シャンテ「デトロイト」公開記念で町山智浩トーク

【銀座新聞ニュース=2018年1月23日】映画配給会社のロングライド(中央区京橋3-6-1、秋葉ビル、03-6264-4113)は1月28日にTOHOシネマズシャンテ(千代田区有楽町1-2-2、050-6868-500)で「デトロイト」の公開記念として町山智浩さんによるトークショーを開く。

1月26日から一般公開される「デトロイト」((C)2017 SHEPARD DOG, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.)。

26日16時の回上映終了後に、アメリカ在住の映画評論家、町山智浩(まちやま・ともひろ)さんが舞台に登場してトークショーを開く。

「デトロイト」は1967年7月23日から27日にかけて、夏のミシガン州デトロイトで起こった「デトロイト暴動」と、その暴動の最中に殺人にまで発展した白人警官による黒人たちへの不当な尋問の様子を描いた社会派実録ドラマだ。キャスリン・ビグロー(Kathryn Bigelow)さんが監督を手がけ、マーク・ボール(Mark Boal)さんが脚本を担当している。主人公の「ディスミュークス」をジョン・ボヤーガ(John Boyega)さんが演じている。

物語は1967年、夏のミシガン州デトロイトで、権力や社会に対する黒人たちの不満が噴出し、暴動が発生し、3日目の夜、若い黒人客たちでにぎわうアルジェ・モーテルの一室から銃声が響く。デトロイト市警やミシガン州警察、ミシガン陸軍州兵、地元の警備隊たちが、ピストルの捜索、押収のためモーテルに押しかけ、数人の白人警官が捜査手順を無視し、宿泊客たちを脅迫し、誰彼構わずに自白を強要する不当な強制尋問を展開していく。

ウイキペディアによると、町山智浩さんは1962年東京都生まれ、早稲田大学法学部を卒業、在学中は「漫画研究会」に在籍し、学生時代からアルバイトで出入りしていた編集プロダクション「スタジオ・ハード」でケイブンシャの大百科シリーズなどのアニメ書籍を執筆し、JICC出版局(現宝島社)にて学生バイト兼編集デスクとして任された別冊宝島「ゴジラ宣言」が評価され、そのまま1985年に入社した。

パンク雑誌だった頃の「宝島」本誌編集部に所属し、1989年に「別冊宝島」に異動、12月に「おたくの本」を企画編集し、同書がベストセラーになり、同年7月に宮崎勤(みやざき・つとむ、1962-2008)事件(1988年から1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)もあり、「おたく」という言葉が認知された。

1995年に宝島社の子会社・洋泉社に出向、「トンデモ本の世界」を企画し、「と学会」を売り出し、「映画秘宝」シリーズを創刊した。1996年に第3回みうらじゅん賞を受賞している。1996年に「映画秘宝・底抜け超大作」に載った原稿の事実関係の間違いを、映画雑誌「キネマ旬報」の副編集長に批判され、キネ旬編集部に乗り込み、ひげそりクリームで作ったパイを副編集長にぶつけ、キネマ旬報側が洋泉社に抗議文を送り、町山智浩さんが謝罪するとともに退職し、アメリカの大学院で勉強し直すということで妻とともに渡米した。

アメリカで映画学校に通い、現地の大学院を修了後に就職した妻の仕事の関係でカリフォルニア州モントレー、コロラド州ボルダーなどに移り住んだ後、1997年よりカリフォルニア州サンフランシスコに在住し、その後、アメリカ映画の動向やアメリカの人気テレビ番組、B級文化、政治状況などを「映画秘宝」や「TVブロス」をはじめ、週刊誌や日本の新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどで紹介している。

2005年に日本で配給会社がつかなかった映画「ホテル・ルワンダ」の日本公開に際して、ラジオや雑誌で訴え、有志が署名運動を起こし、2006年1月に日本で公開された。2008年にも「ホット・ファズ-俺たちスーパーポリスメン!」が公開された。TBSラジオ番組「ストリーム」や「小島慶子 キラキラ」、「たまむすび」でレギュラーコラムニストを務めている。

チケットは24日から劇場窓口で発売し、料金は一般1800円、大学生1500円、シニア1100円、3歳から高校生、障がい者1000円。

岡山県が新橋館で備前焼「ぐい呑み」で雄町米の地酒

【銀座新聞ニュース=2018年1月22日】岡山県(岡山県岡山市北区内山下2-4-6、086-224-2111)は1月25日、26日の2日間、「とっとり・おかやま新橋館」(港区新橋1-11-7、新橋エンタープレイス、03-3571-0092)2階催事スペースで「備前焼で愉しむ雄町米の地酒BAR」を開く。

岡山県が1月25日、26日の2日間、「とっとり・おかやま新橋館」で開く「備前焼で愉しむ雄町米の地酒バー(BAR)」のフライヤー。

今回は、岡山県の幻の酒米「雄町(おまち)」を使った地酒を、岡山県の伝統工芸品「備前焼」のぐい呑みと瀬戸内のつまみで味わえるイベントで、1868(慶応4)年創業の「利守酒造(としもり・しゅぞう)」(岡山県赤磐市西軽部762-1、086-957-3117)、1915(大正4)年創業の「宮下酒造」(岡山市中区西川原184、086-272-5594)、1688(元禄元)年創業の「室町酒造」(岡山県赤磐市西中1342-1、086-955-0029)の3蔵元が参加する。

「利守酒造」は「赤磐雄町 荒走り(季節限定)」、「宮下酒造」が「極聖 純米吟醸 高島雄町」、「室町酒造」が「純米吟醸 佐近」を提供する。支払いはチケット制(1000円)で、ぐい呑み1杯(60ミリリットル)200円、おつまみ1皿200円。チケットを購入した先着500人に備前焼のぐい呑みをプレゼントする。

つまみは鰆(さわら)、ままかり、かき(牡蠣)、湯葉(ゆば)、岡山県産の肉のみを使用したソーセージを用意している。

ウイキペディアによると、備前焼は岡山県備前市周辺を産地とする陶器で、日本の瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、越前焼(福井県丹生郡越前町)、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県篠山市今田町立杭)と並んで「六古窯(ろっこよう)」のひとつに数えられている。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」という呼び方もある。

平安時代に作られた須恵器(すえき、古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器のこと)から発展し、鎌倉時代初期には還元焔焼成(かんげんえんしょうせい、炭素が多く酸素の欠乏した不完全燃焼の火焔で焼成すること)による焼き締め陶が焼かれる。

当日、提供される酒米「雄町」を使った地酒と備前焼「ぐい呑み」。

鎌倉時代後期には酸化焔焼成(さんかえんしょうせい、窯内に多く酸素を供給し、完全燃焼の火焔で焼成すること)による現在の茶褐色の陶器が焼かれる。当時は水瓶やすり鉢など実用本位のものが多く、「落としても壊れない」といわれ、当時の作品は「古備前」と呼ばれて珍重されている。

室町時代から桃山時代にかけて茶道の発展とともに茶陶として人気が高まるが、江戸時代には茶道の衰退とともに、安価で大量生産が可能な磁器も出てきて衰え、備前焼は再び水瓶やすり鉢、酒徳利など実用品の生産に戻っている。

明治、大正期に入ってもその傾向は変わらなかったが、昭和に入り、1956年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された金重陶陽(かねしげ・とうよう、1896-1967)が桃山陶への回帰をはかり、芸術性を高めて人気を復興させ、金重陶陽の弟子の中からも人間国宝を輩出し、備前焼の人気は不動のものとなった。

備前焼はゆう薬を使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、「窯変」によって生み出されるため、同じ模様にはならないのが特徴とされている。現在は茶器、酒器、皿などが主に生産されている。

「雄町米」は1859(安政6)年に備前国上道郡高島村雄町(現岡山市中区雄町)の岸本甚造(きしもと・じんぞう)が伯耆大山参拝の帰路にて珍しい品種の米を発見し、二穂を譲り受け、雄町に持ち帰って栽培し、1866(慶応2)年にこの新種に「二本草」と名付けた。

その後、雄町に良い酒米があるとのうわさが広まり、分けて欲しいという希望者が殺到し、岡山県南部をはじめ一帯で栽培されるようになり、米の名前もいつしか雄町の名をとり「雄町米」と呼ばれるようになった。

しかし、大粒で心白が大きく軟質で、昭和初期には品評会で上位入賞するには雄町米で醸した吟醸酒でなければ不可能とまで言われたが、丈が1.8メートルと他品種に比べて高いため台風に弱く、病虫害にも弱かったため、栽培に手間がかかり、次第に生産量が減少し、雄町を改良した品種である山田錦に取って代わられた。

このため、昭和40年代には栽培面積がわずか6ヘクタールに落ち込むなど絶滅の危機に陥ったが、岡山県の酒造メーカーを中心にしたグループが栽培を復活させ、雄町を使用した清酒が再び生産されるようになり、これらの清酒が評価を受け、作付面積も増加傾向にある。

現在においても、岡山県南部(備前地方)で栽培されており、総称して「雄町」と呼ばれ、最高品質とされるのは旧軽部村(現赤磐市の一部)産のもので、軽部産を含めた備前雄町は地元酒造メーカーとの契約栽培が多く、他県の酒造メーカーには供給されない。また、瀬戸内海を隔てた香川県でも栽培され、こちらは「讃州雄町」、隣の広島県で栽培されるものは「広島雄町」と呼ばれる。

時間は17時から20時30分。

ギャルリー志門で中島史子展

【銀座新聞ニュース=2018年1月22日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル3階、03-3541-2511)は1月22日から27日まで中島史子さんによる個展「POESIA」を開いている。

ギャルリー志門で1月27日まで開かれている中島史子さんの個展「ポエシア(POESIA)」のフライヤー。

銅版画家で、宝飾品デザイナーの中島史子(なかじま・ふみこ)さんが新作を中心に展示する。

中島史子さんは東京都生まれ、早稲田大学第一文学部史学科美術史学専攻を卒業、卒業後ニットデザイナーなどを経て、1990年から2004年までスペイン・バルセロナに移住し、2004年12月に日本に帰国した。1990年から1992年までスペイン・サラゴサ美術学校リトグラフ科教授の版画家シルビア・パグリアーノ(Silvia Pagliano)さんから銅版画を学び、1991年から1992年までカタルーニャ州立バルセロナ美術学校ジョッチャーの銅版画科で学び、1992年から1993年までバルセロナ技術工芸学校の銅版画科で学んだ。

1994年から1995年までカタルーニャ州立バルセロナ美術学校ジョッチャーのリトグラフ科、1996年から1997年までカタルーニャ州立バルセロナ美術学校ジョッチャーの活版印刷科で学び、1998年から2000年までバルセロナ・アート・イ・オフィシス校において彫金、ジュエリーデザインを学び、1998年から1999年までカタルーニャ州立バルセロナ美術学校ジョッチャーの漆科を学び、1998年から2000年までバルセロナ・アート・イ・オフィシス校にて宝石学を学び、2000年にバルセロナ・アート・イ・オフィシス校のジュエリー科に正規入学し、2002年までバルセロナ・アート・イ・オフィシス校を卒業、2013年6月にミラノの工房にてジョルジョ・ウピグリオ(Giorgio Upuigrio)と最後の銅版画を制作した。

1999年に「国際漆デザイン展・99石川」で入選、2000年に 「エンジョヤ」(ジュエリーコンクール)で入賞、2002年に「国際漆デザイン展・02石川」で特別賞、山中漆器連合協同組合理事長賞、2003年に「2003伊丹国際クラフト展“ジュエリー”」で入選(2009年も入選)、2012年に第32回カダケスインターナショナルミニプリントで入選、第7回インターナショナルトリエンナーレグラフィックアートビトラ(マケドニア)で入選、2013年に第33回カダケスインターナショナルミニプリントで入選(2014年、2015年、2016年、2017年も)している。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。

大丸松坂屋画廊で内林武史、祝迫芳郎、松枝悠希ら立体作品展

【銀座新聞ニュース=2018年1月20日】大手流通グループのJ.フロントリテイリング(中央区八重洲2-1-1)傘下の大丸松坂屋百貨店(江東区木場2-18-11)が運営するアートギャラリー「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3572-8886)は1月18日から31日までグループ展「3-dimensional arts」を開いている。

大丸松坂屋百貨店の「アールグロリューギャラリーオブトーキョー(Artglorieux GALLERY OF TOKYO)」で1月31日まで開かれている「3-ディメンションタル・アーツ(dimensional arts)」に出品されている内林武史さんの「D.L.C.モデル( Model)1817」(スイッチを入れると鉱石が光る)。

「アールグロリューギャラリーオブトーキョー(Artglorieux GALLERY OF TOKYO)」は「銀座シックス(GINZA SIX)」の中核企業の大丸松坂屋百貨店が直営する画廊で、今回は中堅、若手立体作家によるグループ展で、2週に分けて展示する。18日から24日は木材、金属、鉱石、電気部品などの素材を使て、機械、都市、宇宙、時間、幾何学などをテーマに制作している内林武史(うちばやし・たけし)さん、木彫、乾湿、ブロンズといったさまざまな技法を自由に用いて、彫刻作品を制作する大森暁生(おおもり・あきお)さんが出品している。

25日から31日まで動物をモチーフに、金属や樹脂、箔などの素材の特徴をいかして立体作品を制作する祝迫芳郎(いわいさこ・よしろう)さん、「解放」をコンセプトにしてモチーフが飛び出る作品を制作している松枝悠希(まつえだ・ゆうき)さん、スイーツデコの技術を独自に昇華させて「フェイク・クリーム・アート」で表現する渡辺(わたなべ)おさむさんが展示する。

同じく祝迫芳郎さんの「キョウ・ケン(KYO-KEN)-チワワ・スカジャン」(銅、真鍮、ステンレス、金属箔、樹脂、金メッキ、ニッケルメッキ)。

内林武史さんは1967年東京都武蔵野市生まれ、1985年に渋谷のデザイン学校桑沢デザイン研究所夜間平面デザイン科に入学、1986年にデザイン事務所でアルバイト、1987年に桑沢デザイン研究所を卒業、美術制作会社にてTBSテレビ大道具・舞台美術を制作、1989年に店舗内装、アートワークに参加し、3店の制作に携わり、1990年に博物館、イベントの恐竜・化石復元モデルを制作、1996年に自身のアトリエ「アトリエ・ガレージ(Atelier GARAG)」を設立し、美術作家としてフリーランスで活動している。

大森暁生さんは1971年東京都生まれ、1992年に愛知県立美術大学美術学部彫刻専攻を卒業、1993年に第46回日本アンデパンダン展に出品、1994年に第6回現代日本具象彫刻展で入選、1995年から2002年まで「籔内佐斗司工房」にて彫刻家の籔内佐斗司(やぶうち・さとし)さんのアシスタントを務め、1996年に第27回愛知県立美術大学卒業修了制作展に出品、1998年に個展を開き、その後、グループ展などに出品している。

祝迫芳郎さんは1975年鹿児島県生まれ、2003年に東京芸術大学大学院彫金専攻を修了、2005年に個展を開き、2008年に「新生展」でうわむき賞、前橋アートコンペライブ2008で銅賞、2015年に「高輪会」で淡水翁賞、現在、山脇美術専門学院非常勤講師。

松枝悠希さんは1980年茨城県生まれ、2005年に東京芸術大学美術学部デザイン科を卒業、2010年に同大学大学院後期博士課程を修了、2002年に群馬オープンスペースアートコンペディション2002で入賞、2003年に第19回ハンズ大賞で「プランニング賞」、「アミューズアーティストオーディション」で入選した。

2005年に「東京芸術大学卒業制作展」で買い上げ賞、2006年にみずほストリートギャラリーで入賞、2009年に「タグボート・オータム・アワード(TAGBOAT AUTUMN AWARD)2009」で審査員特別賞、2010年に東京芸術大学修了展で日本ペイント賞などを受賞している。

渡辺おさむさんは1980年山口県周南市生まれ、2003年に東京造形大学デザイン学科を卒業、2001年に京都アートコンペ2001で審査員特別賞、第19回ひとつぼ展で入選、ターナーアクリルアワードで審査員特別賞、2007年にアミューズアートジャム2007で倉本美津留(くらもと・みつる)賞などを受賞している。

開場時間は10時30分から20時30分(最終日は18時)まで。入場は無料。

丸善丸の内で渋谷重弘展、古文書に銅箔した上に描く

【銀座新聞ニュース=2018年1月19日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月19日から25日まで4階ギャラリーで渋谷重弘さんによる絵画展「琳派と油彩画の融合」を開いている。

丸善・丸の内本店で1月25日まで開かれている渋谷重弘さんの絵画展「琳派と油彩画の融合」に展示されている「桔梗をそえて」(油彩、銅箔)。

油彩画家で、江戸時代の古文書の上に金、銀、銅箔を貼って独自のキャンバスを作り、静物を油彩で描く渋谷重弘(しぶや・しげひろ)さんが渋さと華やかさが融合した独特の作品約30余点を展示している。

渋谷重弘さんは1946年秋田県六郷町生まれ、1969年に秋田大学教育学部美術科を卒業、1970年に岩手大学教育学部専攻科を修了、1972年にフランスにわたり、1973年にパリのサロン・ナショナル・ボザール展に出品(1977年にも出品)、ル・サロン展に出品(1977年にも出品)、ニースのサロン・ド・エテ・ドラ・コート・ダジュール展にて「セントル・ド・アーティスティック・ドラ・コート・ダジュール杯」を受賞した。

1974年にイタリア・ローマのグラン・プレミオ・イ・セッテ・コリ・ディ・ローマ展にてグランプリ、1978年にベルギーのギャラリー・ダンドワ(Gallarie Dandoy)企画展に参加、1979年に帰国、1979年から1993年まで青森中央短期大学教授、1908年に日仏現代美術展に出品(東京・パリ)した。

1981年に日仏現代絵画展出品(東京・北京)、1993年に第3回紙わざ大賞展に出品(静岡県島田市)、今立現代美術紙展に出品(福井県今立市)、1995年に第30回昭和会展招待出品、1999年に第8回青木繁(あおき・しげる)記念大賞公募展に出品(2000年も)、2001年に第12回秋田県芸術選奨を受賞、秋田公立美術工芸短期大学教授を経て、現在、秋田公立美術工芸短期大学名誉教授。

19日12時から18時まで渋谷重弘さんが来場する。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)まで、入場は無料。