丸善丸の内で砥部焼展、勝部東一、芥川正明、岡田威ら

【銀座新聞ニュース=2020年1月29日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月29日から2月11日まで4階文具売場イベントスペースで「砥部焼展-暮らしを彩る『用と美』の器」を開いている。

丸善・丸の内本店で2月11日まで開かれている「砥部焼展-暮らしを彩る『用と美』の器」のフライヤー。

愛媛県伊予郡砥部町を中心に作られる陶磁器「砥部焼(とべやき)」は国の伝統工芸品に指定され、今年で240年の歴史を迎え、現在も100ほどの窯元が制作している。その中で、今もつくり続ける「梅野精陶所」(梅山窯=ばいざんがま)の作品を紹介してきた。

今回は「勝部製陶所(東吉窯=とうきちがま)」の勝部東一(かつべ・とういち、1942年生まれ)さん、梅野精陶所で修業した「中田窯」の中田正隆(なかた・まさたか、1946年生まれ)さん、梅野精陶所で修業した「工房芥川」の芥川正明(あくたがわ・まさあき、1950年生まれ)さん。

梅野精陶所で修業した「岡田陶房」の岡田威(おかだ・たけし、1962年生まれ)さん、「雲石窯(うんせきがま)」の山田雅之(やまだ・まさゆき、1964年生まれ)さん、、「岩田製陶所(貞山窯=ていざんがま)」の岩田健二(いわた・けんじ、1969年生まれ)さんの6つの窯元の定番から新作まで約1500点を展示販売している。

「梅野精陶所」の「梅山窯(ばいざんがま)」(愛媛県伊予郡砥部町大南1441、089-962-2311)は梅野政五郎(うめの・まさごろう、生没年不詳)が1882年に開窯し、今も地元では最大規模の窯元で、現在は岩橋和子(いわはし・かずこ)さんが代表を務め、約50人が制作などをしている。

ウイキペディアや砥部町観光協会、砥部焼協同組合によると、「砥部焼」は大洲藩(おおずはん)9代藩主の加藤泰候(かとう・やすとき、1760-1787)の時代に、藩の財政を立て直すため、砥石くずを使った磁器づくりを命じたことが起源とされている。

奈良・平安時代から、砥部・外山の砥石山から切り出される砥石は「伊予砥(いよと)」と呼ばれ、東大寺の「正倉院文書」には「観世菩薩像造立」の料に、「伊予の砥」を用いたことが記されている。また、平安時代編さんの「延嘉式」にも伊予国産物として「外山産砥石」を随用すると記録されている。

しかし、伊予砥の生産の際に、砥石の切出しのときに出る砥石屑の処理が重労働で、その作業に御替地(伊予市)の村人が動員されていたが、負担が大きすぎて、村人は動員の免除を大洲藩に願い出るまでになった。

その頃、伊予砥の販売を一手に引き受けていた大阪の砥石問屋、和泉屋治兵衛(いずみや・じへえ、生没年不詳)が天草の砥石が磁器の原料となることを知り、大洲藩に伊予砥の屑石を使って磁器を生産することを進言した。和泉屋からの進言を受け入れ、加藤泰候は1775(安永4)年に家臣の加藤三郎兵衛(かとう・さぶろうべえ、生没年不詳)に「磁器」の生産を命じた。

加藤三郎兵衛は麻生村(現砥部町)の豪農、門田金治(かどた・きんじ、生没年不詳)に資金を出させ、現場の監督者に組頭の杉野丈助(すぎの・じょうすけ、生没年不詳)を選び、肥前の長与窯から5人の陶工を招き、五本松の上原に登り窯を築き、何回か試焼を行い、本焼も行ったが、地肌に大きなひびが入るなど、失敗の連続で、肥前の陶工は帰郷し、残された杉野丈助は本焼を続けた。最後には、赤松の薪もなくなり、家の柱や畳まで窯にくべたといわれている。

その様子を見ていた筑前の陶工、信吉(しんきち、生没年不詳)が釉薬(ゆうやく)原料の不良にあることを教え、杉野丈助は筑前に出かけ、新しい釉薬を探し、1776(安永6)年に白地に藍色の焼き物作りに成功した。これ以降、焼き物に必要な薪も近くの山々で豊富に採れたうえ、傾斜地に流れる渓流や小川は水車を据えるのに適しており、原料の砥石を砕き陶土にするのに盛んに用いられた。

やや厚手の白磁に、呉須(ごす)と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴で、一般に食器、花器などに使われ、別名「喧嘩器」とも呼ばれている。

明治以降、砥部焼は中国などの外国に「伊予ボール」の名で輸出され、向井和平(むかい・わへい、1842-1904)が制作した「淡黄磁」が、1893(明治26)年にシカゴ世界博覧会で1等賞を受賞し、砥部焼の名は世界に知られるようになり、大正期に入ると、砥部焼は輸出が7割を超えるまでになった。

しかし、大正末期から昭和初めの不況などにより、砥部焼の生産や販売は落ち込み、一方で、瀬戸や美濃などの陶器は、石炭を使った倒焔式の窯や機械ロクロや石膏型、絵付けでの毛筆から銅板印刷へと新しい技術が導入され、砥部は近代化の波から取り残された。戦後になり、1953年に民芸運動の推進者である柳宗悦(やなぎ・むねよし、そうえつ、1889-1961)らが砥部を訪れ、手仕事の技術が残っていることを高く評価した。

1956年に陶芸家の富本憲吉(とみもと・けんきち、1886-1963)も訪れ、砥部焼の近代的デザインを後押しし、それに刺激を受けた若手陶工を中心に手作りのよさを生かして、ロクロや絵付けなどの技法向上に取り組み、1976年に砥部焼が国の伝統的工芸品に指定され、1995年に砥部焼の地球儀が国連ヨーロッパ本部に設置され、2005年に砥部焼が愛媛県の無形文化財に指定されている。

砥部焼協同組合は1888(明治21)年に「下浮穴・伊予両郡陶器業組合」として創立され、1903(明治36)年に重要物産同業組合法が公布され、輸出に力を入れるため「伊予陶磁器同業組合」に改組され、1934(昭和9)年に工業組合法の施行により、「伊予陶磁器工業組合」に改組され、1944(昭和19)年に商工組合の規定に従い、「伊予陶磁器工業統制組合」に移行された。

1947年に商工協同組合法が公布され、「伊予陶磁器工業協同組合」に改組され、組合員数が40人以上になり、1949年に中小企業協同組合法により、「伊予陶磁器協同組合」に改組され、2003年に「砥部焼協同組合」に変更された。

開場時間は9時から21時(最終日は15時)まで。入場は無料。

19年映画興収は過去最高2611億円、邦画12年連続過半数、初の1200本超

【銀座新聞ニュース=2020年1月29日】松竹、東宝、東映、角川映画の映画製作配給大手4社で構成される一般社団法人「日本映画製作者連盟」(中央区日本橋1-17-12、日本橋ビルディング、03-3243-9100)は1月28日、2019年の映画概況を発表した。

2019年の映画興行収入で1位となったアニメ「天気の子」((C)2019「天気の子」製作委員会)。

それによると、映画の興行収入は前年比17.4%増の2611億8000万円で、2016年の2355億800万円を超えて過去最高となった。邦画が同16.5%増の1421億9200万円、洋画が同18.4%増の1189億8800万円で、邦画が54.4%を占め、2008年以来12年連続で邦画が上回った。ただし、邦画の興行収入は2016年の1486億800万円を下回り、過去2番目の興行収入となっている。

入場者数は同15.2%増の1億9491万人で、2016年の1億8019万人を超えて、過去最高を記録した。平均入場料金も同1.9%増の1340円と過去最高となった。

公開本数は同7.2%増の1278本と初めて1200本を超え、邦画が689本、洋画が589本で、邦画が54%を占めた。1987年から洋画が過半数を占めてきたが、2006年に邦画が逆転し、以来、14年連続で邦画が本数で上回っている。

邦画と洋画を合わせた年間のトップ10は1位が邦画「天気の子」(7月公開、140億6000万円)、2位が洋画「アナと雪の女王2」(11月公開、127億9000万円)、3位が洋画「アラジン」(6月公開、121億6000万円)、4位が洋画「トイ・ストーリー4」(7月公開、100億9000万円)、5位が邦画「名探偵コナン 紺青の拳(フィスト)」(4月公開、93億7000万円)。

6位が洋画「ライオン・キング」(8月公開、66億7000万円)、7位が洋画「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」(2018年11月公開、65億7000万円)、8位が洋画「アベンジャーズ/エンドゲーム」(4月公開、61億7000万円)、9位が邦画「キングダム」(4月公開、57億3000万円)、10位が邦画「劇場版ワンピース・スタンピード(ONE PIECE STAMPEDE)」(8月公開、55億5000万円)。

「プレフラ」YEBISU BARでエビスビール半額

(1月31日の「プレミアムフライデー」については、イベントのみを載せ、詳細と画像は省きます。詳細は各店舗まで)
【銀座新聞ニュース=2020年1月29日】サッポロライオンは1月31日に「YEBISU BAR」の「銀座二丁目店」(中央区銀座2-5-7、GM2ビル、03-3561-5234)や「銀座コリドー街店」(中央区銀座8-2-2先、コリドー街、03-3573-6501)など全国の「YEBISU BAR」(一部除く)で開店から18時までエビス生ビールを半額で提供する。

毎月、最終金曜日の「プレミアムフライデー」の日に、開店から18時まで「エビスバー(YEBISU BAR)」で、エビスビール、エビスプレミアムブラック、エビス&エビス(ハーフ&ハーフ)、琥珀エビス、エビススタウトクリーミートップ、エビスマイスターを時間限定で半額にする。

ただし、瓶ビール、缶ビールは対象外となる。

東映「犬鳴村」、三吉彩花、坂東龍汰ら初日挨拶

【銀座新聞ニュース=2020年1月29日】大手映画配給会社で、国内映画業界第2位の東映(中央区銀座3-2-17、03-3535-4641)は2月7日に丸の内TOEI(中央区銀座3-2-17、03-3535-4741)で「犬鳴村」の出演者などによる舞台あいさつを開く。

2月7日から一般公開される「犬鳴村」((C)2020「犬鳴村」製作委員会)。

7日18時30分の回上映前に、監督の清水崇(しみず・たかし)さんをはじめ、主人公の臨床心理士「森田奏」役の三吉彩花(みよし・あやか)さん、森田奏の兄「森田悠真」役の坂東龍汰(ばんどう・りょうた)さん、謎の青年「成宮健司」役の古川毅(ふるかわ・つよし)さん、謎の少女「籠井摩耶」役の宮野陽名(みやの・ひな)さん、森田悠真の交際相手「西田明菜」役の大谷凜香(おおたに・りんか)さん、主題歌「ヒラキ(HIKARI)」を担当するミス・オオジャ(MS.OOJA)さんが舞台に登場してあいさつする。

「犬鳴村」は清水崇さんの原案を、清水崇さんが保坂大輔(ほさか・だいすけ)さんと共同で脚本を手掛けたオリジナル映画で、福岡県に実在する心霊スポットを舞台に描いたホラー映画だ。

物語は臨床心理士の森田奏の周辺で奇妙な出来事が次々と起こりだし、そのすべてに共通するキーワードとして、心霊スポットとして知られる「犬鳴トンネル」が浮上するところからはじまる。突然死したある女性は、最後に「トンネルを抜けた先に村があって、そこで○○を見た」という言葉を残していた。

女性が村で目撃したものとは一体なんだったのか。連続する不可解な出来事の真相を突き止めるため、奏は犬鳴トンネルへと向かう。

ウイキペディアによると、清水崇さんは1972年群馬県前橋市生まれ、近畿大学文芸学部を中退、在学中に脚本家の石堂淑朗(いしどう・としろう、1932-2011)に師事し、小栗康平(おぐり・こうへい)さんの「眠る男」、テレビドラマやVシネマなどにスタッフとして参加し、映画美学校で学び、関西テレビのオムニバスホラー「学校の怪談G」で短編を演出し、ビデオ版「呪怨」と「呪怨2」を制作し、2001年に「富江 リバース(re-birth)」で映画監督デビューした。

2002年にビデオ版「呪怨」を映画化し、2003年に「呪怨2」も映画化してヒットし、2004年に「呪怨」のハリウッドリメイク版「グラッジ(The Grudge)」(邦題「THE JUON/呪怨」)を制作、監督し、日本人監督の実写作品としては初めて全米興行成績1位を獲得、ハリウッドデビューした。2006年に続編「グラッジ(The Grudge)2」(邦題「呪怨 パンデミック」)で全米興行収入初登場1位を記録した。日本では、全国ロードショー公開にも関わらずトップ10にも入らなかった。

2008年に「東京少女 桜庭ななみ」(BS-i)の第4話「小さな恋」で、初めて恋愛ドラマの監督を務め、2009年にオープニング・エンディングを手がけたオムニバス映画「非女子図鑑」を公開、10月に立体映画「戦慄迷宮3」を公開した。2014年3月に角野栄子(かどの・えいこ)さんの児童書「魔女の宅急便」の実写映画の監督を務めた。 2018年より「株式会社ブースタープロジェクト」に所属している。

チケットは最速抽選・プレミアムを受付中で、30日11時締め切り。先行抽選も受付中で、31日11時締め切り。2月1日日10時から一般発売する。料金は全席指定で2000円均一。

M84でB・ランス「密室」展

【銀座新聞ニュース=2020年1月28日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル、03-3248-8454)は1月27日から2月29日までベッティナ・ランスさんによる「密室No.4」を開いている。

アートギャラリーエムハッシー(Art Gallery M84)で1月27日から2月29日まで開かれるベッティナ・ランスさんの「密室No.4」に出品される「密室(Chambre Close)」((C) Bettina Rheims、税別7万7700円)。

フランスを代表する女性写真家のベッティナ・ランス(Bettina Rheims)さんは、 「シャネル(CHANEL)」のムービーを手掛けたり、「ヴォーグ」や「フィガロ」などの雑誌で活躍しており、アートギャラリーエムハッシー(Art Gallery M84)では4回目となる個展を開く。

フランスの作家、セルジュ・ブラムリー(Serge Bramly)さんの小説とのコラボにより、1990年から1992年に制作された、架空の男の視線を意識したフィクションの「秘密の部屋」にて、パリの女性たちを撮影したヌード写真集「シャンブル・クローズ(Chambre Close、密室)」で、女性のあられもないポーズが話題となり、ヨーロッパだけでなく、アメリカ、日本、韓国、オーストラリア、ロシアでも注目され、世界中にその名を広めたといわれている。

今回はベッティナ・ランスさんが世界的な写真家として名声を得るきっかけとなった作品など、アートギャラリーエムハッシー初展示の23点を含む約30点を展示する。

女性を撮影した作品を数多く発表してきたベッティナ・ランスさんは、一貫して女性たちが生まれながらにしてまとう華やかさと儚(はかな)さ、内面から湧き出る美や苦悩、憂いを力強く写してきた。女性たちはレンズの前で飾り気のない心情や濃厚な人間性を惜しげもなくさらしている。「瞬間に写し取られた本能的な女性たちの姿を捉えるベッティナ・ランスの魅力に迫りたい」としている。

ベッティナ・ランスさんは1952年フランス・パリ生まれ、1972年からアメリカ・ニューヨークで過ごし、その後、パリに戻り、1976年にモデル、写真家のアシスタントなどを経て、モデル、ストリッパー、アクロバット芸人や周りの友人を被写体として写真を撮りはじめ、1978年に雑誌「エゴイスト」に大道芸人やストリッパーのヌード写真を発表し、1982年にパリ・ポンピドーセンターで初個展、1983年に生と死を表現した動物のはく製シリーズを制作した。

1986年に雑誌「ヴォーグ」や「フィガロ」や広告用のポートレートを撮影、1990年に二重の性、転換する性、男性の妄想など混迷する現代の性をモチーフに作品を発表し、1990年に初めてカラー写真「シャンブル・クローズ」でヌード写真を披露し、1994年にパリ市写真大賞、1995年にフランス大統領公式カメラマンに抜擢され、1997年にレジヨン・ドヌール勲章を受賞した。

1998年に2年がかりでイエスの生涯を現代の設定で撮影した「I.N.R.I」を出版し、フランスのキリスト教サークルとのスキャンダルに発展し、2000年に小田急美術館で写真展「イエスの生涯」を開催し、2002年に中国でアバンギャルドな上海女性を捉えた上海シリーズを制作、2004年にフィンランド・ヘルシンキ市立美術館で初の回顧展を開いた。

2005年に「写真と彫刻の融合」をテーマにリメイクされたオートクチュールのビンテージドレスをまとった女性たちを、石の台座を小道具に撮影されたシリーズを発表し、2010年にセルジュ・ブラムリーさんと一緒に自叙伝的な物語を発表し、2012年にインタビューをして撮影した若い男女27人のポートレートを発表し、2013年に最新のパリのオートクチュールをまとった有名人のポートレートを発表、現在は雑誌、広告、ファッションの仕事を手掛けるとともに、個人プロジェクトに取り組んでいる。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)まで。入場料は700円。展示している作品はすべて販売する。