【銀座新聞ニュース=2021年3月24日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は3月24日から4月5日まで本館7階催物会場で「第76回春の院展」を開いている。
第76回春の院展は、「日本美術院春季展賞(郁夫賞)」が1964年大阪府生まれ、1988年愛知県立芸術大学美術学部絵画科専攻(日本画)卒業、1990年同大学大学院美術研究科修士課程日本画専攻修了、愛知県立芸術大学准教授、日本美術院特待の吉村佳洋(よしひろ)さんの「序奏」、「日本美術院春季展賞」が1972年愛知県生まれ、1995年東京芸術大学美術学部日本画学科卒業、1997年同大学大学院絵画研究科日本画専攻修了、新潟大学教育学部芸術環境講座日本画研究室准教授、日本美術院院友の永吉秀司さんの「彼岸の雫」が選ばれている。
外務大臣賞(奨励賞も)が1979年秋田県生まれ、2004年愛知県立芸術大学美術学部美術学科日本画専攻卒業、2006年同大学大学院美術研究科日本画専攻修了、2007年同大学大学院美術研究科日本画専攻研修課程修了、日本美術院院友の平林貴宏さんの「ユナシリタの予型」が選ばれている。奨励賞は平林貴宏さん、岩永てるみさんの「water world(ウォーターワールド)」など14人(2020年は12人)が選ばれている。
今回は応募点数が701点(2020年725点)、入選点数が309点(同308点)、同人の出品点数が33点(同35点)、「第76回春の院展」への出品点数が342点(同343点)としている。
入選点数の内訳は招待が5点(同4点)、無鑑査10点(同13点)、一般294点(同291点)、うち初入選が33点(同34点)となっている。
また、初入選の作家コーナーを会場中央(このコーナーだけ無料)に設けるとともに、日本美術院代表理事で、日本芸術院会員の那波多目功一(なばため・こういち)さんが1975年の第30回春の院展で入選した「座す」を特別展示する。
ウイキペディアによると、「日本美術院」は1898年に岡倉天心(おかくら・てんしん、1863-1913)が東京美術学校を排斥されて学校長を辞職した際に、自主的に連座して辞職した横山大観(よこやま・たいかん、1868-1958)らが岡倉天心の計画する美術研究の構想に賛同し、同年7月に美術研究団体としての 「日本美術院」を東京・谷中大泉寺(谷中初音町)にて結成したのがはじまりとされている(1952年に東京都の文化史蹟に指定され、現在、岡倉天心記念公園として岡倉天心先生旧宅趾・日本美術院発祥之地碑が建てられている)。
同年10月に落成開院した日本美術院は日本絵画協会と連合して「日本美術院展覧会(院展)」を開いた。以後、日本絵画協会と合同で春秋2回、絵画展覧会を開くも、1900年秋季の展覧会が最盛期で、以後、資金の欠乏、院の内紛、綱紀の乱れなどが原因で徐々に沈滞するようになった。
1905年に茨城県・五浦海岸へ別荘(六角堂)を建設した岡倉天心は、 1906年に第1部(絵画)と第2部(彫刻)を改組し、第1部を五浦海岸へ移転させるが、当時、岡倉天心はフェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853-1908)の紹介でボストン美術館中国・日本美術部に入っており、五浦とボストンを往復するうちに日本美術院への興味を失っていった。また、第2部は国宝修理も行うことから1914年に「美術院」と改称し、1965年に「財団法人美術院」となり、2013年に「公益財団法人美術院」となった。
1910年に岡倉天心がボストン美術館中国・日本美術部長として渡米すると、日本美術院は事実上の解散状態となった。1914年に文展(文部省美術展覧会)に不満を持つ横山大観や下村観山(しもむら・かんざん、1873-1930)らは、1913年に岡倉天心が没したことを契機に、その意志を引き継ぎ、谷中上三崎南町に研究所を建設し(現在公益財団法人「日本美術院」がある)、日本美術院を再興した。
現在、日本を代表する日本画の美術団体として活動を継続している。日本美術院には日本画のほかに洋画部(1920年9月に脱退)と彫刻部(のち「彫塑部」と改称し、1961年2月に解散)も加わったが、現在は日本画のみになっている。
日本美術院展覧会(院展)は、1914年10月に日本橋三越旧館で「日本美術院再興記念展覧会」を開き、これが現在、東京都美術館で9月に開かれている日本美術院展覧会(院展)の第1回展にあたり、1944年、1945年を除き、毎年秋に開催されてきた。
日本美術院展覧会を開催できなかった1945年11月に「日本美術院小品展覧会」が日本橋三越で開かれ、こちらは第2回展から毎年春に開かれることになり、1959年に「日本美術院春季展覧会」と改称され、1970年からは「春の院展」として現在まで毎年開かれている。1958年5月に日本美術院は財団法人化され、2011年4月に公益財団法人化され、2014年に再興100周年を迎えた。
春の院展は毎年4月上旬(年度により3月下旬の場合も)より日本橋三越本店にて約2週間開かれるのを皮切りに、約4カ月かけて全国10カ所弱を巡回する。同展覧会の前身が習作展・試作展・小品展であることから、秋に行われる再興院展よりも出品サイズが小さく、特に同人作家にとっては実験的な作品を発表する場として位置づけられている。
規定サイズは縦型(外装込)が150センチ×75センチ以内、自由形(外装込)が106センチ×106センチ以内となっている。主な賞としては、外務大臣賞、春季展賞、奨励賞がある。
時間は10時から18時30分(最終日は17時30分)。入場料は一般800円、大学生・高校生600円、中学生以下は無料。また、本館6階の美術特選画廊で同じ期間で開催中の「日本美術院同人小品展」は無料で鑑賞できる。。