(過去の記事については店舗名、個人名などを検索すると見られます)
【銀座新聞ニュース=2013年3月6日】阪急阪神ホテルズ(大阪府大阪市北区芝田1-1-35)グループの第一ホテル東京(港区新橋1-2-6、03-3501-4411)は3月1日から5月31日まで創業75周年と南極観測船「宗谷」建造75周年の「75ダブルアニバーサリー企画」として75周年をイメージした「カクテル」を発売している。
第一ホテル東京で5月31日まで創業75周年と南極観測船「宗谷」建造75周年の「75ダブルアニバーサリー企画」として提供しているカクテル「スミレーロ」(左)と「ライジングサン」(右)。
第一ホテルが開業したのと、初代南極観測船「宗谷(そうや)」が建造されたのが同じ1938年で、2013年に75周年を迎えたのを記念して、21階の「ラウンジ21」で「宗谷」と小惑星探査機「はやぶさ」をイメージしたカクテルを発売し、バンダイが「大人の超合金」シリーズとして1月25日に発売した250分の1の大きさの「宗谷」の模型と2011年6月に発売した「小惑星探査機はやぶさ」の模型を展示している。
カクテルは南極をイメージした「スミレーロ」と南極初上陸でクルーが見た太陽をイメージした「ライジングサン」、「はやぶさ」をイメージした「宇宙(そら)」を発売している。「スミレーロ」とは氷が溶けて氷河に穴をあけ水流をつくる現象のことで、今回のカクテル名にした。
ウイキペディアによると、「宗谷」は1936年に旧ソ連通商代表部より、川南工業(かわなみこうぎょう、1936年設立、195年に倒産)の長崎県の香焼島(こうやぎしま)造船所(後に三菱重工長崎造船所香焼ドッグ)が耐氷型貨物船3隻の発注を受けた中の1隻として建造された。1935年に旧ソ連から旧満州国が北満鉄路(中東鉄道)を買収した契約の一部で、1938年に川南工業社長の川南豊作(かわなみ・とよさく、1902-1968)の長女、川南幸子(かわなみ・ゆきこ、1932年生まれ)さんの手によってソ連船「ボロチャエベツ」として進水した。この時、僚船「ボルシェビキ」と「コムソモーレツ」も進水した。
しかし、当時の世界情勢からソ連に引き渡されず、商船「地領丸」として竣工した。ボルシェビキも「天領丸」、コムソモーレツも「民領丸」とされ、大日本帝国海軍の興味を引いたものの、ソ連との契約問題がこじれ、日本海軍には就役せず、民間会社の貨物船として運行された。1938年12月に日本海軍は227万5000円を購入費として計上、ソ連通商部が東京民事裁判所に提訴し、前払い建造費の返還と違約金の支払いを求めた。裁判は1941年1月にソ連政府と駐モスクワ日本大使との間で政治決着した。
1940年に「地領丸」は正規の軍艦籍に入籍され、海軍艦政本部により「宗谷」と改名され、6月に特務艦(運送艦)として横須賀鎮守府部隊付属とされ、最初の任務は北樺太の調査だった。11月に第4艦隊所属となってサイパン島に赴いた。1941年12月8日の日米開戦後は、トラックやラバウルといった南方に行き、測量作業に従事し、1942年のミッドウェー海戦では上陸部隊輸送船団の1隻として参加した。8月にラバウルに移動し、第8艦隊に所属、海兵隊第1海兵師団がガダルカナル島に上陸し、「ガダルカナル島の戦い」が始まると、敷設艦津軽、明陽丸、第21号掃海艇、各艦に分乗する海軍陸戦隊と共にフロリダ諸島の戦いで占領されたツラギ島奪還に向かった。
8月8日、敵機の雷撃で明陽丸が大破(翌朝沈没)、作戦中止命令が出され、宗谷はラバウルを経てトラック基地に戻った。1943年1月28日にアメリカ潜水艦から発射された魚雷4本のうち1本が右舷後方に命中するも、不発弾であったため難を逃れ、護衛の第28号駆潜艇が爆雷を投下し、この潜水艦を撃沈した。戦局の悪化とともに、ガダルカナル島撤退に活躍し、1944年2月14日に姉妹船「民領丸」がアメリカ潜水艦に撃沈され、トラック島空襲では2月17日に回避行動中に座礁し、翌18日には空襲でアメリカ軍機1機を撃墜するも9人が戦死し、総員退艦命令が出た。
19日に満ち潮と共に宗谷が離礁し、乗組員が再び艦に乗り込み、奇跡的に脱出に成功した。1945年5月に姉妹船「天領丸」がアメリカ潜水艦に撃沈され、6月に第126船団と共に船越湾大釜崎沖を航行中、アメリカ潜水艦「パーチェ」からの雷撃で神津丸と永観丸が被雷沈没し、宗谷が爆雷で反撃し、パーチェに損害を与えて撃退した。8月に横須賀でドック入りしている時、空襲を受け、敵機が投下したガソリンタンク(増槽)が「宗谷」の機関室に飛び込んだが、ボイラーに火を入れていなかったため爆発しなかった。終戦時は北海道・室蘭港に所在し、終戦後は主に小樽-樺太間を往復し、引揚者を本土へ運んだ。
その後、オホーツク海配属の砕氷能力を持つ灯台補給船を必要としていた海上保安庁が購入、1956年11月8日に南極観測船に選定され、大幅な船体補強と耐氷能力の向上を主眼とした大改装を日本鋼管浅野船渠で受け、初代南極観測船として、南極に向け出港した。1957年1月にオングル島プリンスハラルド海岸に隊長の永田武(ながた・たけし、1913-1991)が率いる第1次南極地域観測隊(53人)が「昭和基地」を開設、帰路に氷に閉じ込められたが、当時最新鋭艦だったソ連の砕氷艦「オビ」の救援により脱出に成功した。
その後も宗谷はその後、派遣回数と同じ回数の修理・改装を繰り返し、通算6回の南極観測任務を遂行した。1962年に通常任務に復帰、北海道に配備され、1970年に19隻の漁船が吹雪と流氷のために遭難し、宗谷が救出に向かい、悪天候の中、救出に成功した。1978年10月2日に退役した。1979年5月から、東京お台場の「船の科学館」で一般公開されている。現在でも船籍を有しており、船舶法の適用対象で、必要であれば航行できる。
バンダイが販売している「大人の超合金」シリーズは実在する造形物を詳細に再現した大人向けの模型で、2010年3月に「アポロ11号&サターンV号ロケット」(5万2290円)を商品化したのをはじめ、12月に第2弾「スペースシャトル エンデバー号」(4万7250円)、2011年6月に第3弾「小惑星探査機はやぶさ」(2万4150円)、2012年2月に第4弾「新幹線0系」(7万8750円)が発売され、1月25日に発売された「南極観測船 宗谷(第一次南極観測隊仕様)」(4万9350円)が第5弾となる。
「南極観測船 宗谷」の仕様は実物の250分の1のサイズで、全高約115ミリ、全幅約60ミリ、全長約335ミリという大きさだ。また、えい航用の鎖を金属チェーンで再現し、クレーンは手動で可動でき、船内のLEDが点灯し、格納ハッチも開閉可能で、内部にはヘリコプター2機を搭載できる。船体後部のセーフティネットもエッチングパーツで再現し、スクリュープロペラとカジは手動で動かせる。乗船していた隊員や犬、セスナ機、雪上車などのミニュチュアも付属している。
営業時間は17時から24時(土・日曜日、祝日22時)まで。カクテルはいずれも1600円。