店舗は「勝どき店」(中央区勝どき2-10-2、土信田ビル、03-6204-2429)、「東京八重洲地下街店」(中央区八重洲2-1、八重洲地下街南1号、03-5542-1929)のほか、「有楽町店」(千代田区有楽町1-2-6、有楽町1丁目ビル、03-6811-2329)、「新橋日比谷口店」(港区新橋2-6-5、織田興産ビル、03-6205-4729)などがある。

ペッパーフードサービスは赤坂の山王ホテルから独立した、現代表取締役社長の一瀬邦夫(いちのせ・くにお、1942年生まれ)さんが1985年10月に「有限会社くに」(1995年に「株式会社ペッパーフードサービス」に改組)を設立、レストラン事業をはじめ、1987年11月に墨田区にステーキレストラン「ステーキくに」両国店(現「炭焼ステーキくに」両国店)を開店、1994年にフランチャイズチェーン(FC)店舗第1号店として、「ペッパーランチ」大船店を開店し、ペッパーランチ事業をはじめた。

9月に台東区に直営店舗第1号店(通算2号店)の「ペッパーランチ」浅草店を開店した。2003年11月に韓国ソウル市に海外第1号店の「ペッパーランチ」を開店、2004年11月に大阪府泉南市に「ペッパーランチ」第100号店を開店、2005年3月に台湾台北市に「ペッパーランチ」1号店を開店、7月にシンガポール、12月に中国北京市に「ペッパーランチ」1号店を開店した。

2006年9月に東証マザーズに株式を上場、11月にインドネシア・ジャカルタに「ペッパーランチ」1号店、2007年4月にオーストラリア・シドニーに「ペッパーランチ」1号店、11月にタイ・バンコクに「ペッパーランチ」1号店、2008年5月にフィリピン・マニラに「ペッパーランチ」1号店、12月にマレーシア・クアランプールに「ペッパーランチ」1号店、2009年9月にモスフードサービスより「ステファングリル事業」を譲り受け、2012年2月に「ペッパーランチ」海外100店舗を達成した。

2013年12月に銀座に立ち食いで量り売りの厚切りステーキ「炭焼ステーキくに」業態の半額で提供する新業態「いきなり!ステーキ」を開店し、2014年12月に「いきなり!ステーキ」30店舗を達成した。2015年3月にカナダ・ブリティッシュコロンビア州に「ペッパーランチ」1号店を開店、2016年8月に「いきなり!ステーキ」100号店を達成、2017年8月に東証第1部に指定替え、2018年2月に「いきなり!ステーキ」200店舗を達成、8月に「いきなり!ステーキ」300店舗を達成、11月には「いきなり!ステーキ」を秋田県に開店し、47都道府県への出店を達成した。

「ペッパーランチ」は2020年6月1日に新設分割で設立した株式会社JPへ運営が移管され、7月3日にJP(ペッパーランチ事業)を投資ファンドの「J-スター(STAR)」に85億円で売却し、8月31日付けで「株式会社ホットパレット」へ社名変更するとともに、ペッパーフードサービス傘下から離脱した。「いきなり!ステーキ」は396店舗(2020年6月末現在)で、ほかに炭焼ステーキ・くに、こだわりとんかつ・かつき亭、アメリカンキッチンなども展開しており、2020年12月期の売上高予想は前期比54.2%減の305億7700万円、営業損益が42億1500万円の赤字(前期は2億13000万円の黒字)の見通し。

営業時間は原則11時から23時だが、酒類の提供は22時まで。各店舗に確認を。食材がなくなり次第、販売終了となる。

コロナで仕事変わっても引き継ぎが悩み、宝塚を参考にしたよ(319)

【tamaoのOL独り言=2020年12月17日】いよいよ師走。押し詰まってきましたね、と思ったら、「Go Toキャンペーン」一時停止とのこと。本当に今年は大変な1年でした。

百合が咲いたんですが、ちょっと普通のとは違うかな?香りは同じでぷんぷん匂っています。

親戚が観光業なので、3月から大変なことよくわかります。盛り上げたいのもよくわかるだけに、キャンペーンをやめられなかったのも、その観光業関係者の大変な1年のことを聞いているからだと思います。でも、いろいろ意見はあるけれど、最後に医療従事者への報酬の予算を取りましたよね。

これはすごくよいことですよね。わいのわいの言っている人に、言いたい!まず医療従事者へ感謝を示そうよって。まぁ、自分も、何もできてないのに、と反省してますけど。

今年は、仕事の仕方が変わったと思う。ただ、電車の混雑ぶりを見ると、変わらない人もいるんだなと思う。それが良いのか悪いのかということはありますけれど。

自分もどんどん仕事が変わって、ちょっと仕事の引き継ぎについて悩んでいたんだけど、宝塚雪組トップだった水夏希(みず・なつき)さんのインタビューで、宝塚のことを読んだんです。それは、水さんの先輩の天海祐希(あまみ・ゆうき)さんからの指導についてだ。

内容は、後輩に惜しげもなく教えてあげる、そして、先輩も後輩もなく平等にすることだった。

わかっていたつもりだったけど、なるほどと感心してしまった。人に教えることの難しさも痛感しているところで、でも、惜しげもなく、これまでやってきた以上にやればいいんだな、と思いました。

また、世の中がこれだけ変わってきているのだから、医療についても忙しいのはわかるので、効率化を図ることも大事なんじゃないかなと思いましたよ。

何が忙しくてというと、それは交代する人がいないからなのか?それとも、ほかに原因があるのか、まで突きとめないと、解消できないのではないでしょうか?

忙しく働いている人が体調を壊して、助けられる人も間に合わなかったということにならなければいいんですけれども。

そんな心配をしていても、5年後にはワクチンができて、こんな心配してたよねーって笑って話ができるといいのですが(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。