大丸松坂屋画廊で松田重仁「水の祈り」展

【銀座新聞ニュース=2021年2月17日】国内百貨店業界2位の流通グループ、J.フロントリテイリング(中央区八重洲2-1-1)傘下の大丸松坂屋百貨店(江東区木場2-18-11)が運営するアートギャラリー「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3572-8886)は2月18日から23日まで松田重仁さんによる個展「水の祈り」を開く。

大丸松坂屋百貨店の「Artglorieux GALLERY OF TOKYO(アールグロリュー ギャラリーオブトーキョー)」で2月18日から23日まで松田重仁展「水の祈り」に出品される作品。

「浮遊する水」をテーマに制作している彫刻家の松田重仁さんが新作を中心に個展を開く。

松田重仁さんは過去に羽黒山(山形県鶴岡市)「秋の峰」に入峰し、自然界の円環と生命の尊さを学んでいる。また、「室町(1336年から1573年)・桃山時代(1568年から1600年)に生まれた日本人的美意識を基に、現代の空間造形を模索している。この世界を押し進めることで、新たなフィールドの創造」につなげたいとしている。

松田重仁さんは1959年山形県山形市生まれ、1982年に多摩美術大学彫刻科を卒業、1984年に同大学大学院彫刻専攻を修了、1980年に「二科展」に出品(2013年まで毎年出品し、1981年に特選、2001年に安田火災美術財団奨励賞、2004に会員に推挙)、1981年に瀧冨士美術賞、2004年に第23回損保ジャパン美術財団選抜奨励展新作秀作賞、2004年にアートマート21展でエルパラ賞などを受賞し、現在、日本美術家連盟会員、多摩美術大学非常勤講師、「複合の彫刻家たち展」代表を務めている。

開場時間は10時30分から20時(最終日は18時)まで。入場は無料。24日、25日は休み。

丸善日本橋で西洋アンティークフェア、今村洋子が欧州で調達

【銀座新聞ニュース=2021年2月17日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は2月17日から23日まで3階ギャラリーで「西洋アンティークフェア」を開く。

丸善・日本橋店で2月17日から23日まで開かれる「西洋アンティークフェア」に出品されるヨーロッパのアンティーク品。

「ギャラリーアルバ」(中央区日本橋室町1-9-9、コダマビル)を経営する今村洋子さんがヨーロッパなどで買い集めたアンティーク・ジュエリーやオールドバカラなどの工芸品、美酒のために作られた和洋酒器を展示販売する。

今村洋子さんは学生時代から海外を歩き、アンティークの宝飾品や工芸品の魅力に引き込まれ、1997年に「ギャラリーアルバ」を設立、1998年に東京・御茶ノ水に「セクシオンドール&アルバ」を出店、2000年からアンティークモール銀座に移り、その後、日本橋に移転している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。

銀座三越で中島潔「デジタル版画」展、童画など

【銀座新聞ニュース=2021年2月16日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は2月17日から23日まで本館7階ギャラリーで「新しい風-中島 潔 絵画展」を開く。

銀座三越で2月17日から23日まで開かれる「新しい風-中島 潔 絵画展」に出品される童画「春の風」((C)中島潔、レフグラフファイン版画、16万5000円税込)。

「風の画家」と呼ばれる日本画家の中島潔さんが最新作を含む直筆画と越前和紙を使用した「レフグラフファイン」版画約30点を展示販売する。中島潔さんの作品は「どこか懐かしく、日本人の心の中にある『ふるさと』の心象風景であり、世代を超えてみる方をその世界観に引き込む魅力を持つ」としている。

レフグラフファイン版画はデジタル処理による複製技術で、従来の版画技術では再現がむずかしい高度な色彩表現を可能にしている。越前和紙の特性を活かして、プリントデータを何層にも積み重ねるが、印刷の度数=層(レイヤー)を重ねることで、デジタル状の「版」を制作している。

越前和紙の表面には特殊な油薬を施し、紙特有の紙質や生成の色合いを持ち、色の領域による再現範囲やモノクロの階調性を高め、絵画の持つ微細な色調や奥深さを再現している。顔料インクも退色の原因となる空気中の光やオゾンに分解されにくく、高い耐光性と耐オゾン性を可能にし、保存性に優れ、プリントを長期間に渡って保つことができるとしている。

銀座三越で初めて個展を開く中島潔さん。

インクは高い耐水性を備え、水ににじみにくく、水がかかってもインクが溶けにくいという特質をもっている。「株式会社 アートカフェ」(中央区日本橋小舟町11-13、日本橋NYビル)が開発した。

中島潔さんは1943年満州(現奉天)生まれ、佐賀県育ちで、高校卒業後、伊豆下田の金鉱で温泉掘りとして働きながら、絵を独学、その後、上京して広告の世界に入り、アートディレクターとして活動し、1971年にフランス・パリにわたり、美術学校にもぐりで学び、1976年に独立し、絵画の制作に専念した。

1982年にNHK「みんなのうた」の中の「かんかんからす」のイメージ画が話題となり、同年に初の個展を開いた。1987年にボローニャ国際児童図書展でグラフィック賞を受賞、1990年に中国文化庁の招きで、海外初の個展を北京の故宮で開催、1998年に画業30年を記念して「源氏物語五十四帖」を発表した。

2003年にフランスにわたり、絵を制作、同年に「童画でつづる30年史」展を全国で開催、2010年に京都・清水寺成就院に「生命の無常と輝き」ふすま絵46枚を奉納、同年10月に佐賀新聞文化賞を受賞した。また、NHKが1996年に雑誌「ラジオ深夜便」を創刊(創刊時は季刊誌、1998年に隔月刊誌、2003年から月刊誌)して以来、現在まで表紙絵を描き続けている。2015年に京都の六道珍皇寺に「地獄心音図」の連作5枚を奉納している。

開場時間は10時から19時(最終日は18時)まで。会場で作品を購入すると、「直筆サイン色紙(落款入り)」をもらえる。

丸善丸の内で「猫」展、奥平浩美、東早苗、吉野光宝ら18人

【銀座新聞ニュース=2021年2月16日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は2月17日から23日まで4階ギャラリーで「Catアートフェスタ2021 2月22日猫の日記念」を開く。

丸善・丸の内本店で2月17日から23日まで開かれる「Cat(キャット)アートフェスタ2021 2月22日猫の日記念」に出品される目羅健嗣さんの作品。

毎年「2月22日」の「猫の日」をはさんで、その前後に猫に関連して開くイベントが「Cat(キャット)アートフェスタ」で、今回は17回目となる。

今回は、猫作家18人(組)が心なごませる存在として幅広い層に人気の猫をテーマに、個性あふれる作品を展示販売する。

ウイキペディアによると、「猫の日」は「猫の日実行委員会」が1987年に制定した記念日であり、「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫とともにこの喜びをかみしめる記念日を」という趣旨で、2月22日が選ばれた理由は、猫の鳴き声の「にゃん、にゃん、にゃん」と日本語の2、2、2の語呂合わせにちなんだもので、全国の愛猫家からの公募によって決定した。

猫の日は世界各国で制定されており、ヨーロッパの多くの国が2月17日、ロシアは3月1日、アメリカが10月29日としている。また、動物愛護団体の国際動物福祉基金が2002年に決めた「International Cat Day (World Cat Day」が8月8日としている。

今回、出品するのは、創作人形の安藤友香さん、春日部張り子師の五十嵐俊介さん、工房「ねこども」を主宰する陶芸家の岡村洋子さん、「アトリエ・オク(atelier oku)」を主宰するジュエリーの奥平浩美さん、染色の春日粧(さやか)さん、日本画の北田浩子さん。

繊細なミニチュアを彫るミニチュア木彫りの小出信久さん、木目込人形と立体造形の小島美知代さん、粘土、立体作品のなつめみちこさん、九谷焼の東早苗さん、FRP造形のHISOKA(ヒソカ)さん、七宝、金工、トンボ玉の平林義教さんと平林利依子さんの夫婦。

絵画の布施和佳子さん、立体造形の細山田匡宏さん、立体アートと絵画、造形の宮内久美子さん、絵画・立体の目羅健嗣さん、創作人形の葉さん、御所人形の吉野光宝さん。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。入場は無料。2月21日は休み。

「2020年」(9.ダブルの述懐<真鍋翔子(タロット占い師)>

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年2月16日】タロット占い師として絶大な人気を誇るクマリこと、真鍋翔子の元に、特異な個人セッションの申し込みがあったのは、11月半ばのことだった。

還暦を超えた翔子は、北陸の小さな町で弟と2人暮らし、父母亡き後の生家を守っていた。
実は7年前の54歳まで、ネパールの首都カトマンズで現地人夫とともにゲストハウスを経営していたのだが、夫が心臓発作で急死したため、子供のいなかった翔子は、宿を畳んで永久帰国する決断に至ったのである。

26歳のとき、初めでインドに渡り、ついでに立ち寄っただけのネパールがひとしお気に入って、以後毎年のように通っていたが、常宿だったホテルのマネージャーと恋に陥り国際結婚、29歳のとき、現地に移住して、半年後、古い洋館を借りてゲストハウスをオープンしたのである。

5年後、新築移転した後は、日本人旅行者御用達のアットホームな宿として繁盛したが、25年間の経営歴に終止符を打って、夫と二人三脚で盛り立ててきたゲストハウスを手放すことにしたのだ。

4半世紀暮らしたカトマンズには、未練もあって、当初は単身で切り盛りしていくことも考えたのだが、当面実務を任せた夫の姉の息子にあたる甥に一時帰国中会計をごまかされ、気持ちが変わった。

外国籍の未亡人の弱みにつけ込む現地親族に業を煮やして、頼れる子供もいないことと、50代半ばという年齢を考慮して、建物を売却し、帰国することを決めたのである。

日本に帰っても、年金のあてもない自分は、実家に出戻って以降の生計手段も心配だったが、6歳下でいまだ独り身の弟に、「親が遺した金もいくらかあるし、姉ちゃん一人の食い扶持くらい何とかなるから、帰ってこいや」と勧められたのである。ぶっきらぼうな中にも姉思いの弟の温かい気持ちが伝わってきて、背中を押してくれたおかげで、迷いが吹っ切れた。

現地の不動産を処分したお金で贅沢しなければ、10年くらいは持ちそうだったし、一旦決断したら、あとは早かった。

実際には、売却代は現地通貨で、外貨の購入額には限度があったから、現地の銀行に預けておいて、年に1度カトマンズに渡り両替したドルを持ち帰らなければならなかった。

が、25年暮らした国だけに、愛着があって亡夫との想い出がいっぱい詰まった地であり、第2の母郷に戻るようで、年1度の渡航は、実家にいても、家事のほかは何もすることがない自分にとって、恰好の気分転換になった。

そんな渡航の一環で、首都のカトマンズから東に12キロ離れた古都バクタプルを再訪したとき、くすんだ淡紅色の煉瓦造りの中世の街並みで、5層の古刹(こさつ)がそびえ立つ広場の一角でカードを広げている占い師、魔法使いの婆のような黒衣に杖付きの老女と遭遇したのである。

風が渡り、首にまとっていたインド更紗の長いショールがふわりと舞い飛び、カードの上に落ちて、そのうちの1枚が地にこぼれた。

謝ってショールを引き上げ、去ろうとすると、しゃがれ声で呼び止められた。
「もしもし、マダム、フール、愚者のカードが出ておりましたぞ」
鷲鼻の老婆は、翔子のショールの裾が払い落とした1枚を持ち上げて見せた。

そこには、手に花を持った道化師が、崖っぷちから今にも飛び出しそうにブーツの片方が宙に踊り出していた。
「どうやら、冒険が始まりそうじゃの」
「冒険?」
「今まで見たことのない世界、マダムは、魔術師へと鮮やかな転身を遂げるだろう」
「ほれ、落ちた1枚の下、ここにマジシャンのカードも出ておる。人生の錬金術師になるお膳立ては整った」

翔子は苦笑して、出任せと信じなかったが、財布の口を開けて、紙幣を2枚しわくちゃの手に渡した。風のいたずらとはいえ、老婆の商売道具を乱した詫びと、謎めいた予知、まるで当たるとは思えなかったが、当たらぬも八卦へのお礼のつもりだった。

「ようく、聞くがいい。おぬしは、タロット占い師になるのじゃよ。ネパールの生き女神・クマリと名乗ってな。よければ、明日からでも指南してやろう」

クマリとは処女という意味で、ネパールの生き女神のことだ。数々の条件を満たした満月生まれの仏教徒の3、4歳の少女が厳選され、初潮を見るまで生き女神として、クマリの館に匿われ、君臨する。国王ですらひざまずかせる絶大なパワーを持ち、国の運命を予言するのだ。病気平癒や、願望を叶える幸運をもたらす女神として、人々の信仰心も篤い。

翔子も、旅行者時代カトマンズ市内のダルバール広場にあるクマリの館を訪れて、額から眉間にかけて赤い化粧を施した黒くつぶらな瞳の勝気そうな少女が窓から顔を覗かせるのを目撃したことがあった。何故、自分がそのクマリを名乗るのだろう。あまりにも、畏れ多いような気がした。

しかし、理由はわからないが、老婆の言葉が呪縛のように鼓膜に名残り、以後予定を変更して1週間、彼女の元に通い詰め、タロットの基本を学ぶことになる。それまで、カードには1度も触ったことがなかったのに、自分でもたまげるほど飲み込みが早く、たった7日間でほぼマスターしていた。まるで、海綿体が水を吸い込むような尋常でない神がかった吸収ぶりだった。

翔子はどうやら、生まれる前から、カードの知識を持っていたようである。多分、前世てマジシャン、タロットデッキを鮮やかに操る魔術師だったにちがいない。

最後に、老婆は「カードリーダー・クマリの誕生じゃ」と告知して、優秀な卒業生を祝うようにに、古来の美しいカードと、英語の指南書をプレゼントしてくれた。

そして、この旅から帰国した後、翔子は、タロット占い師として生まれ変わったのである。ネットで動画ばやりの昨今、ほかのカード占い師が発信している無料占いをいくつかピックアップして研究し、3日後には、自らの占い動画をアップしていた。

ブレークしたのは、ひと月後だった。怖いほどよく当たると大評判になって、視聴回数がうなぎ上りに増えていった。3カ月とたたないうちにミリオン超、登録者数も30万人を超えた。

人気が出るのに並行して、オンラインによる個人セッションも始めたが、クライアントが引きも切らす、押し寄せた。たちまち売れっ子カード占い師にのし上がった翔子こと、クマリは嬉しい悲鳴をあげた。

収入も、うなぎのぼりだった。夫に急死されたときのどん底の落ち込みからジェットコースターが上がるように急激に舞い上がったのである。もう2度とどん底に急落することのない頂点だった。

還暦を超えてこんな華やかな余生が待っていようとは。まさに生き女神・クマリ、神と崇められるほどのタロットクィーンへと華麗な転身を遂げたのだ。

興奮と喜びの一方で、クマリは妙なことに気づいていた。コメントをくれる視聴者の中に、妙に話の噛み合わない人が多々混じっていて、それはクライアントも同じで、ある日、はたと気づいた。

クマリの動画はどうやら、異次元にも流れているらしい。そのパラレルワールドでは、新種の疫病が大流行していて、世界中大混乱しているらしい。

まるで20年前こちらの世界で、一見風邪に似た症状の疫病、が、肺炎を併発するリスクが高く、はるかに危険な新種のウイルスがパンデミック(大流行)として、全世界を震え上がらせたように。ネパールに移住して12年目のこと、世界的に大混乱に陥った大事件、歴史的変事だった。

この2020年、あちらの世界では、こちらが20年前潜り抜けた悪夢を体験させられているらしい。今思い出しても、ぞっとする凶事だった。休業要請を強いられたカトマンズのホテル街は、客が途絶え、がら空きになった。国際線の停止で一時帰国もままならなかった悪夢のような2年間、どう乗り切ったのか、まだ40代だった自分と夫は、互いに励まし合いながら、大危機を乗り越え、ウイルスとの壮絶なバトルに打ち克ったのである。

あれと同じことが今パラレルワールドで起きていて、人々は不安と恐怖に陥(おとしい)れられている。周波数を合わせて、向こうのインターネットにアクセスすると、おびただしいウイルス情報であふれていた。

ああ、何たることだろう、並行世界で20年前の悪夢が繰り返されていようとは。こちらでは2000年に全世界を急襲した疫病が20年遅れて、あちらの世界で再現されているのだ。既に開発された安全の高いワクチンや特効薬を分けてあげたいくらいだ。

物理的にそれが不可能なら、せめて、自分の動画やセッションが、向こうの世界の人達の少しでも、慰めや安らぎになればと、クマリは思う。

そして、その日のセッションの相手は、その向こうの世界の依頼人からだった。行方不明の姉の所在について、占って欲しいというのだ。尋ね人の依頼は珍しくない。単にそれだけなら、ほかにも、これまで異次元のクライアントはいたし、驚くにあたらないことだった。

ディスプレイに映し出されたその男性を目の当たりにしたとき、クマリは驚愕した。弟と生き写しだったからだ。クマリは、いつも画面越しにクライアントに対峙するとき、ベネチアで買った仮面舞踏会用の美しいマスク、紫に金の縁取りのある黒い羽付きの仮面でカモフラージュすることを忘れない。でなかったら、クライアントの方も、卒倒してたろう。

なぜなら、クマリの素顔は、行方不明の姉にそっくりだったはずだから。

「姉はインドに、世界遺産の遺跡見学に行って、パンデミックによる都市封鎖に遭遇し、現地にとどまる羽目を余儀なくされたんですが、5カ月後、臨時便で帰国するとのメールをもらって、心待ちにしていたら、いっこうに戻らず、以降連絡も途絶えてしまったんです」
「私のことは、どこで知られましたか」
「インドのリシケシ在住のタロット占い師さんに教えてもらったんです」
梨沙クマールにちがいない。向こうの世界では、並み居る雑魚と一線を画して、深い読みをする、まともなカードリーダーだ。

まだ未熟だが、ピュアなハートが伝わってくるような、的を外れていない読みをする。いい加減な動画占いが多い中で、女王のクマリも合格点をあげられる能力の持ち主だった。

「お姉さんは、大丈夫ですよ。まもなく戻ってこられます。安心してください」

クマリは、今から3カ月ほど前、もう1人の自分が訪ねてきたことをくっきり思い出しながら、不安そうな姉思いのもう1人の弟に、鼓舞するように力強く告げた。口から出任せではない、カードに、飛ぶ少女と、飛行機が出たからだ。

近々、飛行機に乗って、何らかの衝撃で元の世界に戻っていくにちがいない。

もう1人の弟は、半信半疑だ。
「姉は今、どこにいるんですか」

ちょっとした間違いで、別次元の世界に飛んでしまったと言っても、もう1人の弟は信じないだろう。空間がワープして、裂け目からパラレルワールドにトリップしてしまったのだ。

未来を予知するカードリーダーの自分としたことがなんで、あのとき、気づかなかったのだろう。目の前に生き写しの自分を見たとき、反射的に恐れと嫌悪を抱いて退(しりぞ)けてしまったのだ。自分の存在が脅かされそうで怖かった。この世界の自分は唯一無二、私1人でいて欲しかった。

無意識裏に、パラレルワールドから来たもう1人の私と察知して、自己防衛本能が働いたから退けてしまったのかもしれない。

「お姉さんの名前と職業を教えて頂けませんか」
「真鍋翔子で、フリーの校正者です」
「そうですか。今頃、世界遺産の取材記事を書いておられるかもしれませんね」
「東京の出版社に勤めていた若い頃は、記事も書いていたようです」
「ライターとしても、優れた手腕をお持ちのようで。才能あふれるお方ですね。きっと戻ってらっしゃいますよ。信じて待っていてあげてください」
なじみ深い顔のクライアントは、腑に落ちない顔つきだったが、これ以上引き出すことは不可能と察したのか、黙り込んだ。

もう1人の自分が、還暦を超えても手に職を持ち、活躍していると思うと、誇らしかった。クマリも、若い頃編集者に憧れたことがあった。もう1人の翔子が、パラレルワールドでその果たせなかった願望を遂行してくれたのだ。

とっくに諦めたはずの夢が、並行世界で別の自分によって達成されていたと知ることは、胸が透くような喜びだった。知的職業についているダブル、影武者ともいうべき生き写しの分身を改めて、愛おしく思い、無事元の世界に戻れることを心から祈った。
(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。