日比谷「月夜に光り輝く」永野芽郁が挨拶

【銀座新聞ニュース=2019年3月22日】阪急阪神東宝グループで、映画の制作配給、演劇の興行などの国内最大手、東宝(千代田区有楽町1-2-2、東宝日比谷ビル、03-3591-1221)は3月26日にTOHOシネマズ日比谷(スクリーン12、千代田区有楽町1-1-3、東京宝塚ビル)で「君は月夜に光り輝く」に出演している永野芽郁さんによる公開記念ティーチイン舞台あいさつを開く。

現在、一般公開中の「君は月夜に光り輝く」((C)2019「君は月夜に光り輝く」製作委員会)。

26日12時30分の回上映終了後に、高校1年生で発光病という不治の病で病院に入院する「渡良瀬まみず」役の永野芽郁(ながの・めい)さんが舞台に登場してあいさつする。

「君は月夜に光り輝く」は佐野徹夜(さの・てつや)さんが2016年に第23回電撃小説大賞を受賞し、作家としてデビューした小説で、2017年2月にKADOKAWAから発売された同題名の作品が原作で、2018年9月時点で30万部を発行している。月川翔さんが監督と脚本を担当している。

物語は高校生の岡田卓也が出会った同級生の渡良瀬まみずは、不治の病である発光病で入院生活を送っているところからはじまる。細胞の異常によって皮膚が発光するその病気は、死が近づくにつれて光が強くなり、成人するまで生存した者はいない。

卓也は、病院から外出が許されないまみずに代わり、彼女の願いを実行し、その感想を彼女に伝える「代行体験」をはじめ、まみずは卓也との代行体験を通し、人生の楽しみを覚える。次第に2人の距離は縮まっていくが、卓也とまみずは避けることができない死の恐怖に襲われる。

チケットはチケットぴあによる先行抽選を販売中で25日11時締め切り。料金は一般2000円、大学生・専門学校生1700円、高校生、ジュニア(3歳から中学生)、障がい者1200円、シニア(60歳以上)1300円。

永谷商事、一龍斎貞弥と「江戸の名残」を散歩

【銀座新聞ニュース=2019年3月22日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)は3月29日に一龍斎貞弥さんによる「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

3月29日に「講談師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「歴史の名残を辿る築地編」で銀座、築地を歩く一龍斎貞弥さん。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画で、その後、お江戸日本橋亭で寄席を鑑賞する。

今回は二ツ目の女流講談師、一龍斎貞弥(いちりゅうさい・ていや)さんが「歴史の名残を辿(たど)る築地編」と題して、東京メトロ有楽町線銀座一丁目駅から「銀座発祥の地碑」(中央区銀座2-7-17)、「南町奉行所跡」(千代田区有楽町2丁目)、「数寄屋橋跡」(中央区銀座5-1-1、数寄屋橋公園内)を歩く。

そこから「築地本願寺」(中央区築地3-15-1、03-3541-1131)、「蘭学事始の地碑」(中央区明石町11-6 、聖路加国際病院前聖ルカ通り)と回って、昼前にお江戸日本橋亭に移動して、午後から「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。

「銀座発祥の地碑」は中央通りに面したティファニー銀座ビル前の歩道にあり、碑には「銀座発祥の地 銀座役所跡」と刻まれている。江戸時代にこの地に銀座があったことを記念して、1955年に建てられた。

江戸時代の銀座は貨幣の鋳造所で、1601年に伏見に創設されたのが始まりで、その後は大坂や駿府、京都に置かれたが、江戸湾の入江を埋め立てた場所に1612(慶長17)年に銀貨鋳造所を駿府城下から銀座に移したことに由来している。

銀座役所では貨幣鋳造と銀地金の売買が行われ、役所は江戸銀座で上納銀の滞納など不正行為が発覚したことを機に、1800年に蛎殻町(現日本橋人形町)に移転したが、当時の銀座は「新両替町」と称し、通称「銀座町」と呼ばれ、1869(明治2)年に「銀座」を町名とした。

「南町奉行所跡」は江戸町奉行が寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の3奉行のひとつで、江戸府内の行政・司法・警察などを担当し、定員2人で南北両奉行に分かれ月番で交替に執務していた。大岡越前守忠相(おおおか・えちぜんのかみ・ただすけ、1677-1751)は1717(享保2)年から1736(元文元)年にかけて南町奉行として執務をした。

また、お濠に架かった数寄屋橋御門(すきやばしごもん)を渡ったところには「南町御奉行御役屋敷 遠山左衛門尉(とおやま・さえもんのじょう・かげもと、1793-1855)」と書かれている。遠山左衛門尉景元(遠山金四郎)は1837(天保8)年に作事奉行、1838(天保9)年に勘定奉行(公事方)、1840(天保11)年に北町奉行に就いた。その後、1843(天保14)年に北町奉行を罷免され、大目付に就き、1845(弘化2)年から1852(嘉永5)年まで南町奉行を務めた。

南町奉行所は1707(宝永4)年に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、2005年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土蔵などが発見された。また、「大岡越前守屋敷」と墨書きされた荷札も出土した。

再開発事業では、石組下水溝の一部をここに再現するとともに、石材を事業地内でベンチなどに活用している。

「数寄屋橋」は、1629(寛永6)年に江戸城外濠に架けられた橋で、関東大震災後の帝都復興事業によって1929(昭和4)年に石造りの二連アーチ橋に架け替えられた。山口文象(やまぐち・ぶんぞう、1902-1978)が設計し、旧麹町区と旧京橋区の境界に位置し、現在の晴海通り (都道304号)にあった。

1958年に外堀が東京高速道路の建設により埋め立てられ、取り壊された。数寄屋橋があった場所を跨ぐ東京高速道路の橋は新数寄屋橋と名付けられているが、橋は取り壊されて現存しない。現在は数寄屋橋公園(中央区銀座5-1-1)に橋の存在を示す碑が立てられている。

数寄屋橋は江戸城外廊見附として初めて架けられた時は幅四間、長三間の木橋であった。橋名は幕府の数寄屋役人の公宅が門外にあったのに依るという。見附の城門枡形は維新の際に撤去され、1923年の関東大震災後の復興計画によって完成された石橋が銀座の入口とされた。

その後、首都交通の激増により、この界隈を変貌させた外壕上を高速道路が、地下には地下鉄が走るようになって橋も姿を消した。

「築地本願寺」は浄土真宗本願寺派の寺院で、京都府京都市にある西本願寺の直轄寺院となっている。住職は2014年に門主に就任した大谷光淳(おおたに・こうじゅん、1977年生まれ)さんが兼ね、事務執行機関として宗務長(旧:輪番)1人、副宗務長2人で構成されている。

1617年に西本願寺の別院として浅草御門南の横山町(現日本橋横山町、東日本橋)に建立され、「江戸海岸御坊」や「浜町御坊」と呼ばれていた。しかし、1657年の明暦の大火により本堂を焼失し、その後、江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。

そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が築地の由来)、1679年に再建され、「築地御坊」と呼ばれた。このときの本堂は西南(現築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。

1923年の関東大震災では、地震による倒壊は免れたが、その後の火災により再び伽藍を焼失し、58カ寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転した。現在の本堂は1934年に竣工された。古代インド様式をモチーフとした建物は、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞(おおたに・こうずい、1876-1948)と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授の伊東忠太(いとう・ちゅうた、1867-1954)が設計した。

本堂は重要文化財に指定され、2012年4月1日の浄土真宗本願寺派の新体制移行に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」となり、これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となった。

「蘭学事始の地碑」は中津藩奥平家の藩医で蘭学者だった前野良沢(まえの・りょうたく、1723-1803)が越前小浜藩医師の杉田玄白(すぎた・げんぱく、1733-1817)らと共にオランダ語の医書の翻訳に取り組み、1774(安永3)年に「解体新書」を出版した。当時の苦心の様子を描いたのが、杉田玄白が1815(文化12)年に著した「蘭学事始」だ。

翻訳に取り組んだ場所が当時、築地鉄砲洲にあった中津藩奥平家中屋敷で、現在、聖路加国際病院になっている。その前に石碑があり、隣には、中津藩出身の福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち、1835-1901)が1858(安政5)年に開いた蘭学塾発祥の跡地もある。塾はのちに慶応義塾大学へと発展している。

一龍斎貞弥さんは大分県生まれ、日本女子大学文学部を卒業、1990年に青二塾東京校を卒業、10期生、1991年にアニメ「キテレツ大百科」の声優でデビュー、その後声優として活躍し、2007年10月に講談師の一龍斎貞花(いちりゅうさい・ていか)さんに入門し、12月に講談協会前座見習い、「一龍斎貞弥」の号を受け、2008年に前座、2011年10月二ツ目に昇進した。

時間は10時から16時で、10時に東京メトロ有楽町線銀座一丁目駅に集合し、昼までにお江戸日本橋亭に移動して、13時30分から「日本橋お江戸寄席」を鑑賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

日本橋お江戸寄席は前座の三遊亭遊七(さんゆうてい・ゆうしち)さん、二ツ目の三遊亭楽大(さんゆうてい・らくだい)さん、一龍斎貞弥さん、真打の立川雲水(たてかわ・うんすい)さん、コミックソングのベートベン鈴木(べーとべん・すずき)さん、真打の昔昔亭桃太郎(せきせきてい・ももたろう)さんが出演する予定。

M84でE・アーウィット・マグナム元会長「犬」展、ゼラチンシルバーで

【銀座新聞ニュース=2019年3月21日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル5階、03-3248-8454)は3月25日から5月25日までエリオット・アーウィットさんによる写真展「Dog Dogs等」を開く。

アート・ギャラリー・エム・ハッシー(Art Gallery M84)で5月25日まで開かれるエリオット・アーウィットさんの写真展「ドッグ・ドッグス(Dog Dogs)等」に展示される「パリス(Paris)1989」((C)Elliott Erwitt/Magnum Photos)。

世界的な報道写真家の集団「マグナム・フォト」の会長を務めたフランス人写真家、エリオット・アーウィット(Elliott Erwitt)さんが「ある日、自分の写真を見ていた時、どういうわけか犬がかなりの部分に入り込んでることに気づき」、犬のショーで撮影したプードルの写真、公園で棒を取っているエアデールの写真、一緒に飛び交う犬の群れの写真、歩いている犬などを撮影した作品約35点を、希少価値の高いゼラチンシルバーのオリジナルプリントして展示する。すべてエリオット・アーウィットさんのサイン入り。

エリオット・アーウィットさんは「私にとって写真とは観察の芸術だ。ありふれた場所で何かおもしろいものを発見することだ。自分が『何を』見ているかというのはあまり関係ない。それを『どのように』見ているか、がすべてである」と述べている。

ウイキペディアによると、「マグナム・フォト(Magnum Photos)」(本部・アメリカ・ニューヨークとフランス・パリ)はハンガリー人写真家のロバート・キャパ(Robert Capa 、1913-1954)の発案により、フランス人の写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson、1908-2004)、英国人の写真家、ジョージ・ロジャー(George Rodger、1908-1995)、ポーランド人の写真家、デビッド・シーモア(David Seymour、1911-1956)らと1947年に創設された報道写真家の集団だ。

2007年に創設60周年を迎え、東京都写真美術館などでドキュメンタリー映画「マグナム・フォト 世界を変える写真家たち」が上映された。2006年9月から12月には、東京・銀座の中央通りで、「マグナム・フォト」の写真家が撮影した「東京」の写真を、タイルにプリントして展示するという試み「銀座フォトグラム2006」を開いている。

「マグナム」の名はシャンパンの大瓶に由来するといわれ、現在ではメンバーの数も50人を超え、英国ロンドンと東京に支社が置かれている。日本人の会員は浜谷浩(はまや・ひろし、1915-1999)と1965年に参加し、1988年に正会員になった久保田博二(くぼた・ひろじ)さんがいる。

エリオット・アーウィットさんは1928年フランス・パリでロシア系の両親の下に生まれ、1939年、11歳の時に家族でアメリカに移住し、ロサンゼルスのカレッジで写真・映画制作を学び、1944年にハリウッドで過ごし、写真現像所で働き、映画スターのブロマイドを制作し、その後、ロサンゼルス・シティー・カレッジに進学、実際に写真を撮り始めた。

1949年にニューヨークで写真家として活動、1951年に徴兵され、陸軍通信隊の一員としてドイツ、フランスなどで写真関連の任務を遂行し、1953年 にロバート・キャパに推薦され、「マグナム・フォト」に参加、「ライフ」などの雑誌を中心に作品を発表した。

1968年に「マグナム・フォト」の会長に就任し、3期務め、1971年に初のドキュメンタリー映画を制作、この頃より映画と写真の作品を交互に手掛けるようになり、1987年に写真の仕事に戻り、集大成の写真集と写真展の準備に取りかかり、今日まで数多くの写真集を刊行している。1951年に「ライフ」誌の写真コンテストで新人賞、2011年にニューヨークの国際写真センターより功労賞を受賞している。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)。入場料は800円(税込)。日曜日が定休。

監督の感性が過不足なく表現された「グリーンブック」(259)

【ケイシーの映画冗報=2019年3月21日】残念なことに、現在のアメリカでも、法律上は撤廃されたはずの“人種差別”はしっかり残っています。現職の大統領が「人種差別を肯定」するようなコメントを出しているぐらいで、こうした世情を反映してか、今年のアメリカのアカデミー賞では“アメリカ白人ではない”人物や作品がおおく受賞しているという印象です。

現在、一般公開中の「グリーンブック」((C)2018 UNIVERSAL STUDIOS AND STORYTELLER DISTRIBUTION CO.,LLC.All Rights Reserved.)。制作費が2300万ドル(約23億円)、興行収入が1億9049万ドル(約190億4900万円)に達している。

監督賞のアルフォンソ・キュアロン(Alfonso Cuaron)がメキシコ系、主演男優賞のラミ・マレック(Rami Malek)はエジプト出身、主演女優賞のオリヴィア・コールマン(Olivia Colman)はイングランド系白人。助演女優賞のレジーナ・キング(Regina King)、と本作「グリーン・ブック」で助演男優賞となったマハーシャラ・アリ(Mahershala Ali)はアフリカ系黒人。

脚色賞(原作のある脚本)は黒人の潜入捜査官を描いた「ブラック・クランズマン」で、作品賞と脚本賞に、今回取り上げる「グリーンブック」(Green Book、2018年)が選ばれています。

1962年、ニューヨークのブロンクスで生活する“トニー・リップ(Tony Lip)”ことフランク・アンソニー・ヴァレロンガ・Sr(Frank Anthony Vallelonga Sr.、1930-2013年。演じるのはヴィゴ・モーテンセン=Viggo Mortensen)は、巧みな弁舌と腕っぷしの強さで知られるイタリア系の2世で、一族と妻子を深く愛していたものの、財政面は不器用な人物でした。

そんなトニーに儲け話が飛びこみます。ピアニストのドン・シャーリー(Don Shirley 、1927-2013。演じるのはマハーシャラ・アリ)がアメリカ南部をめぐるコンサートツアーのドライバー兼マネージャーを探しているというものです。トニーの出した値上げ交渉をドンがOKしたことで、2カ月のツアーに出ることになりました。

このとき、トニーは1冊の本を渡されます。黒人への差別が色濃く残るアメリカ南部を黒人がドライブするためのガイド「グリーン・ブック」でした。

“粗にして野だが卑ではない”トニーと、“地位と財産と知性もあるが孤独”というドンの旅路は、「黒人」と「白人」を合法的にへだてる法律(各州でことなる)や“古来からのしきたり”に翻弄されるものでした。

最初は黒人に対して否定的だったトニーも、ドンの音楽的才能や芯の強さを認めるようになり、ドンもまたトニーの家族への想いや、じつは“気くばりの人”であることを知ります。

監督、脚本(共同)のピーター・ファレリー(Peter Farrelly)は、本作の舞台となる1960年代について、こう述べています。
「50年ほど前の話だが、現代を生きる我々の心に響く部分があると感じた。残念ながら、今のアメリカは、そこからほとんど変わっていない。その愚かさを見る人に感じてもらいたかった」(2019年3月8日付「読売新聞」夕刊)

劇中では“人種差別”の実像がしっかりと描かれます。ツアー会場に向かうと、出演者のドンよりトニーの方が待遇を良くなっていたり、ホテルも「黒人専用」とされ、トイレも白人と共用できないなど、さまざまな制約がシビアに映像化されています。
そのひとつの頂点が「黒人なのに夜間外出している」ことで警察に逮捕されてしまうところだと感じます。

「“インテリで裕福な黒人男性”と“直情的で粗野な白人男性”のコンビがはげしい人種差別のあるアメリカ南部で活動する」という本作の基本ラインから、個人的には半世紀前にアカデミー作品賞ほか5部門を受賞した名作「夜の大捜査線」(In the Heat of the Night、1967年)を想い浮かべます。この作品で主演男優賞を受けたのは、大都市の黒人刑事と対立する、田舎の白人警察所長を演じたロッド・スタイガー(Rod Steiger)でした。

この両者の知性と蛮性(失礼)がぶつかり合う会話がじつに魅力的で、現在でも高く評価されています。黒人刑事役のシドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)はすでに主演男優賞を受けていました。

「野のユリ」(Lilies of the Field、1963年)にて、本作で助演男優賞を受けたのは黒人の天才ピアニストを演じたマハーシャラとなっており、彼のロジカルな表現に、上品ではないが生き生きとしたトニーの弁舌が絡み合って、知性とユーモアの盛りこまれた楽しいシーンが何度も登場し、魅力的なシーンとなっています。

「まず話し合うところから始めなければならない。そうでないと平和なんてありえないと思う」(前掲紙)

こう語るファレリー監督の感性は、この作品で過不足なく表現されています。受賞も十分に納得できる作品だと強く感じます。次回は「ブラック・クランズマン」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

広島「TAU」で廿日市市マルシェ、カクテルも

【銀座新聞ニュース=2019年3月20日】広島県(広島県広島市中区基町10-52、082-228-2111)は3月23日と24日の2日間、アンテナショップ「TAU」(中央区銀座1-6-10、銀座上一ビルディング、03-5579-9952)で「20marche」を開く。

3月23日と24日の2日間、たう(TAU)で開かれる「ハツカマルシェ(20marche)」に出品される「はつか大地の米パスタ」。

廿日市市(はつかいちし、広島県廿日市市下平良1-11-1)産のはちみつ、カキのアヒージョ、ラスクなどや「中国醸造」(広島県廿日市市桜尾1-12-1、0829-32-2111)の「桜尾ジン(SAKURAO GIN)」を使用したオリジナルカクテルを提供する。

当日は、はちみつレモンカード、吉和の森の薪窯ラスク、アミューズしょう油(販売のみ)、百花はちみつ、はつか大地の米パスタ、カキのアヒージョ、はつかいちごの食前酢などを試食販売する。

また、「桜尾ジン」を使ったカクテルは「バーフィフティーン」(港区芝公園1-5-10、芝パークホテル別館、03-5470-7545)のチーフバーテンダーの上野恵一(うえの・けいいち)さんが提供する。1杯300円。

同じく出品される「はちみつレモンカード」。

「ハツカマルシェ(20marche)」は「おとな女子のためのアミューズ(料理)」をテーマとし、おとな女性向け向けの「贈り物」や「自分へのごほうび」として選ばれる商品づくりを目指して誕生した、廿日市市の新しい食ブランドで、廿日市市の地名の由来である「毎月20日に市(いち)が開かれた」 ことから、「ハツカマルシェ」とネーミングされ、2018年に市内の事業者により約10商品が開発された。

廿日市市は、広島県広島市の西に隣接し、瀬戸内海(広島湾)に面した港町で、「安芸の宮島(厳島=いつくしま)」が特に知られており、1996年に同島の厳島神社は世界遺産にも登録されている。

厳島神社は平清盛(たいらの・きよもり、1118-1181)の庇護により平安時代末期に大きく発展し、地域に影響力をもったが、鎌倉時代に入ると承久の乱(1221年)に伴う権力争いの中で貞応年間(1222年から1224年)に火災で社殿を焼失した。

鎌倉幕府の命により厳島神社を再建するために対岸の地域(現在の廿日市市本町)に多くの鋳物師たちが移り住んだことから、塩・木材などの生活物資・再建物資の集積が始まった。厳島神社の年4回の祭礼の最終日がいずれも20日であったことから、鎌倉時代中期には毎月20日に市が立つようになり、二十日の市=「廿日市」という名称が徐々に定着していったとみられている。

廿日市は中世以来、厳島神社の造営・修繕と西中国山地産の木材の集積を基盤とした木材産業の町であり、山陽道(西国街道)の廿日市本陣を中心に発展し、1889年4月1日に町村制施行により「佐伯郡廿日市町」として発足し、1956年9月30日に廿日市町、平良村、原村、宮内村、地御前村が合併して新「廿日市町」になり、1988年4月1日に廿日市町が市制施行し、「廿日市市」とし、2003年3月1日に佐伯町と吉和村を編入、2005年11月3日に大野町、宮島町を編入し、佐伯郡が消滅し、現在の廿日市市ができた。

面積が約489キロ平方メートル、人口が約11万人で、廿日市の町は商業・工業都市の側面が濃かったが、平成の大合併によって西中国山地の豊かな自然や、厳島神社を含む安芸の宮島などの新しい顔を併せもつこととなった。

市名の由来である「廿日の市」という市民主体の市を毎月20日に催したり、姉妹友好都市であるニュージーランド・マスタートンとの交流から、JETプログラムによってニュージーランド出身の「国際交流員」を招いて、さまざまな活動にかかわってもらっている。現在の形式のけん玉の発祥の地としても知られる。

生カキは広島県が全国で1位で、2014年時の水揚げ量では広島県が11万6700トンで1位、2位が宮城県の2万900トン、3位が岡山県の1万6800トンとなっている。中でも宮島周辺の廿日市産のカキは身が大きく、しまっているのが特徴で、廿日市市では地御前、大野瀬戸、宮島の3地域がとくに知られている。

営業時間は10時30分から20時(24日は16時)。カクテルは23日17時から20時まで。