丸善丸の内で川瀬「巴水」の画号110年展、渡辺画舗が選ぶ

【銀座新聞ニュース=2020年3月22日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は3月25日から31日まで4階ギャラリーで「新版画の美-『巴水』命名110年-川瀬巴水 木版画展」を開く。

丸善・丸の内本店で3月25日から31日まで開かれる「新版画の美-『巴水』命名110年-川瀬巴水 木版画展」に出品される「上州法師温泉」(1933年、税込55万円)。

日本の浮世絵版画を復興するため新しい浮世絵版画「新版画」を確立した、近代風景版画の第一人者として知られる川瀬巴水(かわせ・はすい、1883-1957)が1910(明治44)年に日本画家の鏑木清方(かぶらき・きよかた、1878-1972)に入門を許され、本格的に画業に取り組み、1910(明治43)年に「「巴水」の画号を与えられてから110年経つのを記念して版画展を開く。

1906年に創業した渡辺木版美術画舗(中央区銀座8-6-19、03-3571-4684)が世界から集められた中から大正期の作品も含む30点余りを展示販売する。

「アートスケープ」によると、2013年12月15日に放送されたNHK「日曜美術館」でアメリカ・アップル・コンピュータ社の創業者、スティーブ・ジョブズ(Steven Paul “Steve”Jobs、1955-2011)が新版画、とくに川瀬巴水作品のコレクターであったことが紹介されたという。

スティーブ・ジョブズは1983年、28歳のときに銀座の画廊で川瀬巴水や橋口五葉(はしぐち・ごよう、1881-1921)の版画を購入し、1984年にアップルが初代マッキントッシュを発表した際に、そのプロモーション写真の3台のコンピュータのうち、中央の画面には、橋口五葉の版画「髪梳ける女」(1920年)が写されていたという。

単行本「最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡辺庄三郎」などによると、スティーブ・ジョブズは渡辺木版美術画舗や兜屋画廊(中央区銀座8-8-17、伊勢万ビル、03-3571-6331)などで川瀬巴水らの作品を購入していたという。

アメリカの鑑定家ロバート・O・ミューラー(Robert O.Muller、1911-2003)の紹介によって欧米で広く知られ、国内よりも海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎(かつしか・ほくさい、1760-1849)や歌川広重(うたがわ・ひろしげ、1797-1858)らと並び称されるほどの人気がある。

ウイキペディアなどによると、「新版画」は1897(明治30)年前後から昭和時代に描かれた版画のことで、江戸時代に流行した浮世絵版画が1894(明治27)年の日清戦争を描いた戦争絵の一時的なブームを最後に、急速に力を失い、廉価な石版画、写真、大量印刷の新聞、雑誌、絵葉書などといった新商品の人気に押され、売れ行き不振となり、衰退していった。

そのような中で、従来の浮世絵版画と同様に、絵師、彫師、すり師による分業の制作方式に興味をもったのが、1899(明治32)年に来日したヘレン・ハイド(Helen Hyde、1868-1919)や1900(明治33)年に来日したエミール・オルリック(Emil Orlik、1870‐1932)ら外国人だった。

その後、橋口五葉らが新版画に着手し、日本画家のみならず、洋画家や外国人作家の参画によって、1923(大正12)年に発生した関東大震災以前の新版画がもっとも華やかで、実験的な作品を生み出す時代を迎えた。それらは現代的なデッサンの美人画、役者絵、陰影のある風景画や花鳥画などが描かれたという。

川瀬巴水は1883(明治16)年東京都生まれ、10代から画家を志して日本画を学び、1908年に25歳で父親の家業を継ぐが、画家になる夢を諦めきれず、妹夫婦に商売を任せて日本画と洋画を学んだ。1910年、27歳で日本画家の鏑木清方に入門し、「巴水」の画号を与えられる。

1918年に風景版画を制作し、1920年に「旅みやげ第一集」を完成、1921年に「東京十二題」と「旅みやげ第二集」を完成、1923年に関東大震災で被災しながらも、1926年に「日本風景選集」、1929年に「旅みやげ三集」、1930年に「東京二十景」、1936年に「日本風景集東日本編」を完成させた。

1939年に「朝鮮八景」を完成させ、1944年には栃木県塩原に疎開、1948年に東京都大田区内に引越し、1957年に自宅で胃ガンのため74歳で死去した。衰退した日本の浮世絵版画を復興すべく、新しい浮世絵版画である新版画を確立した人物として知られる。

開場時間は10時から21時(最終日は16時)まで。

サニーヘルス、自宅でプランクやエア縄、腿上げ等で下半身を鍛える

【銀座新聞ニュース=2020年3月21日】健康食品、美容商品、化粧品などの販売会社、サニーヘルス(中央区八重洲2-1-6、八重洲kビル、03-6701-3000)はこのほど、レポート「自宅でできるダイエットのためのトレーニング5選」を発表した。

ダイエットのための運動やトレーニングは、必ずしもジムや屋外でなくても可能だ。自宅なら通うための時間や費用も不要な上に、スキマ時間やテレビを見ながらなど、好きな時に行うことができる。自宅トレーニングを習慣化することができれば、今後はもうジム通いをする必要はなくなる。

そこで、今回は自宅でできて、マシンいらずのダイエットのためのトレーニング方法を紹介する。

運動には有酸素運動と無酸素運動があるが、どちらの運動をするにしても重要なのは筋肉を付けること。筋肉は加齢とともに衰えていき、20代をピークに1年で約1%ずつ減少していくといわれている。特に下半身には大殿筋、大腿四頭筋、ハムストリングスなどの大きな筋肉が存在し、この3つで体全体の筋肉の約5割を占めている。なので、ダイエットのために筋肉を付けるのであれば、下半身の筋肉を鍛えることが効率的といえる。

また、下半身の筋肉に限らず、全身の筋肉を機能させるためには、糖質や脂肪などのエネルギー源が必要となる。人間が生きているだけで自動的に使われるエネルギーのことを「基礎代謝」といい、基礎代謝の約40%は筋肉が消費するとされているので、筋肉量が多いほどより多くのエネルギーが代謝されるようになる。つまり、筋肉量を増やせば、やせやすく、太りにくい体質になるわけだ。筋肉を付けることはやせ体質になれるだけでなく、女性に多い冷え性の改善にも効果がある。

それでは、自宅トレーニング5選を説明しよう。

「プランク」は体幹を鍛えるトレーニングで、同じ姿勢を維持するだけの簡単な運動だ。基本としては、腕立て伏せの形から肘を床に付けた姿勢を取り、肩からかかとまでを真っすぐに保つことを意識しながら、その姿勢をキープするだけというもの。ひじょうに簡単な運動だが、初めは30秒も持たないほど負荷が掛かり、上半身を中心にお腹周りや背中、腿の全面の筋肉を鍛えることができる。

1)両肘と両膝を床に付ける。肘と脚は肩幅程度に開く。
2)両膝を伸ばし、30秒間その姿勢をキープする。

最初は1日30秒×2セットから始めよう。とてもシンプルなトレーニングだからこそ、以下のポイントを意識することで効果に差が出る。

1)肩、背中、腰、脚、かかとが真っすぐになるように意識する。腰が反っても、曲がってもよくない。反っていると腰を痛めることもある。
2)目線は両こぶしの間あたりにする。
3)呼吸は止めず、深くゆっくりと行う。
4)床に付ける肘の位置は肩の真下になるようにする。

「エア縄跳び(アンクルホップ)」の基本の「縄跳び」は普通の前跳びでも軽いランニングの1.3倍から2倍ものダイエット効果があるといわれている。これを自宅や室内で行うことができるのがアンクルホップだ。

跳ぶことで全身の筋肉を使い、特にふくらはぎのヒラメ筋や腓腹筋などが中心に使われる。そのため、下半身引き締めに効果が大きいことはもちろんのこと、脚からお尻にかけての大きな筋肉も鍛えることができる。

1)真っすぐに立って拳1つ分程度足を広げる。
2)両手を腰に当て、かかとを少し床から浮かせる。
3)つま先で床を蹴って、真上にジャンプ。これを縄跳びのように繰り返しジャンプを続ける。ジャンプ20回×2セット行う。

高く飛ぶこと、最初のジャンプを除いて膝を曲げないことを意識して行うにする。

「スクワット」は
1)肩幅程度に足を広げ、つま先を45度外側に向ける。
2)手は右手を左肩に、左手を右肩に置く。
3)前を見て、背筋を伸ばす。
4)膝がつま先よりも前に出ないように膝を曲げ伸ばしする。

この姿勢を基本として、息をゆっくり吸いながらお尻を後ろに突き出すように、床と太ももが平行になるまで膝を曲げ、息を吐きながら膝を伸ばす。素早く膝を曲げ伸ばしするよりも、できるだけゆっくり行うとより効果がある。20回×2セットを目安に、無理のない回数から始めよう。動作中は呼吸を止めず、安定させた状態をキープしてほしい。

「踏み台昇降」とは、階段、または10センチから20センチの台があれば、この運動を行うことができる。踏み台の高さは、足を上げた時に膝が股関節を超えない程度が目安で、踏み台昇降は足腰を鍛えることができ、しかも脂肪燃焼効果のある有酸素運動になる。

1)右足から左足の順で登り、右足から左足の順で降りる。左右は逆でも可。この動作を10分間×2セット行う。背筋を伸ばし、腕を振りながら登り降りを行う。

「腿上げ(ももあげ、ハイニー)」は片足ずつ交互に腿を上げるだけの、全身を使う有酸素運動だ。全身の筋力アップや体幹の強化になるほか、脚とヒップ周辺の筋肉を鍛えることができるので、美脚やヒップアップにも効果的といえる。有酸素運動でもあるので、脂肪燃焼効果も期待することができる。

1)真っすぐに立ち、足を肩幅程度に開く。
2)左右の腿を交互に上げ下げする。膝が股関節の高さになるように腿を高く上げて、その場でランニングを行うような動作を繰り返す。3分間×2セットを行う。

背筋を伸ばした状態をキープし、上げていない側の脚は曲げないようにする。初めはゆっくりと、慣れてきたらスピードと腿の位置を上げることで負荷を大きくできる。

運動を行う際は、動かしている筋肉や鍛えたい部分を意識したい。それだけで効果に差が出る。簡単な運動ばかりを紹介したが、運動の前後には必ずストレッチを取り入れ、柔軟性を高めておくことも大切だ。

丸善丸の内でおくはらゆめ「うんめぇめぇし」原画展

【銀座新聞ニュース=2020年3月20日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は3月17日から4月10日まで3階児童書売り場壁面ギャラリーでおくはらゆめさんによる「うんめぇめぇし」原画展を開いている。

丸善・丸の内本店で4月10日まで開かれているおくはらゆめさんの「うんめぇめぇし」原画展に展示される絵本の表紙。

2月21日に絵本作家のおくはらゆめさんが創作絵本「うんめぇ めぇし1のはらのごはん」(ほるぷ出版、税抜1400円)を刊行したのを記念して原画展を開いている。

「うんめぇ めぇし1のはらのごはん」はふたごのやぎ、あんちゃんともなちゃんがいつも「うんめぇ」食べものを探している中、あたたかな風がふく春の野原で、2人が見つけたものとは。巻末には、話の中で作った料理のレシピがついている。

おくはらゆめさんは1977年兵庫県生まれ、辻学園日本調理師専門学校を卒業、大阪のイタリア料理店で働き、2002年春から絵本を作りはじめ、ピンポイント(Pinpoint)絵本コンペに毎年応募し、2003年に東京に引越し、絵本を作って、毎週末に井の頭公園のフリーマーケットに並べ、2005年にモエ(MOE)絵本イラスト大賞で年間グランプリ佳作に選ばれた。

2006年に第12回おひさま大賞最優秀賞、2007年に自転車で佐渡島を一周、同年に第8回ピンポイント(Pinpoint)絵本コンペで入選、2008年に「ワニばあちゃん」でデビュー、同作で第1回モエ絵本屋さん大賞で新人賞、2010年に「くさをはむ」(講談社)で第41回講談社出版文化賞絵本賞を受賞している。

22日におくはらゆめさんによるトークイベント、ワークショップ、サイン会が予定されていたが、中止になっている。

開場時間は9時から21時まで。

銀座蔦屋で90年代生まれの東弘一郎、洞山舞、渡辺渓が「立体作品」展

【銀座新聞ニュース=2020年3月19日】書店やレンタル店、フランチャイズ事業などを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(渋谷区南平台町16-17、渋谷ガーデンタワー)グループの銀座 蔦屋書店(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3575-7755)は3月20日から30日まで6階「GINZA ATRIUM」で、東弘一郎さん、洞山舞さん、渡辺渓さんによるグループ展「春のアート展」を開く。

銀座 蔦屋書店で3月20日から30日まで開かれるグループ展「春のアート展」に出品される洞山舞さんの「月の花」(2019年)。

空間表現において将来が期待される東京芸術大学出身の東弘一郎(あずま・こういちろう)さん、多摩美術大学出身の洞山舞(ほらやま・まい)さん、東京芸術大学出身の渡辺渓(わたなべ・けい)さんの3人が、立体作品を中心に展示する。

東弘一郎さんは自転車と金属を組み合わせて、主に動く立体作品を制作し、先日、開かれた東京芸大での卒業制作展では、今回の作品「廻転する不在」が注目されている。洞山舞さんは鉄を素材に独自のガス溶接と溶断技法を用いて彫刻作品を制作し、精力的に個展を開いている。

同じく出品される東弘一郎さんの「廻転する不在」。茨城県取手市の放置自転車を扱った作品で、「放置されることで止まってしまった記憶や時間を、人力で回転させることで、もう一度動かすことはできないだろうか」と問うている。

渡辺渓さんは「小さな空間」をテーマとし、木彫を中心とした繊細な作品を制作し、国内やアジアで作品を展開している。

東弘一郎さんは1998年東京都生まれ、2020年に東京芸術大学美術学部先端芸術表現科を卒業、同大学大学院美術研究科に進学予定。自転車と金属を組み合わせて、主に動く立体作品を制作している。宮田亮平(みやた・りょうへい)賞、コミテコルベールアワード2018(2019年も)入選している。

洞山舞さんは1992年岐阜県生まれ、2017年に多摩美術大学美術学部彫刻学科を卒業、2020年に多摩美術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了見込み、鉄を素材に独自のガス溶接と溶断技法を用いて彫刻作品を制作している。2018年に第1回国画会新進美術作家支援プロジェクトの助成金を得ている。

渡辺渓さんは1991年静岡県生まれ、2018年に東京芸術大学美術学部デザイン科を卒業、2020年に同大学美術研究科デザイン専攻修了見込み、在学中に東京芸術大学アートプラザ「デザイン科見本市」に参加、9月に「2019 上海アートフェア(Shanghai Art Fair)新鋭アーティスト展」に参加している。「小さな空間」をテーマに流木と木彫表現を用いて、人と他に生まれる距離を作品として制作している。

開場時間は10時から22時30分。

注:「渡辺渓」の「辺」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

「万が一」をタブー視しないための「Fukushima50」(285)

【ケイシーの映画冗報=2020年3月19日】2011年3月11日、マグニチュード9.0という、日本の地震観測史上、最大の地震が発生、太平洋に面した福島第1原子力発電所は、ただちに原子炉を緊急停止させます。

現在、一般公開されている「Fukushima 50」((C)2020「Fukushima 50」製作委員会)。

「止める、冷やす、閉じ込める」の第一段階です。ところが、地震による大津波の被害により、非常発電用のディーゼルエンジンが止まってしまいます。

「全電源喪失」の福島第一原発1、2号機の当直長である伊崎(いざき、演じるのは佐藤 浩市=さとう・こういち)は、所長である吉田(昌郎=よしだ・まさお、1955-2013。演じるのは渡辺謙=わたなべ・けん)にこれを伝え、吉田は東京の本社に現状を報告します。

「1F(いちえふ=福島第一原発)、ステーション・ブラックアウト、SBOです」

止めた原子炉を「冷やす」ことができなくなったのです。伊崎は現場責任者として、危険な放射線のある建屋内での作業員をもとめ、自身も先頭に立つと決意を示します。吉田所長は、現場の責任者として、“遠隔操作”してくる東京の本社や政府との折衝に苦しみます。

「だったらいっぺん、現場に来いよ!」

放射線の危険もあって冷却作業は進まず、原子燃料を納めた格納容器が破壊される危険性まで語られます。

「閉じ込める」ができなくなるので、格納容器から放射性物質の放出することが検討され、危険を承知で「被害極限」の選択をしなければ、巨大な厄災となることは必至という最悪の事態に直面する日本の運命は。

もちろん、現在を生きる我々は、本作「Fukushima50(フクシマ フィフティ)」(2020年)の「最悪想定」の状況下にはありません。しかし、その危険性があったのは事実です。本作の原作は、門田隆将(かどた・りゅうしょう)によるノンフィクション「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」です。映画化にあたって、史実からの変換がなされており、渡辺の演じる吉田所長のみ実名で、他の登場人物は映画としてのキャラクターとなっています。

執筆の基礎を「徹底的に現場の真実にこだわった」(パンフレットより)とする門田の意志は、監督である若松節朗(わかまつ・せつろう)にも引き継がれ、「あのとき現場の作業員には死が間近に迫っていたが、国家そのものも壊滅的危機に直面していた。絶望的状況の中で、彼らがなぜ危険な作業に向かったのか、真実を知ってもらいたかった」(2月26日付「読売新聞」)という基礎となっています。

自分には「福島出身で、親族が原発に関わっている」という知人がおり、「事故直後の福島第一で、作業にあたった」という自衛菅からもお話をうかがっています。

劇中にもある、1970年代の「今度できる原発で働けば、出稼ぎせずに、家族と暮らせる」という切実な理由や、自衛官が「国を守るのが私たちの仕事ですから」と最後まで現場に残るシーンなどにふかい感慨を感じています。

その一方で、作品のなかで「描かれていない現実」についても考えてしまいます。「なぜ、原発が福島だったのか」や「なぜあれほどまで、現場に混乱が生じたのか」も、生にちかい声も聞いておりますので。

「歴史にif(もし)はない」のですが、「あの時、あの場所では何が最善だったのか」を問うことや、大事件・事故の経緯を検証することも大切ですし、これに批判や非難が加えられるのも必定といえます。

「人々は善行よりはむしろ過失をよく記憶する」、古代ギリシャの哲学者デモクリトス(Democritus、BC460ごろ-BC370ごろ)の言葉だとされています。デモクリトスは、目に見えない物質の存在を仮説として原子論を提唱した、原子物理学の元祖のひとりとされているので、この事案にも一脈、通じているかもしれません。

現在、日本だけではなく、世界規模で“新型コロナウィルス”の問題がさまざまな影響をあたえており、そのほとんどがマイナスの事情となっています。

疾病などに詳しい友人によると“未知のウィルスや病原体”は、「当然、考慮されるべきだし、今後も発生する」のだそうです。理由は「これから人類はますます活動範囲を広げていくから」という説得力のあるものでした。

現状をみるに、「万が一」はタブーにしない方がよいのではないか、と考えさせられる一作で、賛否は分かれているようですが、鑑賞してからの評価が適切でしょう。

最後になりますが、アメリカ海軍の原子力潜水艦では、「エンジンの前で待機しているだけ」の乗組員がいるそうです。トラブルが起きて原子炉が緊急停止したら、即座に目の前のエンジンを始動させ、最低限の動力を送るのが任務なので「仕事をしないのが仕事」という部署なのだそうです。

「安全」とはなにかの一例でしょうか。次回は「ハリエット」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。