ミキモトが真珠102個、ダイヤ3400個の王冠、11種の装飾品に、5億円相当

(過去の記事については店舗名、個人名を検索すると見られます)
【銀座新聞ニュース=2013年1月30日】ミキモト(中央区築地1-8-9、03-5550-5678)は1月30日午後、ミキモト本店(中央区銀座4-5-5、03-3535-4611)で真珠発明120周年記念のパールクラウン「ドリームズアンドパールズ(DREAMS&PEARLS)-12の真珠の夢」を発表した。

ミキモトが2月8日からミキモト本店で一般公開する真珠発明120周年記念のパールクラウン「ドリームズアンドパールズ(DREAMS&PEARLS)-12の真珠の夢」。市販しないが、市価5億円相当という。将来は海外でも展示していくことも考えているという。

このパールクラウンは商品開発部デザイン課課長の品川紀美(しながわ・きみ)さんがデザインしており、10.75ミリのアコヤ真珠をはじめ、黒蝶真珠、白蝶真珠、天然コンク真珠、19ミリの天然メロ真珠の5種類の真珠102個と、3400個のダイヤモンド(107.98カラット)を使っている。

クラウンを分解すると12輪の花となり、付属の台座と組み合わせると、ネックレス、イヤリング、リング、ブローチ、ベルトなど11通りのスタイルに変えられる。品川紀美さんのデザインを実現すべく、4人の制作者が1年にわたって話し合い、さらに1年かけて「しっかりした構造が必要なクラウンとしなやかさが欠かせないネックレス」(ミキミト装身具逸品細工課の臼倉信吾=うすくら・しんご=さん)という矛盾した組み合わせを「伝統的な手法と新しい技法」を使って実現させた。

ミキモトでは、1893年に御木本幸吉(みきもと・こうきち、1858-1954)が世界初の真珠の養殖に成功して以来120周年を迎えるのを記念して、「ドリームズアンドパールズ(DREAMS&PEARLS)-時を超えて、輝きを紡(つむ)ぐ」をテーマにしてこの1年間、さまざまなイベントを企画しており、今回のパールクラウンは120周年を記念する象徴的な装飾品として1個だけ制作した。

品川紀美さんは120周年と1年が12カ月ということから「12という数字にこだわり、クラウンを分けると12輪の花となり、ネックレスからベルトまでさまざまなジュエリーになるようにした」と語る。

また、ミキモトが1937年のパリ万博に出品した真珠で作った帯留「矢車」(現在、真珠博物館に収蔵されている)を意識して、ネジが使われている「矢車」に対して、今回のパールクラウンではネジなどを使わず、多機能性も重視し、120周年にふさわしく、手で組み立てられるようにデザインしたという。機能性と美しいデザインを重んじ、遠くから見ると、美しく、近くで見ると、小さな発見を得られるように考え、イヤリングなどで使う場合は左右非対称にしてある。

3人の制作者が1年間専念し、3400個のダイヤモンドは「裏取り」という伝統的な技法で細工している。クラウンの重さは約800グラムある。

市販しないが、市価にすると5億円相当で、2月8日から15日までミキモト本店4階に、3月12日から17日までミキモトブティック1階(中央区銀座2-4-12)に展示し、その後、名古屋店、梅田店などで展示公開する。

「ばななとグローブ」渡辺真起子、鈴木光司らもトーク

(過去の記事については劇場名、個人名などを検索すると見られます)
【銀座新聞ニュース=2013年1月30日】バグジン(BAGUJIN)は2月6日と7日に銀座シネパトス(中央区銀座4-8-7先、三原橋地下街、03-3561-4660)で「ばななとグローブとジンベエザメ」の出演者などによるトークショーを開く。

2月2日から銀座シネパトスで一般公開される「ばななとグローブとジンベエザメ」((C)2012「ばななとグローブとジンベエザメ」製作委員会)。

2月6日19時の回上映終了後に、監督の矢城潤一(やぎ・じゅんいち)さん、プロデューサーで主人公「園田敦」の弟「園田崇」役で出演している大城英司(おおき・えいじ)さん、園田敦の隣人「新垣渚」役の渡辺真起子(わたなべ・まきこ)さんが登場する。

2月7日19時の回上映終了後に、作家の鈴木光司(すずき・こうじ)さん、主人公「園田敦」役の中原丈雄(なかはら・たけお)さん、プロデューサーの大城英司さんが登場する。

鈴木光司さんは映画の感想として「息子はいつまでたっても、親父の呪縛(じゅばく)から逃れることができない。だめ親父であればあるほどよけいに」とのコメントを寄せている。

また、2月2日初日10時40分の回終了後に行われる舞台あいさつに、歌手の今井(いまい)ゆうぞうさんがゲスト出演する。

物語は園田敦が15年前に妻の堂本真理子、息子・光司、娘・さつきを捨て、現在は介護を必要とする母の俊江とともに暮らしているところからはじまる。自由奔放に生きる敦と変わって、光司は真面目に勉強して司法試験に合格し、弁護士としての独り立ちを目指して大原文雄の下で働いている。婚約者の山辺倫子との結婚の話が進むにつれ、忘れていた父の存在が浮かび上がってくる。

光司と倫子の結婚式が終わってしばらくの後、敦が外出している間に俊江の容態が悪化し、発見が遅れ、そのまま他界してしまう。敦は葬式に出席せず、働いていた焼肉店の売り上げとともに行方をくらます。その頃、倫子が妊娠したことがわかる。父となることへの期待と不安が入り混じる光司のところにある日、沖縄の警察から連絡が入る。真っ青な空と海が広がる中、光司は父の姿を追う旅に出る。

チケットは当日10時20分から劇場窓口で販売する。料金は一般1800円、大高生1500円、3歳以上中学生まで、シニア1000円。

「王になった男」でイ・ビョンホン「難しい場面先送り」

(過去の記事については劇場名、個人名などを検索すると見られます)
【銀座新聞ニュース=2013年1月29日】CJエンタテインメント・ジャパン(Entertainment Japan、港区西新橋2-7-4、CJビル)は1月29日午後、新宿バルト9(新宿区新宿3-1-26、新宿三丁目イーストビル、03-5369-4955)で「王になった男」のジャパンプレミアイベントを開いた。

イ・ビョンホンさんと一緒に映画の大ヒットを祈願する岩下志麻さん(左端)は「こんどイ・ビョンホンさんとサスペンスもので共演してみたい」。

「王になった男」は2月16日に一般公開される韓国映画で、上映終了後に主役の「光海君」と道化師「ハソン」役を演じたイ・ビョンホンさんが舞台に登場してあいさつした。

冒頭、イ・ビョンホンさんは「日本にきて、この映画を届けることができてうれしいです」とあいさつし、撮影では「道化師であるハソンは自分に近く演じやすかった。でも1シーンがなかなか難しく、延ばし延ばししていたら最後になってしまった」と裏話を披露し、続けて「この映画は誰にでも勧められる作品です。ご家族でご覧になって欲しい」と語った。

その後、場所を移して、イ・ビョンホンさんのファンでもある女優の岩下志麻(いわした・しま)さんとともに大ヒット祈願押印式を行った。

この作品は2012年に韓国で1260万人の観客を集め、イ・ビョンホンさん初の時代劇として多くの注目を集めた。また、イ・ビョンホンさんの忠臣であるホ・ギュン役にリュ・スンリョンさん、王妃に「トンイ」のハン・ヒョジュさんら豪華キャストが物語をさらに盛り上げている。

物語は1616年、王位を取り巻く権力争いと党派争いで混乱が極に達した朝鮮第15代王光海君(くあん・へぐん)8年目が舞台で、自身の命を狙う者に対する怒りと恐れで、ますます乱暴になった光海君は都承旨(とすんじ)に自身の代わりになる影武者を探すことを指示する。

都承旨は天性の話術で王の姿を真似る芸達者な賎民(せんみん)のハソンを発見し、ハソンは理由も分からないまま宮に連れて来られ、王の影武者をつとめることになる。彼を王に仕立て上げる重臣たち、王を偽物ではないかと疑う家臣たち、心が通い合わなくなっていた王の突然の変化に戸惑う王妃など、さまざまな人間関係が複雑に絡み合う宮中で、ハソンは戸惑いながらも、次第に操り人形ではない民のことを考える真の王としてまわりを魅了していく。

ウイキペディアなどによると、イ・ビョンホンさんは1970年ソウル特別市生まれ、漢陽大学校仏語仏文学科を卒業、中央大学校新聞放送学科大学院を修了、大学在学中からアルバイトで「コカコーラ」など多くCMに出演し、1991年にKBS公開オーディションで合格、同年に研修終了後、テレビドラマ「アスファルト、我が故郷」で俳優デビュー、1992年にテレビドラマ「明日は愛」で主演、注目され、1995年に映画「誰が俺を狂わせるのか」で映画デビュー、映画「ラン・アウェイ」で各映画賞の新人賞を受賞した。

1998年に新人歌手チョ・ソンモさんのミュージックビデオに出演し、ヒットし、1999年にアルバムを発売、2000年に映画「JSA」で第1回釜山映画評論家協会賞、主演男優賞を受賞した。2003年にユニセフ(国際連合児童基金)カード広報大使、2005年にユニセフ特別代表に任命されている。2005年に「甘い人生」で主演、映画評論家協会賞などの主演男優賞を受賞した。2006年にフランスから文化芸術勲章を授与された。2009年にテレビドラマ「アイリス」に主演し、KBS演技大賞、百想芸術大賞などを受賞している。

ぐんまちゃん家で飯森ミホ、河野里枝らが仲間展、きむらゆういちも

(過去の記事については店舗名、個人名を検索すると見られます)
【銀座新聞ニュース=2013年1月29日】群馬県(群馬県前橋市大手町1-1-1)が運営するぐんま総合情報センター(愛称・ぐんまちゃん家、中央区銀座5-13-19、デュープレックス銀座タワー5/13、03-3546-8511)は1月30日から2月3日まで「ぐんまちゃん家でお仲間展5-今年も2階は美術館」を開く。

ぐんまちゃん家 お仲間展5

ぐんま総合情報センター(ぐんまちゃん家)で1月30日から2月3日まで開催される「ぐんまちゃん家でお仲間展5-今年も2階は美術館」のムラタユキトシさんが描いたポスター。

2006年から群馬県で開催されている「愉しいプロのお仲間展」の一部を「ぐんまちゃん家」でも開いている、イラストレーターや画家などが参加して群馬をテーマにした作品を出品するグループ展で、今回が5回目になる。

浦野進(うらの・すすむ)さんがプロデュースしており、絵本「あらしのよるに」で知られる絵本作家のきむらゆういちざんが初めて参加する。

今回、出品するのは1978年群馬県生まれ、第6回柳波賞優秀賞を受賞した詩人で、群馬県桐生市在住の絵本作家、飯森ミホ(いいもり・みほ)さん、1950年東京都渋谷区代々木生まれ、文化学院美術科を卒業、フランス・パリへ留学、フランス国立高等美術学校で学び、その後、現代童画会展で奨励賞、会友努力賞などを受賞している画家のこうのりうのすけさん。

1961年宮城県仙台市生まれ、立教大学英米文学科を卒業、現代童画会賞、「詩とメルヘン」イラストコンクール受賞、アートコレクションハウス展で受賞、プロバ大賞展などを受賞している画家の河野里枝(こうの・りえ)さん、群馬県で幼稚園教諭を経て、2008年よりフリーとして活動し、チビデココンテストなどで最優秀賞と優秀賞を受賞している群馬県前橋市在住のイラストレーター、ちぎらみおさん。

マンガ家の牧野タカシ(まきの・たかし)さん、1963年群馬県高崎市生まれ、イラストレーターのムラタユキトシ(むらた・ゆきとし)さん、絵本作家のよしだまきさん、イラストレーターのエムズフォレスト(M’s Forest)さんだ。

開場時間は10時(初日は13時)から19時(最終日は17時)で、入場は無料。

丸善丸の内で聖書と日本美を描いた渡辺禎雄生誕100年記念版画展

【銀座新聞ニュース=2013年1月29日】丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月30日から2月5日まで4階ギャラリーで渡辺禎雄による「型染版画展」を開催する。

丸善・丸の内本店で1月30日から2月5日まで開催される渡辺禎雄の「型染版画展」に展示される「バベルの塔」(1965年)。

独自の型染め版画でキリスト教の精神を描いた渡辺禎雄(わたなべ・さだお、1913-1996)の作品展で、その作品はバチカンのシスティーナ礼拝堂に10点が飾られている。今回も「世界に誇る日本の美と聖書の心の結実」との副題で、1月29日に生誕100年を迎えて画集「渡辺禎雄聖書版画集」(新教出版社、5250円)が刊行されるのを記念して、画集収録作品をはじめ、約100点を展示販売する。

「渡辺禎雄聖書版画集」は代表作70点余を収録しており、元上智大学学長でカトリック大司教、バチカン教皇庁立科学アカデミー・社会科学アカデミー会長、バチカン教育省局長などを務めたヨーゼフ・ピタウ(Joseph Pittau)さんによると、バチカン美術館に40年前に購入された渡辺禎雄の作品がいつも10点展示されており、「日本で生まれた伝統の方法が使われ、特徴ある色も日本人ならではの色です。描かれているのは聖書の世界と心、そして何より彼の祈りでした。渡辺禎雄は美と信仰の一致を実現した、まれにみる芸術家」と評している。

「フィリア美術館」(山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3476-76)のHPによると、渡辺禎雄は10代半ばから働き、職業を転々としたが、24歳の時に染物屋での紋様の下絵を描く仕事に就き、創作版画としての「型染版画」と出会い、柳宗悦(やなぎ・そうえつ、1889-1961)の「民芸運動」の影響を受けながら、「聖書」の世界を描いた。

しかも、聖書を題材としながらも菊や朝顔など日本の草花を登場させたり、食卓に寿司やタイの尾頭付きを並べたり、うちわを手にした人を描いたりと、日本の文化を組み合わせ、独自の世界を表現した。

「型染め版画」とは伝統的な染色の技法を使った版画で、着物などを染める際に型紙を使って布の上に防染糊を置き、染色するが、その技法を版画に応用したのが型染め版画だ。布の代わりに和紙(または合成紙)に染色していくが、その際に、最初に染めない部分に糊を置くという方法を用いる。

渡辺禎雄は1913年東京都生まれ、1947年に第1回日本民芸館賞を受賞、アメリカ・ニューヨーク聖ジェームズ教会主催の「現代日本画展」にて1等賞を受賞、1970年代以降にアメリカ、ヨーロッパ各地で作品展を開き、 1993年に日本キリスト教文化協会より文化功労賞を受賞、1996年に死去した。2004年にローマ日本文化会館の主催により個展を開催している。生涯に約1000点の型染版画を制作した。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)まで、入場は無料。