銀座わしたで沖縄うるま出身の西仲美咲がライブ、竹内大輔も

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【銀座新聞ニュース=2013年3月7日】沖縄県物産公社(沖縄県那覇市字小禄1831-1、098-859-4147)が運営する銀座わしたショップ(中央区銀座1-3-9、マルイト銀座ビル、03-3535-6991)は3月16日17時から地下1階で西仲美咲さんによるインストアライブを開催する。

銀座わしたショップで3月16日にインストアライブを開く西仲美咲さん。

沖縄県うるま市出身でジャズフルート奏者の西仲美咲(にしなか・みさき)さんが出演する。伴奏はキーボード奏者の竹内大輔(たけうち・だいすけ)さんだ。2012年9月に発売した2枚目のアルバムで、西仲美咲さんのオリジナル曲「あかばなーのうた」を収録した「あかばなーのうた」(2100円)では、竹内大輔さんも参加している。

西仲美咲さんは沖縄県うるま市勝連平敷屋生まれ、中学時代にフルートを学び、沖縄県立開邦高校芸術科音楽コースでクラシックを学び、高校卒業後にジャズに出会い、2000年より3年余の間、オーストラリア、アジアを中心に旅をし、帰国後の2004年より東京でジャズの演奏をはじめ、2007年より沖縄でライブ活動をはじめた。

ボランティアで沖縄県内離島の学校を訪問し演奏、指導を行い、2011年は八重山諸島の小中学校20校を訪問した。同年7月にシングル「アカ・イズ・ファンキー(aka.is.funky)」を発売し、2012年9月に2枚目のアルバム「あかばなーのうた」を発売している。現在、自身がリーダーを務めるバンドを中心に沖縄、東京で演奏活動を展開している。

竹内大輔さんは1980年埼玉県生まれ、大学ではバンドを経験し、現在は関東を中心にライブハウスやホテル、レストラン、バーなどで演奏している。

時間は17時から、入場は無料。

ベーネ銀座でNY在住のユキ・カサハラが水の中の生活展、本人も

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【銀座新聞ニュース=2013年3月7日】宝飾品のベーネユナイテッド(山梨県甲府市住吉1-16-4、 055-226-3439()は3月15日から28日までベーネベーネ銀座サロン(中央区銀座3-12-11 第2タチバナ銀座ビル6階、03-3544-0370)でユキ・カサハラ(Yuki kasahara)さんによる個展を開催する。

ベーネユナイテッドのベーネベーネ銀座サロンで3月15日から28日まで展示されるユキ・カサハラさんと共同企画した宝飾品

アメリカ・ニューヨーク在住の現代美術家のユキ・カサハラ(Yuki kasahara)さんが「水の中での生活『ファンタジー・ワールド(Fantasy World)』」をテーマにして制作した作品を展示する。ユキ・カサハラさんが日本で個展を開くのは今回が初めてとなる。

また、ユキ・カサハラさんがベーネベーネ銀座サロンと共同で企画した新作の宝飾品「ワンダーランド(WONDERLAND)」も展示する。「ワンダーラン」は大粒のローズカットの宝石と小さな宝石を組み合わせており、見る角度によって印象が変わるのが特徴としている。

ユキ・カサハラさんは多摩美術大学を卒業後、2002年から2005年までアメリカ・ニューヨークのスタジオ学校で学び、2003年にスタジオスクールディーンズ賞を受賞、2004年にスタジオ学校ペインティング賞を受賞、同年にメイン州のスカウヒーガン絵画彫刻学校(Skowhegan School of Painting&Sculpture)のスカラーシップを獲得している。

2010年にニューヨークのローム美術プログラム(Rome Art Program)のスカラーシップを獲得、同年にニューヨークのグループ展に参加、2011年8月に福島のプロジェクトに参加、2012年12月にローム美術プログラムのオークションに出品している。

14日18時から21時30分までオープニングレセプションを開く。この席で共同企画した宝飾品を発表される。

開場時間は10時から18時(土・日曜日、祝日は11時から17時)。入場は無料。

銀座スウィングで北村英治、外山喜雄らがジャズライブ

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【銀座新聞ニュース=2013年3月6日】二條(中央区銀座西2-2、銀座インズ2-2階)が運営する銀座スウィング(中央区銀座西2-2、銀座インズ2-2階、03-3563-3757)は3月12日に北村英治さん、外山喜雄さんらによるジャズライブを開催する。

銀座スウィングで3月12日に出演する北村英治さん。今年2月に演奏活動を再開している。

2012年8月から心筋梗塞で苦しみ、回復に努めてきたクラリネット奏者で、4月8日に84歳を迎える北村英治(きたむら・えいじ)さんが演奏活動を再開してから銀座スウィングで3度目となるジャズライブを開く。

共演するのはジャズトランペット奏者の外山喜雄(とやま・よしき)さん、ピアノ奏者でボーカルの高浜和英(たかはま・かずひで)さん、ベース奏者の小林真人(こばやし・まさと)さん、ドラム奏者の八城邦義(やしろ・くによし)さんだ。

北村英治さんは1929年東京都生まれ、慶応大学在学中にクラリネットを学び、1951年に「南部三郎(なんぶ・さぶろう)クインテット」でデビュー、 1954年に自らのバンドを結成、1977年からアメリカのモンタレージャズ祭に出演した。

以降、1994年まで連続18回と1996年に出演した。1991年から2000年までアメリカ・ロサンゼルスで「L.A.インターナショナル・ジャズパーティ」を開いた。2007年に旭日小綬章を受章している。現在、有限会社「スイングエイジ」代表取締役社長。

外山喜雄さんは1944年東京都生まれ、中学の頃からジャズに興味を持ち、早稲田大学政経学部を卒業、在学中に「ニューオリンズ・ジャズ・クラブ」に入り、ピアノ、バンジョー奏者の外山恵子(とやま・けいこ)さんと出会い、卒業後に結婚し、損保会社に就職し、1968年に退職して夫婦でブラジル移民船に乗り、アメリカ・ニューオリンズに移り、通算5年、ジャズを学び、ヨーロッパ、アメリカ各地で演奏した。

1975年に「外山喜雄とデキシー・セインツ」を結成し、以降、ライブ、コンサート活動を中心に、1983年から23年間、東京ディズニーランドで演奏、1998年から2006年3月アメリカ・ニューオリンズ・スクエアで演奏した。日本ルイ・アームストロング協会の会長として1994年からニューオリンズの子ども達へ楽器を贈る運動を進め、2005年に外務大臣表彰、ニューオリンズ市名誉市民。2003年以来、毎年ニューオリンズで開催される「サッチモサマーフェスト・ジャズ祭」に6年連続で招待されている。

高浜和英さんは1955年福井県あわら市生まれ、子ども時代にクラシックピアノを学び、高校時代に上京、1975年にプロデビューし、1986年に第2回日本ジャズボーカル賞新人賞、グループと並行してスイング、ジャズ、ピアノ奏者として活動、2000年に北村英治(きたむら・えいじ)さんのカルテットに参加、2011年にニューカレドニアの日本震災支援コンサートに北村英治カルテットで出演している。水森亜土(みずもり・あど)さんのバックバンドのレギュラーとしても活動している。

小林真人さんは1957年東京都生まれ、早稲田大学を卒業、在学中に「ニューオーリンズジャズクラブ」でベースをはじめ、「三上和彦(みかみ・かずひこ)グループ」としてプロデビュー、1983年にアメリカで演奏し、帰国後に「外山喜雄とデキシーセインツ」を経て独立して活動している。

八城邦義さんは1959年東京都生まれ、中学のころからジャズドラムをはじめ、17歳でプロデビューし、多くのバンドに参加し、1996年に「北村英治スーパークインテット」の一員としてアメリカの「モンタレー・ジャズフェスティバル」に出演している。以降、内外で活躍している。

開演時間は18時45分から。料金は会員が2100円、同伴が2620円、一般が3680円。ボトルをキープすると会員になれる。

第一ホテルが75周年記念で、宗谷の模型とカクテル

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【銀座新聞ニュース=2013年3月6日】阪急阪神ホテルズ(大阪府大阪市北区芝田1-1-35)グループの第一ホテル東京(港区新橋1-2-6、03-3501-4411)は3月1日から5月31日まで創業75周年と南極観測船「宗谷」建造75周年の「75ダブルアニバーサリー企画」として75周年をイメージした「カクテル」を発売している。

第一ホテル東京で5月31日まで創業75周年と南極観測船「宗谷」建造75周年の「75ダブルアニバーサリー企画」として提供しているカクテル「スミレーロ」(左)と「ライジングサン」(右)。

第一ホテルが開業したのと、初代南極観測船「宗谷(そうや)」が建造されたのが同じ1938年で、2013年に75周年を迎えたのを記念して、21階の「ラウンジ21」で「宗谷」と小惑星探査機「はやぶさ」をイメージしたカクテルを発売し、バンダイが「大人の超合金」シリーズとして1月25日に発売した250分の1の大きさの「宗谷」の模型と2011年6月に発売した「小惑星探査機はやぶさ」の模型を展示している。

カクテルは南極をイメージした「スミレーロ」と南極初上陸でクルーが見た太陽をイメージした「ライジングサン」、「はやぶさ」をイメージした「宇宙(そら)」を発売している。「スミレーロ」とは氷が溶けて氷河に穴をあけ水流をつくる現象のことで、今回のカクテル名にした。

ウイキペディアによると、「宗谷」は1936年に旧ソ連通商代表部より、川南工業(かわなみこうぎょう、1936年設立、195年に倒産)の長崎県の香焼島(こうやぎしま)造船所(後に三菱重工長崎造船所香焼ドッグ)が耐氷型貨物船3隻の発注を受けた中の1隻として建造された。1935年に旧ソ連から旧満州国が北満鉄路(中東鉄道)を買収した契約の一部で、1938年に川南工業社長の川南豊作(かわなみ・とよさく、1902-1968)の長女、川南幸子(かわなみ・ゆきこ、1932年生まれ)さんの手によってソ連船「ボロチャエベツ」として進水した。この時、僚船「ボルシェビキ」と「コムソモーレツ」も進水した。

しかし、当時の世界情勢からソ連に引き渡されず、商船「地領丸」として竣工した。ボルシェビキも「天領丸」、コムソモーレツも「民領丸」とされ、大日本帝国海軍の興味を引いたものの、ソ連との契約問題がこじれ、日本海軍には就役せず、民間会社の貨物船として運行された。1938年12月に日本海軍は227万5000円を購入費として計上、ソ連通商部が東京民事裁判所に提訴し、前払い建造費の返還と違約金の支払いを求めた。裁判は1941年1月にソ連政府と駐モスクワ日本大使との間で政治決着した。

1940年に「地領丸」は正規の軍艦籍に入籍され、海軍艦政本部により「宗谷」と改名され、6月に特務艦(運送艦)として横須賀鎮守府部隊付属とされ、最初の任務は北樺太の調査だった。11月に第4艦隊所属となってサイパン島に赴いた。1941年12月8日の日米開戦後は、トラックやラバウルといった南方に行き、測量作業に従事し、1942年のミッドウェー海戦では上陸部隊輸送船団の1隻として参加した。8月にラバウルに移動し、第8艦隊に所属、海兵隊第1海兵師団がガダルカナル島に上陸し、「ガダルカナル島の戦い」が始まると、敷設艦津軽、明陽丸、第21号掃海艇、各艦に分乗する海軍陸戦隊と共にフロリダ諸島の戦いで占領されたツラギ島奪還に向かった。

8月8日、敵機の雷撃で明陽丸が大破(翌朝沈没)、作戦中止命令が出され、宗谷はラバウルを経てトラック基地に戻った。1943年1月28日にアメリカ潜水艦から発射された魚雷4本のうち1本が右舷後方に命中するも、不発弾であったため難を逃れ、護衛の第28号駆潜艇が爆雷を投下し、この潜水艦を撃沈した。戦局の悪化とともに、ガダルカナル島撤退に活躍し、1944年2月14日に姉妹船「民領丸」がアメリカ潜水艦に撃沈され、トラック島空襲では2月17日に回避行動中に座礁し、翌18日には空襲でアメリカ軍機1機を撃墜するも9人が戦死し、総員退艦命令が出た。

19日に満ち潮と共に宗谷が離礁し、乗組員が再び艦に乗り込み、奇跡的に脱出に成功した。1945年5月に姉妹船「天領丸」がアメリカ潜水艦に撃沈され、6月に第126船団と共に船越湾大釜崎沖を航行中、アメリカ潜水艦「パーチェ」からの雷撃で神津丸と永観丸が被雷沈没し、宗谷が爆雷で反撃し、パーチェに損害を与えて撃退した。8月に横須賀でドック入りしている時、空襲を受け、敵機が投下したガソリンタンク(増槽)が「宗谷」の機関室に飛び込んだが、ボイラーに火を入れていなかったため爆発しなかった。終戦時は北海道・室蘭港に所在し、終戦後は主に小樽-樺太間を往復し、引揚者を本土へ運んだ。

その後、オホーツク海配属の砕氷能力を持つ灯台補給船を必要としていた海上保安庁が購入、1956年11月8日に南極観測船に選定され、大幅な船体補強と耐氷能力の向上を主眼とした大改装を日本鋼管浅野船渠で受け、初代南極観測船として、南極に向け出港した。1957年1月にオングル島プリンスハラルド海岸に隊長の永田武(ながた・たけし、1913-1991)が率いる第1次南極地域観測隊(53人)が「昭和基地」を開設、帰路に氷に閉じ込められたが、当時最新鋭艦だったソ連の砕氷艦「オビ」の救援により脱出に成功した。

その後も宗谷はその後、派遣回数と同じ回数の修理・改装を繰り返し、通算6回の南極観測任務を遂行した。1962年に通常任務に復帰、北海道に配備され、1970年に19隻の漁船が吹雪と流氷のために遭難し、宗谷が救出に向かい、悪天候の中、救出に成功した。1978年10月2日に退役した。1979年5月から、東京お台場の「船の科学館」で一般公開されている。現在でも船籍を有しており、船舶法の適用対象で、必要であれば航行できる。

バンダイが販売している「大人の超合金」シリーズは実在する造形物を詳細に再現した大人向けの模型で、2010年3月に「アポロ11号&サターンV号ロケット」(5万2290円)を商品化したのをはじめ、12月に第2弾「スペースシャトル エンデバー号」(4万7250円)、2011年6月に第3弾「小惑星探査機はやぶさ」(2万4150円)、2012年2月に第4弾「新幹線0系」(7万8750円)が発売され、1月25日に発売された「南極観測船 宗谷(第一次南極観測隊仕様)」(4万9350円)が第5弾となる。

「南極観測船 宗谷」の仕様は実物の250分の1のサイズで、全高約115ミリ、全幅約60ミリ、全長約335ミリという大きさだ。また、えい航用の鎖を金属チェーンで再現し、クレーンは手動で可動でき、船内のLEDが点灯し、格納ハッチも開閉可能で、内部にはヘリコプター2機を搭載できる。船体後部のセーフティネットもエッチングパーツで再現し、スクリュープロペラとカジは手動で動かせる。乗船していた隊員や犬、セスナ機、雪上車などのミニュチュアも付属している。

営業時間は17時から24時(土・日曜日、祝日22時)まで。カクテルはいずれも1600円。

ヴァニラで危ない作品、釣崎清隆、宮川ひかるら、土屋豊らトークも

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【銀座新聞ニュース=2013年3月6日】ヴァニラ画廊(中央区銀座6-10-10、第2蒲田ビル4階、03-5568-1233)は3月4日から16日まで「死と未来-ラ・モール・エ・ル・フュチュール(la mort et le futur)」を開催している。

ヴァニラ画廊で3月16日まで開催中の「死と未来-ラ・モール・エ・ル・フュチュール(la mort et le futur)」に展示されている釣崎清隆さんの写真。

死体写真家、映像作家の釣崎清隆(つりさき・きよたか)さんら8人の「もっとも“危ない”作家たち」が「死」と「未来」というテーマで表現した作品を展示する。写真家で、身体改造を追求するケロッピー前田(けろっぴー・まえだ)さんが企画し、「そこでは、芸術表現のもっともエッジな領域に踏み込み、いまやコンプライアンスに縛られたメディア空間では達し得ないものを提示」している。

今回、参加しているのは死体写真の釣崎清隆さんのほか、イラストレーターで左腕骨折ドローイングを出品するアイカワタケシ(あいかわ・たけし)さん、「ターコイズ・デス(青緑色の死)」を描いた女性美術家の宮川(みやかわ)ひかるさん。

「ベーグルヘッド」(おでこに食塩水を注射し、丸く膨れ上がったおでこの真ん中を親指で押して、ベーグルのような形にすること)の映像作品を出品するオーストラリアの女性美術家のアリシア・キング(Alicia King)さん、殺人刀を展示する写真家で俳優のエリック・ボシック(Eric Bossick)さん。

「未来のドミナフォト(未来を予見する写真)」を出品する写真家のカール・ドイル(Karl Doyle)さん、「肉筆詩」を出品する編集者で作家のピスケンさんこと曽根賢(そね・けん)さん、「トレパネーション(頭部せん孔=とうぶせんこう)」の新作を出品するケロッピー前田さんだ。

釣崎清隆さんは1966年富山県高岡市生まれ、慶応義塾大学文学部を卒業、学生時代より映画制作、文筆活動に従事し、AV監督を経て1994年に写真家として活動をはじめ、1995年より個展を開いている。ヒトの死体を被写体に、タイ、コロンビア、ロシア、パレスチナなど世界各国の無法地帯や紛争地域を取材し、これまでに撮影した死体は1000体以上にのぼる。

アイカワタケシさんは1965年生まれ、1999年に「文芸」(河出書房)夏号で処女小説作品「暴動」を発表、「映画秘宝」(洋泉社)のムックにも掲載し、アングラ雑誌「バースト(BURST)」の常連ライターでもある。

宮川ひかるさんは1976年愛知県名古屋市生まれ、2000年からフランス・グルノーブル高等美術学校で学び、スイス・ジュネーブ美術学校修士課程を修了している。2001年にドイツ・ベルリンで個展を開催、2002年からフランスなどでグループ展に参加している。

アリシア・キングさんは2009年にタスマニア大学医学部生命工学分野で博士号を取得、グループ展にも参加している。

エリック・ボシックさんはアメリカ・ペンシルベニア州生まれ、ビクトリア大学を卒業し、カナダ・バンクーバーで暮らし、1996年に来日、ファッションモデルを務め、舞踏界でも活動、写真家としても活動し、2010年に映画「鉄男 THE BULLET MAN」に主演している。

曽根賢さんは1964年宮城県生まれ、サブカルチャー誌「バースト(BURST)」(コアマガジン)の編集長を経て、2000年に「バースト デイズ」で第22回野間文芸新人賞候補となっている。

ケロッピー前田さんは1965年生まれ、千葉大学工学部を卒業、白夜書房に入社、その後、フリーのライターとなり、タトゥー、ピアス、身体改造、サイボーグをテーマに取材している。

9日17時から映画監督の土屋豊(つちや・ゆたか)さんとエリック・ボシックさんによる解説と、釣崎清隆さん、ピスケンさん、ケロッピー前田さんによる「ディストピア・ジャパン2013」と題したトークセッションを開く。入場料は1500円(ワンドリンク付き)。

土屋豊さんは1966年生まれ、明治大学文学部演劇学専攻を卒業、在学中から記録映画の助監督をつとめ、卒業後はCGやゲームソフトのディレクションに携わり、2012年に第25回東京国際映画祭で「タリウム少女の毒殺日記/GFP BUNNY」が「日本映画・ある視点」部門の作品賞を受賞した。

開場時間は12時から19時(土曜日・祝日17時)で、入場料は500円。日曜日は休み。