丸善日本橋でアジアの伝統衣展、トークも

【銀座新聞ニュース=2011年7月18日】丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月20日から7月26日まで3階ギャラリーで「アジアの布を楽しむ“夏衣”展」を開催する。

アジアの布の技と知恵に学ぶ「夏衣(なつごろも)」展で、インドのサリーやパンジャビスーツ、ラオスの筒スカート、インドネシアのサロンなど、綿、絹、麻などを素材にした伝統衣を紹介し、それらの布を現代的デザインにアレンジした、涼しそうなドレス、カーディガン、着物や帯などを約200点を展示販売する。

古来、高温多湿な自然環境に暮らすアジアの人々は、独自の民族衣装で、猛暑をしのいできたが、インド、ラオス、インドネシアなどでは天然素材に、織り、染め、刺しゅうの手仕事を加えて伝統衣裳で暑さを克服してきた。

国立民族学博物館の民族社会研究部教授で副館長の杉本良男(すぎもと・よしお)さんによると、サリーはインドの特定の地域、階層に古くから存在していたが、インド全体で着用されるようになったのはここ100年あまりのことにすぎないという。

西インドに見られるスカート(ガーグラー、レーンガー)とブラウスの組み合わせや、長い上衣とパンツを組み合わせたサルワール・カミーズ(いわゆるパンジャビドレス)などは、サリーとの根本的な違いがあり、サリーが縫製されない1枚の布であるのに対して、ガーグラーやカミーズなどは布を裁ち、補正されているという点を指摘する。

ヒンドゥー教においては、針を通さない布が浄性が高いとされ、サリーが好まれるという宗教的な理由がある。裁つ、裁たないとか縫製する、縫製しないという対立は、ヒンドゥーと非ヒンドゥー、ヒンドゥーとムスリム(イスラム教徒)の対立につながり、ヒンドゥーの古式の伝統に対して、外部から裁つ、縫製する伝統がもたらされたという図式が、ときにヒンドゥーナショナリズムと結びついて、社会的な対立をもたらしているという。

サリーは5000年以上前から着用されていたが、ウイキペディアによると、本来、サリーの着用スタイルは地域によって異なっていた。しかし、19世紀後半より20世紀にかけてインドのナショナリズムが強まる中で標準化され、国民的衣装としての地位を確立した。

パンジャビスーツ(サルワール・カミーズ)は南アジアの民族衣装で、シャツを意味する「カミーズ」、ズボンを意味する「サルワール」のセットに、「ドゥパッター」と呼ばれるストールを組み合わせた3点セットで着用されることが多い。

会期中、毎日14時から15時までギャラリー・トーク「アジアの伝統衣に学ぶ涼しいオシャレの知恵」を開く。企画に協力している「有限会社フラド」(渋谷区代々木4-28-8-510号、03-5351-3024)の関係者によって構成されている「チーム布楽人(ふらど)」の人たちが毎日、テーマを変えて解説する。

たとえば、「酷暑の中で生まれた世界一優雅で涼やかなサリー姿の謎!」というテーマでインドのサリーについて、「常夏の国ラオスの美人がタイトなスカートを履くのはなぜ?」というテーマでラオスの筒スカートについて、「古代の女王は、冷たい石のアクセサリーで体の火照りをしずめた」というテーマで古ビーズを取り上げる。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。閉場時間は変更される可能性もあり、詳細は会場に問い合わせを。

丸善丸の内で笹倉鉄平の欧州画展、サイン会も

【銀座新聞ニュース=2011年7月18日】丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は7月20日から7月26日まで4階ギャラリーで笹倉鉄平さんによる個展「アートで旅するヨーロッパ」を開催する。

画家の笹倉鉄平(ささくら・てっぺい)さんが6月に完成したばかりの「こもれび」をはじめ、ヨーロッパの国々の情景を題材とした版画など約50点を展示販売する。また、肉筆原画(非売品)数点も紹介する。

ウイキペディアによると、笹倉鉄平さんは1954年兵庫県生まれ、1977年に武蔵野美術大学商業デザイン科を卒業、広告制作会社のイラストレーターとなり、1980年に退職し、フリーとして活動をはじめ、主に森永製菓のパッケージイラストをおよそ10年間担当し、1987年から毎日新聞カラー別刷り版に月1回連載し、1990年に東京・青山で初の個展を開き、1991年にシルクスクリーンによる作品を発表、1992年にオランダで開催された花の万博「フロリアード 1992」の記念版画を制作、2000年に「株式会社アートテラス」を設立した。

2001年にイタリア・フィレンツェに架かる1345年に完成された古い橋「ポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)」を描いた作品「祝福」がイタリア・フィレンツェにある「日本文化経済交流協会」の公認作品となり、2004年と2005年にイタリアで個展、2007年に油彩、水彩、スケッチなどを展示する個人美術館「ちいさな絵画館」(兵庫県西宮市能登町11-17、0798-75-240)を設立、 2008年にパリと京都で「日仏交流150周年」などを記念して個展を開いている。

7月24日14時から笹倉鉄平さんによるサイン会を開く。笹倉鉄平さんの画集、DVD、作品のいずれかを購入すると、サインをもらえる。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)まで。入場は無料。

教文館で馬場のぼる没後10年記念展、今村洋子や佐藤英和らも

【銀座新聞ニュース=2011年7月15日】本の教文館(中央区銀座4-5-1、03-3561-8446)は7月15日から8月18日まで9階の「ウェンライトホール」で「馬場のぼる没後10年記念展『11ぴきのねこがやってきた』」を開催している。

マンガ家の馬場(ばば)のぼる(1927-2001)が2001年に亡くなってから10年経つのを記念して、29年かけて完成した代表作の「11ぴきのねこ」シリーズの絵本絵画を中心に、スケッチ、絵本作りについてのエッセイなどを展示している。また、ふるさとの三戸町(さんのへまち)の生家から2010年に発見された子ども時代の作品も公開している。

さらに、「11ぴきのねこが走る!マラソン大会の大パノラマ」も設置し、7月6日に刊行された「馬場のぼる こどもまんが全集」(こぐま社)の復刻展示や手ぬぐい、ぬいぐるみ、時計などの記念グッズも販売している。
ウイキペディアによると、馬場のぼるは1927年青森県三戸郡三戸町生まれ、1944年に岩手県立福岡中学校4年修了後、海軍予科練14期生として土浦海軍航空隊に入隊、1945年6月に特攻隊員に選ばれるも、終戦を迎え、リンゴの行商人、開墾農民、大工の見習い、小学校の代用教員などを務め、1948年に八戸市近くのアメリカ軍キャンプに勤務し、ポスターを描きながらマンガを描いた。

1949年に上京、1950年に野球マンガ「ポストくん」でデビュー、1955年に「ブウタン」で第1回小学館漫画賞、1958年にマンガ集団に入団、1967年に「11ぴきのねこ」を刊行し、以来1996年に6冊目を刊行するまで29年かかった。1968年に第15回サンケイ児童出版文化賞を受賞し、1970年から「日本経済新聞」に「バクさん」を14年間連載、1985年に「11ぴきのねこマラソン大会」でボローニャ国際児童図書展エルバ大賞、1993年に第22回日本漫画家協会賞文部大臣賞、1995年に紫綬褒章などを受章し、2001年4月7日に胃がんにより、東京都練馬区の自宅で死去した。

7月24日14時から銀座フェニックスプラザ(中央区銀座3-9-11、紙パルプ会館、03-3543-8118)でマンガ家の今村洋子(いまむら・ようこ)さんとこぐま社専務、編集長の関谷裕子(せきや・ゆうこ)さんによる「馬場のぼる先生をめぐって-マンガ・ネコ・絵本そして故郷三戸」と題して対談する。当初はマンガ家のみつはしちかさんも出演する予定だったが、体調不良で欠席する。

8月6日14時から銀座フェニックスプラザで「こぐま社」の創業者で編集者の佐藤英和(さとう・ひでかず)さんが「11ぴきのねこと馬場のぼる先生」と題して講演会を開く。

今村洋子さんは1935年東京都千代田区生まれ、10代から貸本マンガ家の父、今村(いまむら)つとむのアシスタントをし、1952年に単行本「子豚のラッパ」でデビュー、1959年に少女向け月刊マンガ誌「少女」(1949年創刊、1963年休刊)に「チャコちゃんの日記」を連載し、注目された。

その後、「ハッスルゆうちゃん」などを発表、特に小学館の学年誌に多くの作品を連載した。1977年に「小学一年生」に連載した「ぺちゃこちゃん」を最後に活動を休止、最近は「ラック(LAC)の会」という学習マンガを描いているマンガ家たちの集まりに参加している。

関谷裕子さんは1956年東京都生まれ、早稲田大学を卒業、こぐま社に入社、絵本の編集を担当、その後編集長に就任し、取締役を務めている。

佐藤英和さんは1928年長崎県生まれ、1953年に神戸経済大学(現神戸大学)を卒業、河出書房に入社、編集者として務め、1966年に創作絵本の「こぐま社」を設立、編集者として「11ぴきのねこシリーズ」や「こぐまちゃんえほんシリーズ」、「わたしのワンピース」などを手がけ、こぐま社社長を経て、現在、財団法人「東京子ども図書館」監事。

また、2階和書売り場で「馬場のぼる こどもまんが全集」(こぐま社)復刻記念フェアを開いている。4階エレンカイムで馬場のぼるの水彩画を展示販売している。

6階ナルニア国では「馬場のぼるってこんな人」と題して、「漫画家の絵本の会」の仲間である、やなせたかしさん、柳原良平(やなぎはら・りょうへい)さん、多田ヒロシ(ただ・ひろし)さん、長新太(ちょう・しんた、1927-2005)らが2002年に哀悼の意を込めて馬場のぼるへ寄せた絵やエッセイを展示する。

開場時間は11時から19時、入場料は一般700円、大学生500円、高校生以下100円。期間中は無休。講演会は定員が200人、参加費が1000円。申し込み、問い合わせはウェンライトホール(03-3563-0730)まで。

丸善丸の内で絵や陶磁器等の「金魚市」、石原恵子、深堀隆介ら

【銀座新聞ニュース=2011年7月14日】丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は7月15日から7月25日まで4階洋書ミュージアムゾーンで「丸の内きんぎょ市」を開催する。

木彩作家の佐藤忠雄(さとう・ただお)さん、金魚養画場の美術作家の深堀隆介(ふかほり・りゅうすけ)さん、陶磁器の絵付け師の石原恵子(いしはら・けいこ)さん、アクアプロダクツの守亜和由紀(もりあ・かずゆき)さん、きんぎょイラストレーターの金沢一興(かなざわ・いっこう)さん、友禅染の福原勝一(ふくはら・かついち)さんらが夏の風物詩「きんぎょ」の作品を展示販売する。

ウイキペディアによると、「金魚」はフナの突然変異である「ヒブナ」を観賞用に飼育、交配を重ねていった結果、生まれた観賞魚で、100種類以上もの品種があり、通常30センチ程度まで成長し、寿命は10年から15年とされている。日本では愛知県弥富市、奈良県大和郡山市、江戸川下流域が3大養殖地として知られている。

金魚は中国の長江下流域の浙江省近辺が発祥の地とされ、南北朝時代(439年から589年)にはすでに飼育されており、宋代(960年から1279年)に入ってから養殖が盛んになり、明代(1368年から164年)には品種も増えた。

中国では、主に皇帝、皇族、貴族、士大夫らによって飼育、愛玩されてきたため、1960年代後半から1970年代前半の文化大革命において「旧文化」として非難、攻撃の対象とされ、浙江省の養魚場も破壊されるなど生産、流通、飼育とも壊滅状態に陥った。

1978年に日中平和友好条約が調印され、民間の日中交流が拡大すると、日本の金魚生産者が浙江省などに出向いて技術移転を行い、復興に協力し、中国でも大量生産されるようになり、1978年の改革開放政策後は庶民にまで流通するようになり、現在では中国伝統の特産物のひとつとされ、日本や欧米への輸出品として、生産者は政府の支援を受けている。

中国において「金魚」の発音は、「金余(きんよ)」と現地の言葉の発音がひじょうに似ているため、縁起のいいものとされている。

日本では鎌倉時代(1185年から1333年)にその存在が知られたものの、実際に金魚が伝来したのは室町時代(1336年から1573年)だった。しかし、当時はまだ飼育方法や養殖技術などが伝わらず、定着せず、江戸時代(1603年から1868年)に大々的に養殖がはじまり、江戸中期になると、メダカとともに庶民の愛玩物として広まり、金魚売りや金魚すくいなども一般的になった。

1748年に安達喜之(あだち・きし、よしゆき、生没年不詳)が金魚の飼育書「金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)」を刊行したのがきっかけで、飼育熱を生んだといわれている。化政文化期(1804年から1829年)には現在の3大養殖地で大量生産と流通体制が確立し、金魚の価格も下がり、金魚飼育が庶民に普及した。幕末には金魚飼育ブームが起こり、開国後日本にやってきた外国人の手記には、庶民の長屋の軒先に置かれた水槽で金魚が飼育されているといった話や金魚の絵などが多く見られる。

明治維新後は犬や猫とともに家庭において愛玩用に飼育され、学校の池などでの飼育も始まり、戦時中は「金魚を飼っている家には爆弾が落ちない」という流言が東京中に拡がり、人々は争って金魚を求めた。しかし、生きた金魚の入手は不可能で、陶器で作られた金魚のおもちゃが飛ぶように売れたという。

佐藤忠雄さんは1959年長野県生まれ、1980年からグラフィックアートの制作をはじめ、自然、動物、鳥などのモチーフを中心にした作品も制作する。1995年にアートなどの制作会社「有限会社ブラスト」を設立、2006年からフリーで活動、「アート工房ブラスト」(中央区築地6-8-10、スカール築地203、03-3546-1227)を主宰している。

深堀隆介さんは1973年愛知県生まれ、1995年に愛知県立芸術大学美術学部デザイン専攻学科を卒業、会社勤務、1999年に退職後、制作活動をはじめ、2000年に金魚に魅了され、2002年に器の中に樹脂を流し込み、その上に直接、金魚を描くという技法で作品を発表、2005年から国内外で個展を開いている。

石原恵子さんは染織を専攻していた学生時代から自然を題材にした作品を制作、1995年より「ひとつの素材から」をテーマに「描く、染める、織る」の創作活動をはじめ、上絵付けも開始、2007年より輪島塗工房でデザイン、加飾に参加している。陶磁器製造1級技能士の資格を持っている。

守亜和由紀さんは1975年北海道生まれ、群馬大学教育学部美術専攻工芸研を卒業、2000年にアクアプラントとして活動をはじめ、「私的熱帯世界」をコンセプトに造形、平面問わず制作し、現在、桐生大学短期大学部非常勤講師。

営業時間は9時から21時。入場は無料。

丸善日本橋、スイス在住で欧州を描く佐々木敦子展

【銀座新聞ニュース=2011年7月12日】丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月13日から7月19日まで3階ギャラリーで佐々木敦子さんによる絵画展を開催する。

フランス在住20年以上になる油彩画家、佐々木敦子(ささき・あつこ)さんがパリの室内空間や街並みを描いた新作を展示する。佐々木敦子さんは「幾重にも薄く塗り重ねられた繊細な筆使いと落ち着いた色調で描」(丸善)いており、現在はスイス・ローザンヌで制作している。

佐々木敦子さんは1963年宮崎県生まれ、1984年に女子美術短期大学を卒業、1986年にフランスにわたり、1991年にエコール・デ・ボザール(パリ国立高等美術学校)を卒業、以降、パリに拠点を置き、作品を制作してきた。

1993年にパリ大蔵省ビクトール・ショケ賞で第1席、1994年にアビニョン芸術展で銀メダル、サロン・ドートンヌ会員になり、1998年にル・サロン(フランス芸術家協会)で銀メダル、2005年にテイロー芸術家協会絵画コンクールでグランプリ、フランス・テイロー芸術家協会会員になっている。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。